立ち直ったら ルカによる福音書22章31-34節 2018年9月16日礼拝説教

シモン・ペトロはイエスの一番弟子と呼ばれる人物です。「シモン」(31・33節)が本名で「ペトロ」(34節)があだ名です。シモンという名前はギリシャ語名。ヘブライ語名はシメオンです(使徒言行録15章14節)。当時のユダヤ人は二つ名前を持つことがありました。パウロ/サウルと同じです。「ペトロ」は「岩」という意味のギリシャ語名詞「ぺトラ」を男性の名前にしたもの。イエスが付けたあだ名です(6章14節)。もっともイエスは普段アラム語を使っていましたから、当初のあだ名は「岩」という意味のアラム語名詞「ケファ」だったと考えられます(ガラテヤ2章9節)。シモン・ペトロないしは、シメオン・ケファと呼ばれるイエスの一番弟子について、特に福音書・使徒言行録という歴史を編纂したルカ教会の立場を尊重し、読み解いていきます。

十二弟子/使徒の筆頭ペトロは使徒言行録の前半の主役です。彼の主導のもと、初代教会が設立された様子が描かれています(1-5章)。しかし、二つの流れによって、ペトロの力は分散されます。一つはギリシャ語を話す指導者たちの流れ(6-7章)。この流れに非ユダヤ人伝道をするパウロの流れも位置します(8-9章)。ユダヤ民族主義を乗り越えたこの流れが、最終的にはキリスト教の歴史の主流となっていきます。わたしたちもその末端です。

もう一つの流れは「主の兄弟ヤコブ」の台頭です。ヤコブは十二弟子ではありません。イエスの実弟です(マルコ6章3節)。彼は当初イエスの活動に反対して故郷ナザレに連れ戻そうとしました(同3章31節)。しかし、イエスの十字架と復活の後、キリスト教会に入信し、イエスとの血縁関係を活用して初代教会の最高指導者にまで上り詰めた人物です。パウロも、ヤコブを「エルサレム教会の柱」と目しています(ガラテヤ2章9節)。ヤコブは後40年代には教会全体の代表者になりました(使徒言行録15章13節)。ユダヤ民族主義者だったと推測されます。エルサレム神殿参拝も続けていたことでしょう。神殿崩壊(後70年)と共にユダヤ民族主義重視のキリスト教の流れは絶たれます。

ペトロは、パウロとヤコブの間に位置します。彼はサマリア人や非ユダヤ人に対する差別を乗り越えています(8・10-11章)。ユダヤ人の通過儀礼である割礼をしていない人とも共に教会生活を過ごせる「開かれた人」です。

しかし、ユダヤ民族主義者たちを前にすると、非ユダヤ人と晩餐を共にしなかったようです。パウロは、ペトロの妥協的な気の弱さを批判しています(ガラテヤ2章11-14節)。「ぶれる人」でもあります。板挟みになりやすい、気の良い性格が伺われます。厳しい場面に直面すると、怖じけて自分の意見を言えなくなったり、保身に回ったりすることがあるのです。

ペトロは人が良いし包容力があります。ただし気が弱い。パウロほど自分の「神学」に打ち込みません。ヤコブほど「権力」に打ち込みません。人望があり十二使徒の筆頭となり、後30-40年頃までは教会の代表格でした。その後パウロとの神学論争には付き合わず、ヤコブとの権力闘争も行わず、気の強い両者の狭間に埋もれて、歴史の舞台から去って行きました。

このような「中庸の人・ペトロ」の苦労に対して、ルカ教会は同情的です。マルコ福音書はペトロに対して(おそらくパウロにもヤコブにも)厳しい批判をしています。それに対してルカ福音書は、ペトロに対して優しい。非常に配慮に満ちた筆致でペトロを描いています。使徒言行録の前半の主役を、整合性のとれた形で福音書でも必然的に描かなくてはならないからです。

ルカ福音書もマルコ福音書・マタイ福音書と同様に、ペトロを大げさな言動をする「そそっかしい人」としても描きます。奇跡的な大漁の際には土下座をして謝りました(5章8節)。モーセ・エリヤ・イエスの「三者会談」の際にはとんちんかんな発言をしています(9章33節)。その流れの中に、本日のペトロの発言もあります。「主よ、あなたと共に居ること、また、牢の中へと・死の中へと歩むことの準備を、わたしはしています」(33節私訳)。

このそそっかしいペトロを、ルカ版イエスはこの上なく愛し庇います。ルカ福音書だけが4人の漁師の召命を描きません。ただ一人漁師ペトロの召命物語を報告します。またマルコ版イエスがペトロを叱る場面、「退け、サタン」という言葉ごとルカ福音書からごっそり削除されています(9章21-27節)。「ペトロがサタンそのものなのではなく、ペトロにサタンが働きかけたから誘惑に負けて罪を犯した、サタンのせいだ」という弁護の布石です(31節)。

他の福音書と同じくルカ版イエスも、事あるごとにペトロ(とゼベダイの息子たち)を同伴します(8章51節、9章28節)。これらに加えてルカ版イエスだけが、ペトロ(とヨハネ)を最後の晩餐の準備のために遣わします(22章8節)。これも他の福音書にない名指しの任命です。

牢の中へと」(33節)は、他の福音書には登場しません。この時、牢には入らなかったけれども、後に教会の指導者となってからペトロは、キリスト信仰のゆえに投獄されています(使徒言行録12章)。使徒言行録を編纂したルカ教会は、ペトロの投獄を知っています。そしてその出来事に敬意を払っているので、「牢の中へと」という一句を最後の晩餐の場面に入れています。

