ペンテコステの日 使徒言行録2章43-47節 2018年5月20日礼拝説教

今日はペンテコステという日です。ペンテコステは、教会の誕生日です。何歳になったのでしょうか。1988歳か、1987歳です(紀元後30年か31年)。教会は随分長生きです。一人の人ではないからです。そして一つの教会だけではないからです。もちろん一番初めはただ一つの教会だけでした。
世界で最初のペンテコステの日(0歳の誕生日)に、何があったのかをお話いたします。世界で最初の教会がエルサレムという町で生まれたお話です。
ペンテコステの52日前、イエスさまは十字架で殺されました。イエスさまの弟子たちは、自分も殺されるかもしれないと怖がって、エルサレムの町の宿屋に隠れていました。
ペンテコステの50日前、イエスさまは鍵をかけた部屋の中に、すっと入ってこられました。死んだ人が現れたのですから、弟子たちは幽霊だと思いました。
ところがイエスさまは優しく、「安心しなさい」と言います。そして弟子たちを赦します。実は、弟子たちはイエスさまを見捨てて逃げてしまったのです。十字架においやってしまったのです。だから、怒られると思っていました。しかし、イエスさまは「ごめんなさい」と言われる前に、先に赦します。
弟子たちは嬉しくて、復活したイエスさまとご飯を食べます。一緒に暮らします。前と同じです。同じようにして旅をしていたのですから。弟子たちはイエスさまと一緒にご飯を食べ、お話をし、宿をとっているうちに元気になってきました。
40日が経ちました。ペンテコステの10日前、イエスさまはいなくなりました。天に昇って見えなくなりました。「10日待ちなさい。わたしの霊をあなたたちにプレゼントするから。そうしたら、わたしが居なくても元気が出るようになるよ(永遠の命)。その力で、教会を生み出しなさい。わたしが見えるとあんまり良くない。見ないで信じるほうが本物の信仰です。聖霊が来れば、本物の信仰が与えられますよ。さようなら」
残された弟子たちは、寂しくなりました。イエスさまが見えなくなったからです。弟子たちは、また部屋に閉じこもってしまいました。そして困ったから、お祈りをします。イエスさまの約束を思い出してお祈りをします。10日経ったら、イエスさまの霊がプレゼントされることを待って、「本当に聖霊が来ますように」とお祈りをします。♫「聖霊よ来てください、命を与える聖霊よ」。
イエスさまはご飯を食べる時にいつもお祈り役・パンを割く役・杯を回す役をしてくれました。いなくなって困ったので、みんなで代わりをすることにしました。寂しいけど、ぎこちないけど、黙って一緒にご飯を食べて暮らしていました。
そしていよいよペンテコステの日が来ました。今から1988年前の今日この日です。
いつものように弟子たちがお祈りをしていると不思議なことが起こりました。不思議な風がびゅうっと部屋の中に吹いたのです。舌のような形の炎のようなものがひとりひとりの頭に止まりました。また、見えないけれどもイエスさまの霊が、ひとりひとりの中に入りました。風を吸い込んだ時に、みんなは霊が入ったことを感じました。
すると弟子たちは黙っていられなくなりました。体の中から力が湧いてきました。みなさんも嬉しいことがあった時に、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんに、大きい声で話したくなるでしょう。そういう元気がみなぎってきたのです。あんまり大きな音と声だったので、エルサレムに来ていた人々が「何だ、何だ」と集まってきました。
部屋を飛び出し、弟子たちは大声で人々に言いました。「わたしたちの元気の源はこれです。イエスさまは十字架で殺され、三日目によみがえらされ、天に昇り、今日聖霊をわたしたちにくださいました。聖霊がわたしたちに力を与えています。みなさんにも、聖霊をプレゼントしたいのです。」
これを聞いた人々はびっくりしました。「わたしたちは色々な国から来ていて、ガリラヤの言葉はわからない。それなのに、この人たちが話す言葉が、自分の国の言葉に聞こえる。意味が分かるぞ」。意味がわかる言葉は嬉しい言葉です。だからスクリーンにもひらがなで賛美歌の歌詞が書いてあります。
「みなさんはとても嬉しそうだ。聖霊というものをどうすればもらえるのか教えてほしい」。人々は弟子たちに尋ねました。「バプテスマを受けましょう。そして一緒に教会をつくりましょう。毎週イエスさまを礼拝しましょう。そうすれば聖霊は必ず、みなさんの中にもプレゼントされます。聖霊を受け取ると、生きていこうという気持ちが与えられます。そしてそれを他の人に言いたくなってしょうがなくなります。わたしたちのように」
なんとその日に3,000人の人がバプテスマを受けました。この人たちはまた自分たちの住んでいる町に帰りました。外国に住んでいたユダヤ人だったのですね。そして、それぞれの町で自分の言葉で礼拝をする教会をつくりました。
ペンテコステの日に生まれた教会は、1988年前にどのようなことをしていたのでしょうか。聖霊を受け取った集まりは、どのようなことを行うようになるのでしょうか。泉バプテスト教会のわたしたちにまで続くことが、行われています。「持ち寄ること」と「分け合うこと」です。聖霊は人々を教会に集めて、聖霊は人々を教会から散らします。何かを持って集まる人々が、別の何かを持って毎日の暮らしに散らされます。
たとえば「困った」を持ち寄ります。「わたしは暮らしの中でこれが足りない」と言う人が来ます。別の人は、「持っているもの」を持ち寄ります。握手されたことがないという人は、教会で平和の挨拶をして嬉しい気持ちで帰ります。音楽がないという人は、教会で賛美歌を聴いて嬉しい気持ちで帰ります。聖書の話を聞いたことがないという人は、教会で聖書の話を聴いて嬉しい気持ちで帰ります。食べ物がないという人は、教会で主の晩餐をして嬉しい気持ちで帰ります。友だちがいないという人は、教会でお祈りをしてもらって嬉しい気持ちになります。
お金はないけど笑顔は持っているという人は、教会で平和の挨拶の時ににこにこしています。歌がうまい・楽器が弾けるという人は教会で大きい声で歌い奏楽をします。聖書の話ができる人は教会で聖書の話をします。食べ物を持っている人は教会で食べ物を分けます。気配り上手の人は教会で誰かのために祈ります。これはみんなイエスさまがしていたことです。
見えないイエスさまの代わりに、イエスさまの真似をすることが、イエスさまを礼拝するということです。聖霊を受け取っていないと、イエスさまの真似はできません。ペンテコステの日の7日後、エルサレムに住んでいた教会員の家に弟子たちは集まって礼拝を始めました。これが世界で最初のキリスト教会です。
教会は毎週日曜日に礼拝を繰り返しながら仲間を増やしていきました。持ち寄って分け合うのです。昔も今も同じことを教会は行い、同じ出来事が起こっています。現に今日は一人仲間が増えました。嬉しいですね。
これからも人生の「困った」を共に祈り、わかりやすい言葉で共に賛美をし、聖書を読み、主の晩餐を行いましょう。この交わりを丸ごと覆う聖霊がおられます。この人と人の間をつなぐネット(関係の網目)として聖霊がおられます。ひとりひとりの中に今聖霊がおられます。聖霊はわたしたちに明日を生きる力・希望を与えています。ペンテコステの日に起こった出来事は、今・ここで・わたしたちにも起こっています。ここで持ち寄り、ここで分け合い、ここから出て行き、それぞれの人生を活き活きと生きることでキリストを証しましょう。