海の歌 出エジプト記15章1-21節 2015年8月30日礼拝説教

「歌が先・物語が後」というルールがあります。旧約聖書を生んだ古代西アジア世界の文学上のルールです。その地域に住んでいた人が最初の文学は詩文学でした。日本の俳句も詩文学です。

旧約聖書の中では預言という詩文学が最も古い文書です。詩編の中にも非常に古い歌が残されています。決して偶然ではありません。歌が先・物語が後だからです。学者たちは、21節のミリアムの歌を旧約聖書中最古の歌に属すると判断します。ミリアムの歌とモーセ・イスラエルの民が歌った「海の歌」は、一体のものです。この歌が歌い継がれて、その歌詞を基にして14章の奇跡物語が出来上がったのです。

つまりこういう経緯です。イスラエルが海を渡り、エジプト軍が海の中に沈んだときに(19節)、アロン・モーセ兄弟の姉である預言者ミリアムが礼拝を仕切ります。楽器を手にして、踊りながら、賛美歌を歌います。「主に向かって(あなたたちは)歌え。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた」。これは即興の賛美歌です。今起こった出来事をラップのように歌い上げたわけです。以前にも、We shall overcomeの2番の歌詞が即興で生まれたことを紹介いたしました。それと同じです。

それに対して、モーセとイスラエルの民も即興で応えて賛美歌を歌います。ラップのかけあいと似ています。日本でも返歌という即興詩の応答があります。「主に向かってわたしはわたしたちは:いくつかの写本)歌う。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた」(1節)。主語以外はまったく同じ単語が使われていることが分かります。

ミリアムが「あなたたちは歌え」と賛美をリードし、それにモーセが「わたしは歌おう・・・」と応えます。それに呼応して、ミリアムが「主はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い・・・」(2節)と付け加えます。それに対して、今度はモーセとイスラエルの民が「わたしたちは歌おう・・・」と応えます。ミリアムがさらに別の歌詞、「主こそいくさびと、その名は主・・・」(3節以下)と付け加えます。それに対して、イスラエルの民全体が「わたしたちは歌おう・・・」と繰り返し部分だけ一緒に歌うのです。こうして救われたその場で即興の会衆賛美が生まれます。改訂こどもさんびかの19番「てんにいますわたしたちのちち」の仕組みと同じです。

この時点では感動が人々の記憶に残っているだけです。日常生活の中、労働や子育ての中で、人々は口ずさみ、自分でアレンジを加えます。徐々にかたちを変えながら代々言い伝えられていきます。この際に歌であることが重要です。メロディーがあるので歌詞が覚えやすくなるからです。たとえば6節のような歌詞は、類似の内容の繰り返しです。これも記憶の助けになります。さらに毎回の礼拝があります。アレンジは加わっても、必ず全体としての軸は変わらないまま保存されることになります。集団の記憶になるからです。

長い間、海を渡るという奇跡的救いは、1-12節のような歌によって、礼拝をする人々の口から口へ歌い継がれていきました。海が神の霊風によって分かれたこと、壁のように右左に海の水が立ち上がったこと、それがエジプト軍を飲み込んだことが、歌として記憶されます。先週の物語は、叙事詩の記憶から書き起された救いの物語だったのです。歌が先・物語が後です。

礼拝で歌い継がれた賛美歌が文字に起こされます。この作業は紀元前10世紀以降でなければありえません。フェニキア文字が発明された後でなくては、文字起こしそのものが不可能なのです。「ダビデの詩」が残されているのも、彼が紀元前10世紀の人だからです。文字となった言い伝えの賛美歌は、礼拝にふさわしいかたちにさらに練り直されます。記録は記憶を保存し拡張させます。13-18節の内容は、ダビデの時代以降の付け加えでしょう。そして礼拝用の讃美歌集が作られていきます。旧約聖書の中に残る「詩編」は、今申し上げた過程によって150編からなる大作になりました。

海の歌はその典型例であり、ミリアムが即興で歌い始めたことは、大きく言えば詩編編纂の歴史的第一歩です。いや旧約聖書という本そのものの誕生の第一歩と言ってもいいかもしれません。歌が先・物語が後です。

この先後の関係は、時間的な先後だけではなく、ことがらの優先・劣後の関係でもあります。聖書の民にとって、救われた感動を共に歌うことが、文字である救いの物語を読むことよりも優先されるのです。もしモーセが通訳者アロンを通して出エジプトの出来事を説教しても、大勢の民は感動を追体験しないでしょう。歌には独特の力があります。ましてやミリアムはモーセの「命の恩人」なのですから、この場面は「ミリアムが先・モーセが後」が自然です。

ただしもしミリアムが一人で歌っても、その後ろを女性たちが同じように楽器をもって踊り・歌わなければ、モーセやイスラエルの民も共に歌うことはなかったでしょう。そして共に歌う経験がなければ、大勢の民はひとつにならないでしょう。会衆賛美と独唱は違うものです。

ライブのコンサートでも似たような現象があるはずです。その歌手/バンドのボーカルの独唱にうっとりする場面があったとしても、必ずよく知っている歌や繰り返し部分などを聴衆と共に歌うではないですか。かけあいがあるはずです。そうして聴衆が主役の一人になって、全体がひとつになる感動が歌によって生まれるものです。記録には残らないけれども人々の共通の記憶となることに価値があります。だから歌手はライブをするし、だからファンはライブ会場に喜んで足を運びます。そのライブを後に記録として読んでも、たとえばどんなに人数を多く集めたか、何が歌われたかなどが詳細に記されていても、感動としては劣っています。この意味でも歌が先・物語が後です。

