広い場所 創世記26章15-25節 2019年2月24日礼拝説教

 本日の箇所は、唯一イサクのみの逸話です。先々週、先週と父親アブラハムと類似の逸話を取り扱いました。次週の箇所も、アブラハムにそっくりの逸話があります(212234節)。イサクらしさが発揮される、独自の物語は、261522節にしかありません。井戸を掘削し続ける物語です。ここから「イサクは井削(イサク)」と、漢字をあてた牧師もいます。イエス・キリストを指し示す「メシア的人物」としてのイサクは、本日の逸話で明示されます。鍵となる言葉は、「そこで」(シャムsh-m)と「名前」(シェムsh-m)です。「そこで」は8回、「名前」は6回繰り返されています。

 先週イサクとリベカは、特例法によって守られました。二人に指一本でも触れた者は必ず死刑に処させるという勅令です。この特権を用いてイサクは、ゲラルの町の中で大富豪になりました。アブラハムは妻を引き渡す対価として富を得たのですが、イサクはアビメレク王の勅令によって富を得ました(1214節)。彼が種を蒔いた場所は、広範囲でありしかも地味豊かな畑であったと考えられます。そこでペリシテ人はイサクを妬みます。

 その意思表示がゲラルの町にある井戸を埋めることでした。父親アブラハムが掘った井戸だけをすべて埋めたのです(15節)。このことはゲラルのペリシテ人自身をも苦しめることでした。それでも構わないと思うほどに、イサク・リベカ一家を妬み、憎んでいたのです。

この意思表示には前例がありました。18節の出来事です。ペリシテ人たちはアブラハムが死んだ直後にも、アブラハムが掘った井戸を埋めるということをしていたのです。嫉妬と憎悪は相続されます。仮に一時期沈静化しても、何かの機会に浮かび上がります。

 アビメレク王は領土内の民意にも敏感でした。町の険悪な雰囲気を感じて、このままでは自分に不満の矛先が向かうことを察して、イサクに向かって言います。「あなたは行け、わたしたちと共なるところから。なぜならあなたはわたしたちによって(ミンメヌー)非常に強くなったのだから」(16節)。ミンメヌーを比較の意味ととる翻訳がほとんどですが、根拠の意味ととります。つまり、イサクはアビメレクの勅令によって強くなったという解釈です。「我々のおかげで富んだのだから、嫉妬のもとにならないように遠くへ行ってほしい」ということです。遠くに行くのならば、「二人には指一本触れないように」という勅令も廃止する必要はありません。

 しかしイサクはそんなに遠くには行きませんでした。彼はゲラル郊外の「ゲラルの涸れ谷(直訳は「川」、聖書協会共同訳は「谷間」)」に野営をします(17節)。「そこから行って・・・そこに住んだ」という原文の表現は、どちらも広い意味のゲラルであるという含みでしょう。涸れ谷は、冬の雨季の間だけ川となる地帯です。だから、夏の乾季の間だけの野営です。イサクは半年ぐらいのつもりで、涸れ谷に住むことにしました。ほとぼりが冷めたらゲラルの町に戻る構えもイサクにはあります。河床ですから平らです。そして、地下水脈に近いため、命の水である井戸を掘り当てやすい地帯でもあります。

 イサクは、埋められた井戸を改めて掘り直します。父親の代からの僕に教えてもらったのでしょうか、父親が付けていた名前を、掘り直した井戸にも付けます。これらの父親由来の井戸については、イサクは自分だけで掘り直したようです。「そしてイサクは立ち返った。そして彼は水の井戸(複数)を掘った(ハファル)」(18節冒頭)。井戸の掘り直しはイサクにとって初心に帰ることです。寄留者として生きることが、この家族の原点なのです。しばしば住みづらい土地を与えられるけれども、仮住まいの身であることを肝に命じなくてはいけません。それがアブラハム・サラを記念することです。同じ名前を付けることで、イサクは両親を記念します。ただし、原点に帰ることは、逆に伝統に縛られるという面もありえます。この正負両面が物語のあやとなります。

 イサクと同時に彼の僕たちが新しい井戸を掘ります。「彼らは、命の水の井戸をそこに見出した」(19節)。主語が変わっていますので、イサクと別行動の僕たちによる、新規の井戸掘りです。イサクの僕たちに対してはアビメレクの勅令は適用されません。ゲラルの羊飼いたちは「この水は我々のものだ」と言いがかりをつけて、力ずくでイサクの羊飼いたちを追い出します。

 後でこの出来事を聞いたイサクは、井戸に名前を付けます。「エセク(争い)」という名前です。ギリシャ語訳聖書は、「不正義」という名前にしています。「この水は我々のものだ」と主張することに、不正義を見て取ったからでしょう。追い出した者たちは、追い出された者たちがやっと掘り当てた命の水を、力ずくで奪い取ってはいけません。両者は対等の争い(競争や競合)をしたのではありません。持っていない者が持っている物まで奪われたのです。これは理不尽であり不正義です。

 イサクは別の井戸を掘るように僕たちに命じます。彼らは移動していません。移住をするのは22節の時点です。アブラハムの掘った井戸(複数)の近くに住むことは、大勢の人や動物と暮らすために必要だったのでしょう。「そして彼らは別の井戸を掘った。そして彼らはそれについても争った。そして彼はその名前をシトナと呼んだ」(21節)。シトナは「敵意」という意味です。憎悪、敵対などの訳もありえます。英語圏に住むユダヤ人のための英訳旧約聖書(JPS)はharassmentという説明を施しています。確かに「上下関係という力を利用した人権侵害」がここには認められます。

