イエスはエルサレム住民の意思に引き渡されました(25節)。その意思とは、ピラトらローマ人たちがイエスを処刑し、バラバを解放することです。ローマ兵(26節「人々」は直訳「彼ら」)の段取りによって、バラバの代わりにイエスが二本目(真ん中)の十字架を担がされます。十字架刑はローマ風の処刑方法です。そして死刑囚に自分の十字架を運ばせるのもローマの習慣です。
ところがイエスだけが十字架を担いきれずに、丘を登ることが難しくなりました。三本目を担いでいる死刑囚に追い抜かされます。焦れたローマ兵は、畑から帰ってきたシモンという人物を強制的に徴用します。こうして、イエス、その後ろに十字架を担ぐシモン、その後ろに嘆き悲しむ女性たちを含む住民という列ができます。27-31節のイエスの言葉はルカ福音書にだけ記載されたものです。ルカ福音書は、ローマ兵による侮辱行為(マルコ福音書15章16-20節)を省いて、その代わりに女性たちへの言葉を載せています。本日は、まずルカ福音書の強調点である27-31節の説明をして、その後にキレネ人シモンについてお話をいたします。
27節の「民衆と嘆き悲しむ婦人たち」とは誰なのでしょうか。大まかにイエスの仲間なのか、それとも敵なのかの察しをつけなくてはいけません。民衆(ラオス)は、13節のピラトに召集された「民衆(ラオス)」と同じ単語ですから、同じ人々と考えるのが自然です。つまり苛立つエルサレム住民です。ということは、ここでの女性たちはイエスに敵対する人々です。49節のガリラヤから従ってきた女性の弟子たちではなく、エルサレム住民の中の女性たちです。イエスがはっきりと「エルサレムの娘たちよ」(28節)と言っている通りです。
「彼のために胸を打ち、嘆き泣く女たち」(27節岩波訳)は、職業的な「泣き女」です。「(胸を)打つ」(コプトー)は、ユダヤ人の仕草に基づいて「嘆く」という意味になります。新約聖書に8回登場しますが、今回と全く同じ用法(直接法・未完了過去・中動態・三人称・複数)ではただ一度ルカ福音書8章52節に出てきます。ヤイロの死んだ娘のために彼ら/彼女たちが胸を打つという場面です。細かい文法の話ですが、中動態は自分自身のための行動を表します(再帰)。彼女たちが嘆くのは、彼女たちのため、要するに職業として嘆き、一連の葬儀・弔いを彩っているのです。
決してイエスの死を心底から悼み悲しんでいるわけではありません。祭司長たちからかお金をもらっている「泣き女」たちと、イエスを殺しつつあるエルサレム住民とが混じり合って、侮辱行為を続けながら十字架への道を後押ししているという図です。
こう考えると、女性たちに対する、イエスの厳しい態度も理解しやすくなります。裏切るペトロに対して振り向いたイエスは、同じように振り向いて女性たちに語りかけます。キレネのシモンの頭越しに、イエスは「泣き女」たちを批判しています。そのような形式的な有償の宗教儀式で良いのか。それはエルサレムを祈りの家ではなく、強盗の巣にしてしまわないか。
「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」という日が来る(29節)。出産を望んでも子宝に恵まれない人に対しての配慮に欠いた言葉に驚きます。いくら相手を批判したい時でも、今日このような言葉で表現することはできません。女性差別を容認する古代の表現です。
この内容は、ルカ福音書で繰り返し登場していました。つまり紀元後70年に起こるローマ軍によるエルサレム陥落の出来事の描写です(13章34節以下、19章41節以下、21章20節以下)。特に21章23節「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」という言葉と、重なり合っています。逆さまから同じことを言っています。戦争というものは弱者にしわ寄せが来るということを、幸い/不幸というルカ福音書の鍵語を使って表現しています。
ですから30節「そのとき」とは、紀元後70年のエルサレム攻囲戦の時という意味です。ローマ軍が包囲する時、エルサレム住民は、「こんなに苦しむのならいっそのこと早く殺してくれ」と言い始めるという意味でしょう。「山に向かって崩れ落ちよ、丘に向かって覆ってくれ」という言葉は、ホセア書10章8節の引用です。殺してほしいという意味か、守ってほしいという意味かで解釈が分かれます。ここはホセア書の文脈通りに、「早く殺してほしい」という意味で用いていると、本日は解します(黙示録6章16節に反して)。ホセア書は北イスラエル王国の首都サマリアの陥落を預言しています。そのサマリア攻囲戦と、エルサレム攻囲戦が似ているという趣旨が、最も自然な解釈です。偶像崇拝の結果は破滅なのだと、旧約も新約も語っています。神ではなく、富を拝むことがホセアによっても、イエスによっても批判されているのです。
31節は、当時のことわざだと学者たちは推測しています。燃えにくい「生の木」でさえくべられるなら、燃えやすい「枯れた木」はなおのこと神の怒りの火に焼き尽くされるということわざがあったのでしょう。「生の木」はイエスを指します。永遠の命を持つ神の子でさえローマ兵によって十字架で虐殺されるなら、その40年後にエルサレム住民もローマ軍によって虐殺されるのは当たり前だということを言いたいのでしょう。
一人の人を尊重しない社会は、全体として破局を迎えざるをえない。神ではないものを拝んでいる社会は、一人の「最も小さくされた人」を見逃しやすい、無視しやすい社会です。イエスが殺されることによって利益を得る人々の存在は、わたしたちに罪とは何かを教えます。イエスが処刑されること(=バラバが解放されること)で利益を得た人々、侮辱目的と金銭を得る目的でイエスの死を嘆く人々。これはわたしたちの姿です。