ルカ版のペトロは優等生であり、良い質問をして教師イエスのクラス運営を助けてもいます(12章41節)。要するにルカ福音書全体が、ペトロを弁護しています。イエスにも愛され、みんなからも一目置かれた、使徒の代表者としてふさわしい人物というように描いています。

パウロでもなくヤコブでもない。ルカ福音書の登場人物はイエスを始めとして、このようなペトロが大好きです。福音書の読者もペトロのことを好きになるようにと、福音書は方向づけしています。

本日の箇所にもルカ版イエスの(ルカ教会の)、シモン・ペトロに対する愛情が溢れています。「シモン、シモン、見よ、サタンがあなたたちを穀物のように揺することを願った」(31節私訳)。名前を呼ぶことは、相手への愛情を示します(7章40節、10章41節、16章24節、19章5節)。しかもここでは二回です。イエスはペトロが揺さぶりに弱いことを知っています。厳しい場面に直面した時に、保身のためにイエスを引き渡す側に転ぶことを予測しています。そしてイエスはペトロのためだけに祈ったとさえ言います。これもルカ版イエスのみの発言です。

「さて、わたしこそが、あなたの信がなくならないようにと、あなたのために祈ったのだ」(32節前半私訳)。「なくなる」はルカ好みの動詞で、イエスが死んだ際にも用いられます。「太陽がなくなる」(23章45節)ということと、弟子たちのイエスに対する信・希望がなくなることが重なっています。十字架刑死はすべての弟子たちの信と望みを奪う力を持っています(24章20-21節)。

弟子たち全員が揺さぶられ信がなくなる状況が起こると予測される中、イエスはペトロのみを依怙贔屓して、「このわたしがあなたのためだけに祈った」と言うのです。それは何のためかと言えば、誰よりも早くペトロを立ち直らせるためです。先に立ち直るペトロが仲間たちを力づけるためです(32節後半)。

この使命を果たすためには、誰よりも先にペトロは復活のイエスに出会わなくてはいけません。必然的に。そして復活のイエスから、無条件の赦しをいただかなくてはいけません。ユダもしくはペトロが、この役回りに最適者です。最も卑劣な背信行為をしたのがこの二人だからです。残念ながらユダはペンテコステ前のどこかの時点で事故死しています(使徒言行録1章)。

ペトロはキリスト教の歴史の中で贖罪信仰成立の起点となった人物です。復活のイエスはペトロに出会い、「わたしを否定したあなたの背信を赦す」と言ったのです。ペトロが「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い人間です」と謝る前に、イエスから「あなたを赦す」と宣言されてしまったと思います。そこから悔い改めが始まり、聖書を読み直すことが始まります。ペトロが行き着いたのは、イザヤ書53章、特に5節です(旧約聖書1149ページ)。「わたしの背きがイエスを死に追いやったが、それはわたしの罪を背負うためだった。今や復活したイエスが赦しを与えている。わたしの背きがわたしの救いに役立った。」ペトロは仲間たちを励まし十字架の意味付けをしました。わたしたちの罪のせいで十字架にかかったイエスが、わたしたちの罪の代わりに死に、わたしたちの罪を帳消しにしたのだという信仰が、復活の後に確立されます。これを今もわたしたちは継承しています。

「贖罪信仰は弟子たちの自己弁護から始まった」とは遠藤周作という作家も言っていることです。当たらずも遠からずでしょう。否定的なものからも肯定的なものを生み出すことが神にはできます。ペトロの挫折も、贖罪信仰を生み出す一過程として用いられました。

パウロは復活のイエスが最初に出会った人物をケファ(ペトロ)であるとしています(Ⅰコリント15章5節。なお7節に「主の兄弟ヤコブ」も登場)。しかし、マルコ福音書はパウロの立場に反対しています。誰もイエスを見ておらず、ただガリラヤでしかイエスに会えないとします(マルコ16章8節:本来の結び)。ルカ教会はパウロの立場もマルコ福音書も知っているので、微妙な書き方を採りつつ、復活のイエスが最初に出会った人物をペトロとしています(ルカ24章12・34節)。ルカはパウロとマルコを調停しています。

ペトロが復活のイエスに出会った最初の人物だということは、わたしたちに歴史の必然というものをも教えています。ガリラヤから始まった神の国運動が、ユダヤ人教会を形成し、さらに非ユダヤ人教会へと発展していく流れを見渡した時に、ペトロがその転換点にふさわしい人物です。「イエスの十字架」という否定的な出来事が、いかにして「キリストの復活」によって「キリストによる贖い」という肯定的な出来事とされたのか、ペトロが鍵を握っています。彼が経験した復活者からの無条件の赦しという救いが、仲間たちを「新しい契約」へと、教会の設立へと動かしたからです。

「わたしはあなたに言う、ペトロよ。あなたがわたしを三度知らないと否定するまでは、今日鶏は鳴かない」(34節私訳)。もって回った言い方です。それによってペトロの否定は、運命的なものであって確実に起こる出来事であると告げられています。毎日鶏は鳴くものだからです。らせん状に進む歴史は偶然の積み重ねではなく必然の道です。必然の背後にイエスの祈りがあります。

今日の小さな生き方の提案は、必然の歴史を意識して平凡な毎日を意味あるものと考えて生きるということです。わたしたちはペトロと同じ平凡な人間です。平凡な人間の平凡な人生には、小さな成功や大きな失敗もあります。うっかり踏み外したり、尻込みしたり、前のめりになったり、逃げたり、意地を張ったり、思い出し笑いをしたり。生きていて良かった/良いのかなと思うこともありえます。聖書は、平凡な人が歴史の転換点に用いられることを示しています。振り返ったら必然の歴史の一コマとされていたとペトロのように後で気づきます。だから小さな日常に意味があり、明日も生きることに意味があります。イエスはわたしたちが自分の日常を諦めないようにと祈っています。