4/11「父母の会」礼拝説教

申命記6章5節「あなたの神、主を愛しなさい。」

今日の聖書は4月の暗唱聖句です。こどもたちは一ヶ月間、毎朝の礼拝の中で暗唱聖句を共に読み上げ、覚えていきます。聖書は信者にとっては「経典(正典canon)」ですが、人類の共有する「古典」でもあります。どんな人にもあてはまる、味わいのある言葉もたくさんあります。こどもたちの成長に役立てばと願っています。

毎月の父母の会礼拝の際には、わたしなりの暗唱聖句の解釈を申し上げます。それはいづみ幼稚園の考え方、現場でこどもに伝えている言葉・こどもが体験している礼拝行為を、保護者のみなさんに分かち合い共有したいと願っているからです。

同じ聖書箇所から『園だより』4月号においては、「ある人の大切にしていることがらはその人の神である」というようなことを記して配付いたしました。そのことを別の角度からもう少し説明いたします。

「主」と翻訳されている言葉は、ヘブライ語でヤハウェYHWHと言います。この言葉は神の固有名です。本来ならば片仮名で表記すべきところ、ユダヤ教・キリスト教の伝統に従って、日本語訳聖書も「主」と訳します。問題は、そのヤハウェの意味です。漢字の名前と同様に、ヘブライ語の名前には意味が込められています。そして洋の東西を問わず似たような考え方があります。すなわち「名は体を表す」ものとして考えられていました。ユダヤ人も人は名づけた意味の通りになると考えていました。人の名前はその人の人格を現わし、神の名は神の本質・性質を示します。

ヤハウェとは、「彼は生起させる/成らしめる」という意味の言葉(主語混じりの動詞)です。そのヤハウェを愛するということは何を意味するのでしょうか。「何かの出来事を新たに起こすということを大切にするようにという勧め」と、今日は解釈します。

いづみ幼稚園に入園させることを選ぶということは、何かの出来事を新たに起こすということです。また転園もさせずに進級を選ぶということも、年中・年長での新たな出来事を期待するということです。ぜひ「いづみ村住民」としての暮らしを楽しんでいただきたいと願います。毎日の保育でいつも何か新しい出来事が起こっています。不思議だなあ、どうしてこんなことが起こるのか、と思うことも多々あると思います。それらの「不思議」をわたしは神の導きだと信じています。わたしのように考えようが考えまいが自由ですが、ぜひいづみの保育が織りなす不思議な状況を楽しんでいただいて、積極的に関わっていただければと願っています。