6/22今週の一言

『クリスチャン新聞』(7/10号)に依頼された原稿を掲載いたします。

「キリスト者と選挙」

18歳選挙を前に聖書から参政権や代表制民主政治というものを考え、「自治」を神学してみましょう。

政治参加は良いことです。神は欠けの多い人間たちの政治的営みを見守ります(サム上8章)。人間たちが自治の仕組みをつくり責任もって運営しなくてはいけません。古代イスラエルには一般の人々が裁判に参加して自治を行う伝統がありました(ルツ記4章)。

最近多くの若者が路上から声を上げ国の政策に物申したことはすばらしいことです。市井の人である預言者・知者も行ったことだからです(王上17章、箴言8章)。選挙の時だけ思い出し、それ以外の時期には国の政策に無関心であっては自治が泣きます。聖書の理想は直接民主制、間接民主制は次善の策です(出18章)。一人ひとりが神の霊を宿す主権者であり(民11:29、使徒2:4)、「わたしはある」という尊厳に生き(出3:14)、政治にも堂々と参与していくことが望まれます。

現代日本社会においても、まず直接民主制(憲法21条)、次に間接民主制という順番が大切です(憲法前文)。選挙は「やむを得ず自分の代表を選ぶ行為」です。「やむを得ず」なのですから、選挙の仕組みは主権者の利益を最優先にして改善されなくてはなりません。

自分の代表を選ぶ際の物差しは政策であるべきです。政策本位の選挙のための手段が「政党」という結社です。おおむね同じ理念と政策を共有している集団とみなされるからです。代表制民主政治は成熟した政党政治によって機能します。

現在の参議院選挙制度は政党政治を劣化させています。全国一区の比例代表制非拘束名簿式は「政策よりも顔・知名度」で選びがちです。人は外観で判断するからです(サム上16章)。一人区(小選挙区)には死票が多く、小政党たちは「政策を絞り込んで共闘をせざるをえない」という状況があります。複数人区においては、「党の政策よりも候補者の魅力」で選びがちです。「一票の格差」だけではなく、複数人区間の定数がまちまちなので「政党間の格差」もあります。600万円の供託金と30歳という年齢が立候補の条件です。これでは、貧しい人や若い人たち向けの政策はおろそかになりがちです(ダビデ王の油注ぎを見ると18歳被選挙権があっても良さそう)。政策で代表を選びにくい選挙制度そのものを、主権者本位に変える取り組みが必要です。

サドカイ派(富裕層)4分の3、ファリサイ派(中間層)4分の1という、安定的ではあるけれども未熟な政党政治によってイエスが冤罪を被ったことを考えると(マルコ14章)、比例的に代表が選ばれる熟議の政党政治の方が暴走しにくい権力機構を作り出すことができるでしょう。

キリスト者の模範はイエス・キリストの言動にあります。イエスは愛を教え、愛に生き、愛に死にました。神を愛する自由を保障する・隣人を愛する・互いに愛し合う、これらが模範的政策です。具体的には、内心/信教/表現の自由の保障(使徒4:19)、殴り返さず隣人に仕える平和主義(マタイ5:39)、高みを削って低くされている人に埋め戻す平準化・税金による再配分(ルカ3:5)です。特に代表を選ぶことと再配分は深く結びついています(使徒6:1)。わたしたちは社会に愛を実現するための代表を選ぶのです。

なおイエスは「愛の掟」を憲法にして、力を濫用する者たちを批判もしました。強引な議会運営や、主権者の意思に基づかない憲法改悪の発議を、イエスも批判することでしょう。この「愛の掟」に近代立憲主義の萌芽があります。

政策で一致する自分の代表が、不幸にして存在しない場合はどうしましょうか。自分で政党を作って政権交代を果たした「国の民」のように(王下21:24)、集まって政党を作り立候補や擁立をしたら良いでしょう。自治なのですから。

 

※公正・平等な選挙改革にとりくむプロジェクトのURL参照。http://toripuro.jimdo.com/