最後の晩餐が、過越祭初日の特別な食事だったのか(マルコ・ルカ・マタイ)、それとも過越祭前日の一般的な食事だったのか(ヨハネ・パウロ)、聖書の内部で意見が真っ二つに分かれています。史実は当然一つ。ヨハネとパウロの立場が史実通りと推測します。その理由は、マルコ・ルカ・マタイの最後の晩餐記事においてすら、参列者が羊の肉・苦菜を食べていないことにあります。またパンが種なしパンであることも明記されていません。羊肉・苦菜・種なしパンは過越祭の必須要素です。ヨハネとパウロは、イエスの十字架刑を、過越祭前日に子羊をと畜することと同一視しています(ヨハネ福音書1章29節、13章1節、同29節、19章31節、同36節、Ⅰコリント5章7節)。
実際、祝祭の最中の裁判と処刑は考えにくいものです。史実としての最後の晩餐は、女性らを含む過越祭前日の普段の夕食だったと推測します(ヨハネ13章)。ただし、その席上イエスは同席者に並々ならない覚悟で普段と異なる言葉を遺言として残しました。翌朝の処刑を前に、「これはわたしの体・これはわたしの血。パンとぶどう酒を飲むたびにわたしを思い出せ」と遺言したのです(Ⅰコリント11章)。ほどなく男性十二弟子の権威付けのために、当初の同席者だった女性弟子たちが外されます。そしてマルコ教会は、毎主日礼拝で行なう「主の晩餐」の格付け(旧約聖書による根拠付け)のために、最後の晩餐を過越祭の食事と結びつけ、十字架の日を一日ずらしました。
ルカはマルコにならって日付をずらします。それによって得られる内容があるからです。最後の晩餐を過越祭の食事とするならば、前日に特別な準備が必要となります。この準備という手間に人を生かす言葉(福音)を込めることができます。ルカ教会はパウロ系列の教会ですから、パウロの考える日付をも知っています。次週取り上げる通り「主の晩餐の式文」についてルカ教会の礼拝は、パウロの伝承式文(Ⅰコリント11章23-25節)を用いています。その一方でルカ教会は、パウロとマルコ福音書とを比べながら、十字架の日付についてはマルコを選びました。そして、いくつかの手直しをマルコ福音書に行いました。これらの点から、わたしたちにとっての福音を聞き取っていきましょう。
ルカ版のイエスは、ペトロとヨハネを名指しして、過越祭の食事の準備をさせます。任命の時点はおそらく毎朝の神殿境内での聖書解説の後です。現代風に言えばパーティーの幹事役。ご承知のとおり幹事は地味で骨折りの役回りです。この二人は、使徒言行録前半の主役です。ルカ福音書の最後に登場させることで、両者を結びつけています。そして、使徒たるものがどのような役割をすべきかを教えています。それは交わりの縁の下の力持ちとなることです。「使いに出す」(8節。アポステロー)は、使徒(アポストロス)の語源です。
幹事の最初の仕事は会場をおさえることです。「どこに用意いたしましょうか」(9節)は当然の問いです。ルカ版のイエス一行は、オリーブ山に野宿を続けていました。エルサレム市街の宿屋を借りなくてはいけません。ローマ帝国中からユダヤ人巡礼者が、エルサレムで過越祭を行おうと集まっています(申命記16章)。宿屋はどこも満員です。
「部屋」(11節。カタリュマ)は「宿屋」という言葉であり、クリスマス物語の「宿屋」と全く同じ単語です(2章7節)。神の子が誕生した時に、宿屋には泊まる場所がなく、馬小屋があてがわれました。その時からメシアは野宿者だったのです。唯一の例外は、十字架で殺される前夜の食事です。そこには奇跡的に宿屋が用意されました。神の、神の子に対するねぎらいが、ここに示されています。「席の整った二階の広間」(12節)は、「寝そべって食べられるほどに十分広げられた大きな二階部屋」という意味です。誕生時にくつろげなかった神の子が、死の直前にやっとくつろげたのだという筋が見えます。ルカ福音書は、「宿屋」という単語でイエスの生涯をまとめています。メシアは地上では旅人だったというまとめです。
「水がめを運んでいる男」(10節)は、当時のエルサレム市街において目印になるほどに珍しい存在でした。なぜなら、水汲みという家事労働が女性に押し付けられていたからです(ヨハネ福音書4章7節)。今でもありうる性役割分担です。家事・育児は女性の仕事という思い込みが、日本社会にも根強く残っています。外科医や政治家は男性の仕事という性役割分担も未だに存在しています。水がめを運んでいる男は奇跡/しるしです。この男性か、あるいはこの男性(家奴隷か)の主人は、性役割分担という考え方から自由なのです。
イエスがペトロとヨハネに教えたかったことの一つに、性役割分担からの解放もあります。大勢の人でごった返している都で、自由な少数者を探すこと。その人に「ついて行く」(10節。アコルオー:従う/後ろを歩く/弟子となる)こと、その人の主人と話すことは、変わった人の仲間入りをすることです。イエスに従い、神に出会うことも、これに似ています。
このような変わった宿屋だから、繁忙期にもかかわらず空きがあったのかもしれません。事前の予約なしで過越祭当日の宿屋を取るという奇跡が起こる前に、「奇跡を起こす条件」がすでに整っています。奇跡の前に、奇跡を起こす条件としての奇跡が必要です。
ペトロとヨハネは、イエスの指示通りに市街に行き、水がめを運んでいる変わった男性を見つけました。そして風変わりな男性の主人に出会い、伝言を告げました。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています」(11節)。初対面にもかかわらずこの挨拶は一体何だろうと、宿屋の主人は考えます。しばらく思いめぐらしたかもしれません。二人のガリラヤ地方の言葉使い、二人が「先生」と呼んでいる人物が、ナザレのイエスである可能性について、考えたはずです。エルサレム在住の彼はイエスがサドカイ派の権力者たちに嫌われていることも知っています。そのイエスと弟子たちのために宿を提供することは彼にとっても危険なことです。熟慮の末、主人は二人を二階の広い部屋に通しました。二人は、イエスの指示通りに出来事が進んでいる奇跡に感激しつつ、「過越の食事を準備した」(13節)。