十字架へ向かう途中のイエスは、わたしたちの罪を裁きます。「あなたがわたしを殺した」と言葉で語ります。しかしそれと同時に、ペトロへの振り向きと同じ要領で振り向いているのですから、イエスは涙ながらにエルサレム住民を赦してもいます。裁きの無い赦しは安っぽい恵みです。それは人を永遠のぬるま湯に浸からせ魂を殺します。赦しの無い裁きは上から目線の断罪です。それは人を地獄の火で焼かせ生きながらにしてその人の魂を殺します。
この裁きが十字架への途中で起こっていることに気をつけましょう。十字架上でイエスが無条件の赦しを語る言葉と(34節・43節)、一対のものとして裁きの言葉をも聞きたいものです。上り坂の途上では未完なのです。
さてルカ福音書はキレネのシモンについて、彼がアレクサンドロとルフォスという兄弟の父親であるという情報を削ります(マルコ福音書15章21節)。削除はマタイ福音書も同じです(マタイ福音書27章32節)。マルコは個人的に、アレクサンドロとルフォスというキリスト者を知っているのでしょう。ルカ教会はこの兄弟を知りません。むしろ、読者の気を逸らす情報だと考えて、息子たちを省きます。キレネ出身のシモンという個人に集中しています。
キレネという町は北アフリカ、現在のリビアの辺りの一大通商都市として反映していました。カファルナウムと似ています。アフリカのアテネと呼ばれるほどの学術都市でもあります。アレキサンドリアと並んで、ユダヤ人入植者が多かった町です。紀元前一世紀には、町の四身分の一つに「ユダヤ人」が加わるほどです。①「市民」、②「農民」、③「外国人」、この諸外国人と区別された④「ユダヤ人」の四身分です。行政官に取り立てられ出世したユダヤ人もいましたが、市民権は大きく制約されていました。不安定な社会的少数者です。後にユダヤ人はキレネの町でも蜂起し反乱を起こします。
シモンはキレネで生まれ、その後にエルサレムに移住した人と推測します。エルサレムにキレネ出身のユダヤ人が居たことは、使徒言行録からも裏付けられます(使徒言行録6章9節、11章20節、13章1節)。ですから、新共同訳「田舎から出てきたシモンというキレネ人」ではなく、「郊外の畑から帰ってきたシモンというキレネ出身のユダヤ人」と理解します(田川訳も同じ)。キレネでは「農民」の身分になれないシモンが、エルサレムに移住することで農民となり、ユダヤ教徒として市民権を得たのでしょう。彼はキレネのユダヤ人たちの武装蜂起しそうな雰囲気も嫌いで、エルサレム郊外に畑を持つ農民になりたかったのです。
シモンはアフリカ系のダブルだったかもしれません。そうであればキレネのユダヤ人社会でもエルサレムでも、生きづらかったことでしょう。ガリラヤ地方出身者がユダヤ地方住民から軽蔑されていたよりも、もっと大きな差別待遇をキレネ出身のシモンは受けていました。アフリカ訛りのヘブライ語と、黒い肌です。そして、その見た目が目立っていたのでローマ兵に目をつけられ、強制的に徴用されてしまったのかもしれません。
シモンはやむなく手に持っていた鋤を置いて十字架を担ぎます。シモン・ペトロが剣を持っていた一方で、キレネのシモンは大切な鋤を持っていました。そしてその鋤すらも一旦置く。鋤を変えて十字架を取るのです。
毎朝早く畑仕事に出ているシモンは、ナザレのイエスのことをよく知りません。神殿での教えを聞いていませんし、早朝の裁判のことも知りません。武装蜂起を企てる「エルサレム・ファースト」のバラバとも仲間ではありません。家に帰りたい気持ちを抱えながら、やむを得ずイエスの背中を見ながらイエスの十字架をゴルゴタまで運んでいるだけのことです。
シモンが唯一聞いたイエスの言葉は、エルサレムの女性たちに語りかけた裁きの言葉だけです。振り返ったイエスは、シモンに聞こえるように、シモンの頭越しに、彼女たちにエルサレムの破局を預言しました。やっとの思いで故郷を棄ててエルサレムの農民になったばかりのシモンは、驚きました。安住の地を得たと思っていたのにもかかわらず、それに頼ることが誤りであると涙ながらに指摘されたからです。将来は畑も失うというのです。
十字架を降ろし、鋤を持ち帰るためにゴルゴタの丘を下るシモン。もう一度ゴルゴタの丘を登り直します。彼は突然自分の人生を全否定されるような言葉に出くわしました。それが耳から離れない。エルサレムに苦労して引っ越してきて畑をもって農業に勤しむ毎日のどこが悪いのか。手伝ってもらった弱い死刑囚が何を偉そうに説教するのか。シモンはイエスの十字架を見上げ、無条件の赦しの祈りを聞き、バラバの仲間たちとのやりとりを聞きます。鋤を握る手に、十字架の感触が蘇り重なってきます。彼は弟子たちと異なりかなり近くまで十字架に近づくことができました。そこで、裁きと一対の赦しを聞き取ります。鋤と十字架は同時に持てません。自分の仕事を置き十字架を担う。週に一度の非日常、礼拝する者、イエスの後ろを従う者。初代教会はエルサレム住民で構成されました。そこにはキレネ出身のシモンが居たと思います。
今日の小さな生き方の提案は、自分の仕事を相対化することです。仕事は神ではありません。「泣き女」、農民が、それで良いのかと問われています。鋤を一旦離してイエスの十字架を担えと言われています。そうすればわたしたちは神ではないものを拝むことはありません。そうして無条件の赦しの言葉を十字架の真下で聞き取りましょう。そしてこの方が神の子だと賛美しましょう。