歌の重要性を通じて今日わたしが申し上げたいことは、ミリアムという人物の再評価・復権です。そして、わたしたちの礼拝にとっての教えです。この二つのことはわたしたちが何を大切にして生きていくべきかを示します。

ミリアムは預言者と呼ばれています(20節)。旧約聖書の女性で預言者と呼ばれている人は四人しかいません。ミリアム、デボラ(士師記4章4節)、フルダ(列王記下22章14節)、イザヤの妻(イザヤ8章3節)だけです。新約聖書では、アンナ(ルカ2章36節)、フィリポの娘たち(使徒21章9節)、コリント教会の女性たちが挙げられます(Ⅰコリント11章5節)。〔「女預言者」という訳は、「女医」「女子大生」みたいで嫌ですね。〕

預言者はモーセの称号です。イスラエルの最高指導者という意味があります。主だけが王であり(18節)、民の中の最高位は預言者です。だからイスラエルは、ミリアム・アロン・モーセの姉弟たちの集団指導体制だったのです。裁判官としてのモーセ、モーセの通訳者であり儀式を司るアロン、礼拝指導者としてのミリアムという「三頭政治」が、イスラエルの自治です。

さらにミリアムは礼拝指導者でもありました。「祭儀預言者」とも言います。イスラエルの民の礼拝をリードする立場の人です。神の霊感を受けて即興の歌をつくり、表現者として踊り、人々を高揚させ、ひとつにまとめあげる指導者です。預言は詩文学の一つなので、礼拝の会衆賛美と結びつきやすいのです。ヘブライ人たちは人種的につながっているわけではなく、主を信じる信仰によって結びついた集団です。信仰共同体にとって、救いの歌を預言として生み出す礼拝指導者の役割はとても重くなります。それによって、主だけが王であることを礼拝ごとに体感しながら、民を一つにしているからです。

ミリアムを再評価する観点から、歌詞を確認していきましょう。ここには逆転が描かれています。この世界で猛威をふるい、暴力によって人々の身も心も凍てつかせ固まらせるものたちが、逆に固まってしまう様子が描かれています。軍隊は「石のように」(5節)、「鉛のように」(10節)海の中に沈みます。「深淵(5節)/大水(8節)」「海」も、猛威をふるう怪物ですが固まってしまいます(8節)。固まる海の水によって最強のエジプト軍が固められ全滅したことを聞き、周辺諸国も「震え」「おののき」「わななき」「恐怖とおののき」によって「気を失い」「石のように黙し」ます(14-16節)。これらの表現は、周辺諸国が固まってしまった様子を描いています。

わたしたちを脅かすものたちはわたしたちの心身をしばしば固まらせるものです。信仰を持つ者は主がその脅威を固まらせる方であることを歌い上げ、希望を持ち続けることができます。目に見えている現象とは逆の不思議な「御業」(11節)が、ひそかに行われていることに注目すべきです。一晩中、エジプト軍とイスラエルは膠着状態であったその時に、「憤りの風によって、水はせき止められ」ていました(8節)。そして再び神の息が水の面に吹きかけられると、それはエジプト軍を飲み込みました(10節)。見えない「右の手」(6・12節)はこの世界の歪み・不正を真っ直ぐに正し逆転させる神の救いを示します。

歌うことは同時に息を吸うことです。聖霊の神は「わたしの力、歌」です(2節)。生きて働く神は、固まるわたしたちを動かし、わたしたちを固まらせる暴力・脅威を逆に固まらせて滅ぼします。We are not afraid of youと共に歌う時に暴力をふるおうとする者が固まるのです。ミリアムの歌は即興でありながら歴代の礼拝共同体、特に女性たちに歌い継がれました(ルカ1章46節以下:マリアムの賛歌)。歌詞の中で救いの本質を豊かに表現し、その後の救いの歴史をも見通した内容であるので、正に「預言」に値する歌です。

歌が先・物語が後というルールは、わたしたちの礼拝の理想を示しています。バプテスト教会の礼拝の中心/優先されるべき要素は会衆賛美です。説教は会衆賛美に劣後します。およそ宗教とは感動ですから歌のほうが優れています。

わたしが牧師になって礼拝の会衆賛美が一曲増えたのは、歌が大事だと思うからです。また、歌う内容も重要です。「わたしたちの救い」を預言したものになっているか絶えず吟味が必要です。そこで『新生讃美歌』のなかでも新曲に挑戦したり、『新生讃美歌』だけではなく『改訂こどもさんびか』をも用いたりしています。そこには『讃美歌21』『テゼ共同体の歌』の一部が採り入れられてもいます。

みなさんは教会の礼拝に参加することをどのように言い換えるでしょうか。「お話を聞きに行く」(西方プロテスタント:バプテストも)、「み体にあずかりに行く」(西方カトリック)、「歌いに行く」(東方正教会)と大別されるそうです。この分類はそれぞれモーセ・アロン・ミリアムの要素にうまく当てはまります。欲張って全部バランスよく一つの礼拝で行いたいというのがわたしの願いです。そうすることでわたしたちが永遠のいのち・生きる力を共有できると信じるからです。特に共に歌うことによって、心身がほぐされ、わたしたちは歌そのものである主と共に生き、前を切り開く救いを経験できます。

音痴でも小さい声でも文字が読めなくても構いません。霊を注ぎ出し主のみを王と仰ぐ、会衆賛美を大切にした教会形成を共に心がけていきましょう。