モーセにはミディアン人の妻ツィポラがいました(2章21節)。そのツィポラの父親はレウエル(2章18節)ともエトロ(3章1節)とも呼ばれています。義父の職業は祭司であり羊飼いでもあります。
神と出会い、出エジプトの指導者となるように神からの召命を受けたモーセは、義父エトロに「親族に会うためにエジプトに戻りたい」と申し出ます(4章18節)。エトロは「平和のために行きなさい」と言って、快く送り出します。モーセは「妻子」を連れてエジプトに戻ります(4章20節。原文は「彼の妻と彼の息子たち」とあり、複数の息子たちがいたことを示唆はしていた)。この時点では、妻ツィポラと息子ゲルショムの名前だけが紹介されていました(2章22節)。
読者には伝えられていない二つの事情が今日の箇所で明かされます。一つはモーセ・ツィポラ夫妻には、もう一人エリエゼルという名前の息子が居たということです(4節)。エリエゼルという名前は今まで紹介されていませんでした。名前の意味は、「わたしの神は助け」です。ゲルショムの名前は、出エジプト前の嘆きの文脈で紹介されました。エリエゼルの名前は、出エジプト後の解放の文脈で紹介されています。そこに著者たちの意図があります。寄留の民は、神の助けによって生きるのです。ここに十字架と復活が表されています。
そしてもう一つの事情は、妻と二人の息子は、いつかわからない時点でミディアンに帰していたということです(2節)。聖書は行間の広い本です。読者に不親切なところがあります。出エジプトを果たした後だと思いますが、ツィポラ・ゲルショム・エリエゼルはエトロの家に滞在していました。それは、出エジプトの成功を伝えるためかもしれません。婿のモーセがエジプトに行った目的は、実はヘブライ人たちの出エジプトのためだったということを、ツィポラは父エトロに改めて報告したのではないでしょうか。何しろ詳しく言わずにミディアンを出たのです。そして、驚くべきことに史上最強のエジプト軍の追跡を振り切って、イスラエルは荒野まで逃げることができたということを、興奮混じりに報告したのでしょう。実家への立ち寄りは、エジプトからパレスチナに向かう途中にミディアンがあるので、好都合だったのでしょう。
エトロは婿の成功を聞いて(1節)、いてもたってもいられなくなり、ツィポラ・ゲルショム・エリエゼルを連れてモーセに「おめでとう」と言うために来たのだと思います。これ以上、離れると追いつけなくなるかもしれないと考えて、急いで訪問をしたのでしょう(5節)。
「神の山(ハル・ハ・エロヒーム)」はホレブ山(別名シナイ山)のことです(3章1節、19章1-2節)。モーセが神と出会い、またアロンと出会った場所です(4章27節)。そこで、ミディアン人祭司であり義父であるエトロと、嬉しい再会を果たします。アロンとの出会いで、ミディアン人だったモーセはヘブライ人信仰共同体に加えてもらいました。そしてエトロとの出会いで、モーセはミディアン人祭司であるエトロを、ヘブライ人信仰共同体の大切な客として迎え入れます。
同じ神の山の出来事ですから、わたしたちはこの対応に注目しなくてはいけません。この出来事はわたしたちにとって他の宗教を持つ人たちとの付き合い方を教えています。
モーセはエトロを迎えるために出てきます。彼らは互いにひれ伏します。「ひれ伏す」は「礼拝する」と訳されることもあります。自分自身を折り曲げる行為です。わたしたちが改まった挨拶の時に、正座をして両手をついて頭を下げるのと同じです。そして彼は彼に口づけします。原文ではどちらが口づけしたかは不明です。口づけは親しい者同士のあいさつでした。ここまでの曖昧な表現でも、モーセとエトロが相互に尊重していることが分かります。
さらに7節を直訳します。「そして彼らは平和のために各々その隣人に質問をした。そして彼らは天幕に入った」。「平和のために行きなさい」と言ってくれた舅エトロが、今また「平和のために」と声をかけてくれていることに、モーセは感謝をし、「平和のために」と応じています。互いの平和のために祈る二人は、真の意味で「隣人」となっています。同じ天幕に入ることは、その象徴です。
モーセは、天幕の中でエトロに今までの出来事を数え上げて述べていきます(8節)。それはもっぱら葦の海を渡った奇跡のことでした。ここにはエジプト人しか出てこないからです(8・9・10節)。ミディアン人にとっても、エジプトのファラオから逃げることができたのは快挙です。エジプト周辺の人々もヘブライ人奴隷に同情していました。いつ自分たちも侵略されて捕虜とされて奴隷とされてしまうのか、分からずにびくびくしていたからです。社会的弱者同士の連帯ができることに、エトロとモーセのすばらしさがあります。
エトロの態度は立派です。おそらくモーセの語ったことは、エトロは予め娘のツィポラにも聞かされ、孫のゲルショムとエリエゼルからも散々聞かされていた物語です。それを何度でも聞いてあげる態度はすばらしいものです。隣人が喜んでいる話を、毎回初めて聞いたかのように聞くことができる人は、本当の聞き上手です。さらにエトロは「喜んだ」というのです(9節)。喜ぶ者と共に喜ぶことは、案外難しい行為です。もしかすると泣く者と共に泣くよりも難しいかもしれません。
