5/11今週の一言

5月11日の「聖書のいづみ」では出エジプト記26章1-14節を学びました。神の臨在する場所である「幕屋(ミシュカン)」の幕の部分・覆いの部分についての規定です。岩波訳は原意を尊重して、ミシュカンを「宿り場」と翻訳しています。「神がそこに宿ると考えられる場所はどのような見かけをとるべきなのか」、後の神殿(ヤハウェの家)や、会堂(シナゴーグ)においても同じ関心は続きます。それは、キリスト教会の聖堂・礼拝堂においても継承されています。

幕屋の見かけは豪華です。幕屋は四層の獣皮や布で覆われています。上から言うと、①じゅごんの皮、②赤く染めた雄羊の毛皮(以上14節)。③山羊の毛製の布(7節)。④亜麻のより糸で織った布。その上に青・紫・緋色の糸でケルビムを刺繍ないしは織り上げています(1節)。

②と④はとても色鮮やかです。神に色があるとも思えませんが、しかし、想像を絶する超越者を表現するためには、さまざまな色が必要とされたのでしょう。礼拝の視覚的要素が問題提起となります。なぜなら、プロテスタント教会の中でもカルバン派の影響を受けている諸派(バプテストも)は、視覚的要素に抑制的だからです。

東方教会がイコンを、カトリック教会がステンドグラスなどを積極的に礼拝堂に用いるのに対して、カルバン派やバプテスト派の礼拝堂は簡素です。大概説教壇を中心に置いて、それ以外の要素はほとんど前面に出ていません。「神の言葉を聞く礼拝」に重きを置いているので、視覚より聴覚を重視しているのです。

幕屋が機能的であることも興味深い事実です。①と②は防水のための覆いと言われます。基礎を打つわけでもなく、木の骨組みに布をかぶせただけのつくりですから、風通しが良く、移設・再設置も簡単です。③は現在もベドウィンたちが天幕の素材に用いているそうです。機能が本質を示唆します。

ここには人間と境を隔てながらも、人間との面談に融通をなるべく効かせようとする神の性質が見えます。神との出会いは簡便であり、風通しの良い交わりこそ聖書宗教の本質です。また、視覚だけでなく皮膚感覚・触覚も大切かもしれません。幕屋での儀式には香を用いてもいるので、嗅覚も信仰の要素でした。

5月15日は今年のペンテコステ(聖霊降臨日)、キリスト教会の誕生日です。不思議な風・轟音・舌のような炎などが教会という交わりを創りました(使徒言行録2章)。五感全体で神の臨在を感じられる礼拝にならないものか、常に吟味し模索することが必要です。ちなみに、幼稚園保育室兼教会礼拝所に設置されたステンドグラスは、ペンテコステの様子を描いた絵です。JK