2022/02/02今週の一言

日本バプテスト連盟は多くの他教派と共に、2月11日を「信教の自由を守る日」と呼び慣わします。「建国記念の日」という名称は、「天皇を中心とする神の国」体制下の「紀元節」を直接的に継承しているからです。

薩長政権は1873年に紀元節を制定しました。日本書紀という「政治神話(紀元後8世紀の大和朝廷の正統性を訴えるために作られた神話)」に基づき、架空の人物・神武天皇が即位した日(紀元前660年1月1日)を西暦に換算すると2月11日だったというのです。つまり薩長政権は、当時巷であまり知られていなかった「天皇」という存在を宗教的権威をも併せ持った政治元首として押し上げ、「臣民」を国家神道の信徒とするという体制を作るべく、記紀神話を利用したのです。それによって彼らは列強に伍する中央集権国家を作ろうとしました。

長期的視点に立つと、70年以上続いたこの政策の代償は高く、「1945年の破局」をもたらしました。大国主義と軍拡路線は、より大きな国々の持つ、より大きな軍事力によって粉砕されました。米国による支配と日本政府の追従外交はここで方向づけられて今も続き、70年以上沖縄の人々はしわ寄せを受け続けています。

紀元節は独立前の1948年にGHQによって廃止されました。その前年に日本国憲法が施行されています。日本国憲法に組み込まれた政教分離原則は、個々人の「信教の自由」を保障するための安全弁です。法改正は人々の意識を変える大きな力ですが、米国の支配者たちによる天皇制批判という点で課題を残しています。

1960年代終わりごろ、靖国神社国営化と「建国記念日」という名称での紀元節復活を目指す法制化が保守政権によって推し進められました。日本バプテスト連盟は先頭に立って多くのキリスト者たちや他宗教の人たちと連帯し、この動きに反対しました。結果、四回上程された「ヤスクニ法案」は廃案に追い込まれました。この時、日本社会は上から与えられた信教の自由を、下から掴み直したと言えます。

民主政治とは、「治者と被治者の自同性」を本質とします。支配する者と支配される者が同一であるということです。具体的には多様な構成員全員が絶えず交替して自治を行うということです。世界という単位でも、あるいはユーラシア、アジア、東アジア、日本、東京、世田谷でも、真に自治がなされているでしょうか。米国支配と天皇制をありがたがることの根っこは同じように思えます。JK