そしてエトロは、主(ヤハウェ)という神への賛美歌を歌います。ここから礼拝が始まっていきます。エトロはミディアンの祭司ですから、ミディアン人の神の名しか知りません。モーセが主(ヤハウェ)という神の名を知らなかったのと同じ理由で、エトロも知らなかったはずです。初めてここで婿からイスラエルの神の名前を教わったということになります。にもかかわらず、気をきかせてエトロは、自分の信じ仕えている神の名前を用いないで、イスラエルの神の名前を用いて賛美歌を歌います。
「主がほめたたえられるように。主はエジプト軍からファラオの権力からイスラエルを救った。主はすべての神々よりも偉大だ」(10-11節)。すべての神々(コル・ハ・エロヒーム)の中には、当然ミディアンの神も含まれます。自分の信じている神を絶対視しないところにエトロの凄みがあります。
賛美に続いて犠牲です。イスラエルの礼拝の中心は犠牲祭儀でした。エトロは、イスラエルのやり方で礼拝をします(12節)。お坊さんが、教会で説教をするようなものです。エトロは神/神々(エロヒーム)に犠牲を捧げます。ここでは「主(ヤハウェ)」という固有名が避けられています。エトロが礼拝をした相手は、イスラエルの信じる唯一の神エロヒームかもしれませんし、エトロ自身が信じる神かもしれません。不特定多数の神々であるかもしれません。冠詞「ハ」が無いからです。どちらともとれるようにしていることに聖書の記述の特徴があります。
さらに礼拝は続き、民の代表者たちが神(ハ・エロヒーム)の面前で食事をする場面に進みます。後の大祭司アロンと、イスラエルの長老全員が集まります。4章29節と同じ場所・同じメンバーです。24章1節を参考にするならば、70人以上のひとびとでしょう。フル・ミリアム夫妻、ヨシュア、ツィポラ、ゲルショム、エリエゼルもそこにいたことでしょう。ミディアンの祭司がイスラエルの方式で礼拝を執り行っている姿に感銘を受け、イスラエルの代表者たちが共にパンを分かち合うために集まります。彼ら・彼女らも、礼拝を仕切ることができたのですが、エトロの犠牲祭儀を見届けてから、つまり一歩退いて、礼拝の後半部分だけを共有したのです。エトロの態度も立派でしたが、アロン以下イスラエルの長老たちの態度も立派です。イスラエルの神と神礼拝様式を独占しようと思っていないからです。
聖書の他の場面にも他民族と共に食事をとるという出来事が記されています。その場合は大体、和解のための食事です。けんかをしていた両者が、平和を約束するために共に食事をします。誓いを交わすので、神の面前での食事と考えられたのです(創世記26章26節以下、同31章54節)。
今日の箇所の場合は、イスラエルとミディアンの間に争いごとはありません。むしろ良好な関係だけが報じられています。その良い関係を、さらに良い関係にするために、共に神の前でパンを分かち合っているのでしょう。この神はイスラエルにとっては、ヤハウェという名前を持つ「かの神」です。エトロにとっては、自分の信じるミディアン人の神です。モーセ・ツィポラ・ゲルショム・エリエゼルにとっては(この人たちは「改宗者」なのですが)、どちらの意味も含む「かの神々」です。お互いに厳密に詰めないところがミソです。このような距離感の確保によって平和な食事がもたらされます。
今まで示してきたように、わたしたちの礼拝の基本的な筋はイスラエルの伝統に沿っています。神賛美があり、何かを神に捧げる行為があり、神の前で共に食べる行為があるということは、わたしたちにまで継承されています(会衆賛美・献金・主の晩餐)。だからこそ、エトロとの礼拝は直接わたしたちの礼拝への示唆となり、挑戦となります。お坊さんや神主やラビが来て、教会の礼拝を仕切っている姿をわたしたちは想像しなくてはいけません。また、逆にわたしたちが仏式・神道式・シナゴーグやモスクでの礼拝をする場合、どのように振る舞うべきかを教えてもいます。相手の方式にならって、そこに付き合うのが平和のためになるということでしょう。
今日の小さな生き方の提案は、「多様性を認め合うという平和をつくろう」ということです。イスラエルは直前の箇所で泥沼の戦争をアマレク人としてしまいました。一つの水を分かちあえなかったことが原因です。そのイスラエルが、一つのパンを分かち合う平和をミディアン人と実現しました。わたしたちは戦争のつくりかたではなく平和のつくりかたを聖書から学びます。
エトロはモーセの喜びを自分のことのように喜びました。相手の話を聞きました。相手の神をほめました。自分の神よりもほめたのです。そして相手の神を、相手の神の礼拝方式に従って、礼拝しました。その態度に、アロンを始めとする長老たちが敬意を払い、共に平和の食事をとることとなったのです。
世界は一つの天幕なのだと思います。堅牢なコンクリート製の建物ではなく、中でいさかいがあると壊れてしまうような簡易住居です。その狭い天幕の中で、自分にとって有利な国境を引こうとやっきになることはばかばかしいことです。狭い天幕の中で、お互いの特徴をあげつらって軽蔑し合ったり、パンの奪い合いをしたりするのは愚かしいことです。しばしば宗教の違いによって争いがより熾烈なものになることを真剣に反省しなくてはいけません。
わたしたちの毎週の礼拝が、神の山での共食になるようにと願います。そこで「多様性における一致」を体験した一人ひとりが、世界に出ていき自分の生きているところでそれを実現していくことを願います。その小さな営みの積み重ねと広がりが世界を変えていくのです。平和のためにいきましょう。