 シトナは、サタンと同根の言葉です。s-t-nという子音が共通しています。サタンは転じて「悪魔」という意味になりますが、もともとの意味合いは「敵対者」であり固有名詞です。イサクが直面していた課題は、イエスが荒野で「敵対者」から受けた試みに似ています(ルカ福音書4章)。

イサクは石をパンに安易に変えようとは思いません。土や石を掘り返して、水源まで掘り下げ、命の水を得ようとひたすら努力をするのです。イサクはペリシテ人にひれ伏すこともしません。近所に二つ目の井戸を掘ることは、不服従の抵抗です。イサクは神を試みることもしません。この課題解決を果たしてくれるなら神を信じてあげようとは考えていません。イサクはただひたすら人生の十字架を担い続け、何が真の解決になるのかについて祈りながら知恵を探ります。彼は族長なので、大勢の一族郎党に対して責任を負っています。人びとを路頭に迷わせてはいけません。柔和であるということは、腰を屈めながらも、知恵を絞って中腰のまま不屈の魂で課題を担うことです。

イサクにとっての誘惑は、ペリシテ人に対して報復をすることです。奪われた井戸を奪い返したり、ゲラルの町に行って井戸という井戸を埋めたりすることです。イサクにはそれだけの武力がありました(14節)。また仕返しをしても良さそうな理由もあります。これだけの理不尽をなぜ我慢しなければいけないのでしょうか。「力には力で」と考えがちな場面です。

「復讐はわたしのすること、わたしが復讐する。・・・あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ・・・。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ1220-21節)。

この近所にもう一つの井戸を僕たちに掘らせるべきか、非暴力不服従を頑固に続けさせるべきか。イサクは悩みました。僕たちに井戸掘りをさせた時に、ゲラルの人々は激しく向かってくることが予想されます。そうなれば一触即発、僕たちも報復を行うでしょう。戦闘状態に陥り、死者も出るかもしれません。

そこでイサクは移住を決意します。涸れ谷を出たのだと思います。アブラハムの掘った井戸も、ゲラルのペリシテ人に与えます。別の場所で、別の井戸を一つ掘るのです。今まで複数の井戸が必要だと考えていましたが、その考えを捨てます。争わない方がより良いからです。父アブラハムは、彼の甥ロトを救出するために武力を用いました(14章)。しかし、イサクは徹底的に非暴力です。そこにイサクの凄みがあります。彼は知恵の教師キリストを映しています。

そしてイサクは、僕たちを用いません。自分一人で掘ることを決意します。そうすればゲラルの人々は指一本ふれることができないことを、彼は知っているからです。一人で十字架を担うけれども、それは全員のための十字架です。

「そして彼はそこから移動した。そして彼は別の井戸を掘った。そして彼らはそれについて争わなかった」(22節)。22節の主語は単独の人イサクです。そして争わなかった「彼ら」には、敵も味方も混ざっています。実に含蓄のある表現です。憎しみあって敵対する争いに加わる時に、わたしたちは一緒くたの暴力に巻き込まれ、「暴力を振るう者たち」に括られてしまうのです。

「そして彼はその名前をレホボトと呼んだ。そして彼は言った。『なぜなら、今ヤハウェがわたしたちのために場所を広げたのだから。そしてわたしたちはこの大地で増える』」(22節)。こうしてイサクは名を呼ぶことを止めます。

涸れ谷は肥沃でしたが狭い場所でした。父の名付けた井戸にこだわる限り、井戸を多く所有しても住む土地は限られます。またゲラルに戻ることを期待する限り争いは続きます。イサクの知恵と決断は、広い場所に出ることです。そこは神が創られた大地(エレツ)です。河床から大地へ、二度とゲラルの町に戻らない覚悟でイサクは、肥沃ではない「広い場所」に移住します。狭い場所で多くの井戸を奪い合う権力闘争から、広い場所で一つの井戸を分かち合う交わりへと、前に向かって舵を切るのです。

レホボトは単なる通過点でした。イサクは全地を住みかとすることを決めていたのでレホボトに定住もしません。飢饉も治まったのでしょうか、かつて住んだことのあるベエル・シェバに移住します(23節)。引っ越したその夜に、神はイサクに現れ、「あなたと共に、わたしが」(24節。2節も参照)と面と向かって約束をします。族長たちの仮住まいと、神の同伴は一対のことがらです。聖書の神は、場所ではなく人に結びつきます。だから、どこに住んでも良い。神が常に信徒と共にいるからです。信徒は神をどこでも礼拝できます。

「そしてイサクはそこに祭壇を建てた。そして彼はヤハウェの名前を呼んだ。そして彼はそこに彼の天幕を張った。そしてイサクの僕たちはそこで井戸を掘った/祝った(カラー)」(25節)。イサクは父が名前を呼んだ井戸を捨て、井戸の名前を呼ぶことよりも、神の名を呼ぶことを優先するようになりました。イサクも「父の家を棄て」ました(121節)。そして自分の僕たちが井戸を掘っても争いが起こらないように、井戸に関する祝祭を行いました。組織の長としての責任を果たしたのです。ゲラルの人々と適切な距離を保つことが、別の組織との平和を造り出していきます。

今日の小さな生き方の提案はイサクを真似することです。「知恵の教師」としてのイエスに倣うということでもあります。預言者は権力を批判し、祭司は権力におもねりがちです。「第三のメシアの道」と言うべきでしょうか。勅令をも利用しつつ、権力闘争にもならず、味方も守りながら、敵とも共存する「知恵に満ちた生き方」がイサクの振る舞いです。このような知恵が、共に生きる「広い場所」に気づかせ、争いを祝祭に変換します。