食事の準備にはどのような実務があったのでしょうか。パウロの師匠にファリサイ派のガマリエルというラビがいます(使徒言行録5章34節、22章3節)。彼の言葉が、現代も用いられている「過越祭の式次第」で紹介されています。ガマリエルは、「犠牲獣の肉・種なしパン・苦菜の三つが過越祭には必須だ」と言っています(出エジプト記12章8節)。後1世紀のユダヤ人全般の習慣とみて良いでしょう。これらを購入する買い物という家事労働が必要です。
犠牲獣の肉を手に入れるための正式ルートは神殿です。エルサレム神殿ではその日大量の羊・山羊・牛が巡礼者たちに購入され、祭司たちによってと蓄された後、巡礼者たちに配られました。巡礼者たちはそれを宿屋に持ち帰って、焼いて過越祭の食事として食べるのです。ところがイエスは神殿境内で行われる、犠牲獣の売買に反対でした。ペトロとヨハネは苦菜と種なしパンを買うことはできたでしょうけれども、犠牲獣を手に入れることはできません。
宿屋の主人は、神殿から手に入れた犠牲獣の血を鴨居と二本の柱に塗りつけます(同7節)。それは自分の家族や僕のためでもあり、二階に泊まる客のためでもありました。その後、その肉を焼いて調理をし、ペトロとヨハネに分けてくれたのかもしれません(同4節)。あるいは、肉なしの過越祭をイエスの一行はせざるをえなかったのかもしれません。後者の場合、実に惨めな過越の食事です。彼らは欠けたままの、「未完の過越祭」を行ったのです。
ペトロとヨハネにはまだ準備の作業が残っています。大きな部屋の掃除です。「七日の間、家の中に酵母があってはならない」(同19節)とあります。だから過越祭の前日までに、その家の主人は責任をもって大掃除をし、酵母/パン種を家の外に出すことが習慣となっていました。一年に一度だけであることは残念ですが、掃除という家事労働が家長に義務付けられていたのです。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい」(ルカ福音書12章1節)という言葉は、過越祭の前日のパン種を除去する大掃除を前提にした警告です。
ペトロとヨハネは二階の大部屋を一所懸命に掃除します。もしかすると、二人は手分けをして、一人は買い物、一人は掃除をしたのかもしれません。二人を遣わす旨みです。懸命に掃除をする姿には、「無くした銀貨を探す女性の譬え話」(15章8-10節)の裏返しが示されています。
教会の指導者である使徒は、いつも掃除をしなくてはいけません。銀貨を見つけるため、または、パン種を除くためです。たった一人の「この社会で失われてしまった存在」を見つけるため、または、毎週行われる礼拝・主の晩餐のためです。ペトロとヨハネは貴重な訓練を受けています。仕えるというリーダーシップが教会の指導者には求められます。地味で骨折りで、誰からも評価されないような仕事こそが、教会という交わりの基礎です。黙々と家事労働を行なう二人は、風変わりな宿屋の主人や僕と信頼関係を築きました。
マルコ福音書はイエスが逮捕され、「男性弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げた」(マルコ福音書14章50節)ことを強調しますが、その後彼らがどこに行ったのかについて無頓着です。ルカ福音書は使徒たちが逃げたことを報告しません。彼ら彼女らは、この宿屋にずっと泊まり続け匿われていたのではないでしょうか。裁判の経過も見守ったペトロ・ヨハネを宿屋の主人は労います。
復活のイエスもまた、この宿屋で40日の間、使徒たちと生活を共にしていたのではないでしょうか。身ぐるみはがされ釘打たれたままの姿のイエスは、まるで強盗に遭って半殺しにされた人のようです。ここには「サマリア人の譬え話」(10章25-37節)が共鳴しています。宿屋は傷つく者たちを一時避難させ快復させる場所です。それゆえに、宿屋は教会の喩えにもなりえます。
イエスが昇天した後も、使徒たちの宿泊はペンテコステの日まで続きます(使徒言行録1章13節)。聖霊降臨は、この宿屋で起こり、この二階の大きな部屋からペトロは街の人びとに説教を始めた。この宿屋こそが初代エルサレム教会発祥の場所となったと、ルカの教会は考えています(同2章)。宿屋の人々も教会員です。だからこそ、ペトロとヨハネというエルサレム教会の「柱」が、過越の食事を準備する担当者に任命されなくてはいけなかったのです。
教会の誕生という奇跡の前に、奇跡を可能にする条件が整っていました。それは過越の食事/最後の晩餐が、この宿屋で準備されたという奇跡です。宿屋の主人が場所を提供したことやペトロとヨハネが家事労働に汗をかいたことが、信徒の家で行う礼拝を可能にしました。毎週の家の掃除や買い物、持ち寄りの会食を伴う礼拝の実践につながっていきます。教会の礼拝は家事労働に近いものです。それだから性役割分担からの解放が礼拝で起こります。
今日の小さな生き方の提案は、わたしたちを縛りつけている「らしさ」からの解放です。毎日わたしたちは「~らしさ」を演じて生きています。社会で生きるために必須の演技です。しかし演技は自らを失わせます。傷を負うことにもつながります。風変わりな団体としての教会は、礼拝によって「らしさ」から人を解放します。それによって人々を匿い・一時避難させ・癒すのです。