「あなたが大切」イザヤ書43章4節 中村尚子
イースターおめでとうございます。
本日はこのような晴れがましい記念式典におよびいただいて感謝します。私は1997年4月から2004年の3月まで泉教会の牧師、いづみ幼稚園の園長として立たせていただきました。この春で、私がいづみを離れて15年を過ぎましたが、大阪にいても、いづみで身に着けたものはしっかり残っていて、家には黒田恭子さんの影響か、絵本の棚が3つもあり、また、キャンプ用品をたくさん買い揃えて持っています。それらのものは、いづみ時代の楽しかった思い出を思い出させてくれます。
春になると、幼稚園の入園式で緊張した面持ちの子どもたちを迎えたことを思いだし、夏になると、埼玉の名栗村にほし組さんたちとキャンプに出掛けたことや、教会学校で富士吉田教会に出かけたこと、秋はこひつじ組とほし組の山登り遠足、冬は教会と幼稚園が一緒に祝ったクリスマス、雪の保育で新潟の浦佐に行ったことなど、今でも季節ごとに思い出しています。それに時々、夜中の絵本の部屋に座り込んで、絵本を読み漁って止まらなかったこともありましたっけ。あの頃は独身でしたが、今、横にいる連れ合いに、それらがどんなに楽しかったか、よく食事の時などに話している私です。
それから、教会と幼稚園をつなぐ働きのために、学期に1~2回、金子良恵さんのお宅で開かれていた交わりの会「フィベ会」もありました。また、月に1度牧師室に幼稚園のお母さんたちをお招きして「聖書とお茶の会」を開いていました。その前日は材料を買ってきてケーキやお菓子を一所懸命作ってお出ししていましたし、牧師館の広いベランダで栽培していたハーブをブレンドしてハーブティーなどを淹れておりました。午前中だけのプログラムなのですが、いつも話が止まらなくなり、結局お菓子をご飯代わりにして、園児のお帰りの時間までゆっくりしてしまうのが常でした。これも楽しいひと時でした。
それから、日曜日の朝に行われていた教会学校「いづみ子ども会」のことも、忘れることができません。朝9時ごろになると、卒園生たちがワイワイ言いながら教会にやってきて、工作をしたり、ミュージックベルの練習をしたり、クリスマスやイースターの準備をしたり、何やらにぎやかに活動をして、そして、礼拝の前半部分に出席をして帰りました。しかし、私の記憶では、礼拝の終わった後、子どもたちが、牧師館で飼っていた犬を見に押し寄せてきていたので、残りの礼拝の時間は、教会のどこか、絵本の部屋か何かで過ごしていたのだろうと思います。教会の礼拝も過渡期で、大人だけの礼拝から、子どもも一緒の礼拝に形を変えていました。そのことにはいろいろな議論があり、子どもがいると礼拝に集中できない等の意見も出されていましたが、この子どもと一緒の礼拝は、後の私の牧師としての生活に多大な影響を与えました。一つの課題として、今も心にかけ続けていることとして残っています。
さて、今日は、いづみにいた頃のお話をということですが、7年間のいづみライフの中で、いつも大事にしていたこと、テーマにしてきたことはなんだろうなあと考えると、教会にしても、幼稚園にしても、一人一人に対して「あなたが大切だ」と言えるだろうか、という問いだったように思います。それは必ずしも、自分でうまく表現できていなかった、実現できていなかったこととして反省しきりですが、でも、いつも心がけていたことであったということは言えるのではないかと思っています。なぜなら、「あなたが大切」であるということは、神さまが私たちに言ってくださることであると同時に、長年の間、いづみが大事にしてきたことなのではないかと思います。
教会では、いろいろな年齢の、いろいろな職業や立場の人たちが集まっていたので、正直、ぶつかり合いなども多々ありましたが、それでも「あなたが大切だ」という思いをお互いに持っていたから、違いを超えて一緒にいようとする努力ができたのではないだろうかと思います。泉教会は、「誰も排除しない」というところを、昔から大事にしてきたと聞いています。それでも離れていった人たちがたくさんいるのは、今でも心残りですが、喧嘩腰でも対話をしていこうとしていた皆さんの姿を見てきていました。
幼稚園では、私のいた当時、幼稚園のポスターやパンフレットなどに掲げていた「障害の有無、国籍は問いません」という募集要項について、いろんな戦いと議論があったように思います。特に障碍を持つお子さんを受け入れていくことによって、教師も、幼稚園の役員会も、時に厳しい言葉を保護者から浴びせかけられることもありました。今はやりのコスト・パフォーマンスの面では、障碍児を受け入れるということや、外国籍の子どもを受け入れることで、物事の表面的な効率がダウンするということはありました。しかし、それ以上に、障碍を持つ子どもや外国籍の子どもと助け合って一緒に過ごすこと、学びあうことの方が、ずっと豊かで、楽しいことだったと、今もなお思うのです。
ある子の時は、体に障碍があって、秋の山登りはどうなるのだろうと心配して、教師がリュックの中に背負子を入れて出かけたことがありました。でも、結局、背負子は最後まで必要なくて、教師や子どもたちがかわるがわるその子の手を引いて、とうとう自分の足で高尾山の山頂まで登ることができたのです。この時の、クラスのみんなの誇らしげな顔は今でも忘れることができません。きっと、この時から子どもたちの、そして教師の「共に生きる」ということへの視野が広がったのではないでしょうか。
それでも、成功したこと、乗り越えたことの裏には、失敗したこと、受け入れることのできなかったこともたくさんありました。あるときは、自閉症で多動の強いお子さんとお母さんが、入園を希望して幼稚園に来られました。「障害の有無、国籍を問いません」といういづみのポリシーからすれば、このお子さんも仲間に加えるべきだと思いました。しかし、あまりにも激しい動き方をしていることや、コミュニケーションが全くと言っていいほど取れないお子さんでした。お母さんは、遠くからバスに乗ってでも通園させると言い、最後まであきらめずに入園を希望されていましたが、結局そのお子さんを受け入れることはできませんでした。私たちがいくら、すべての子どもを迎え入れようと思っても、そこには限界があるということを思い知って、正直、かなり長い間落ち込んでいました。有言不実行と言われても仕方がないと、まるでハンマーで殴られたような気持ちで沈んでいたのを思い出します。
それでも、「あなたは大切だ」ということを、いつも忘れずにいたいと思ってはいました。今日の聖書の言葉は「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする」という言葉、特に最初の「わたしの目にはあなたは値高く、貴く、わたしはあなたを愛し」という部分が、いつも私の心の中にあったからかもしれません。すべての人が、神さまからこのように声をかけられ、愛されているということが、私の中で福音の根幹となっているからです。また、イースターに復活され、私たちと共にいるイエスさまも、お一人お一人を「あなたは値高く、貴い。あなたを愛している」とおっしゃっているのではないでしょうか。誰一人として必要でない人はいないということは、大きな喜びです。
昔、イスラエルはバビロニアという大きな国に滅ぼされ、バビロニアに捕虜として連れていかれたのです。「神さまはどこにいるの?」「神さまなんていないのではないか?」と疑うような厳しい状況の中、それでも神さまは「わたしの目に、あなたがたは値高く、貴い。わたしはあなたを愛している」と言ってくださると、預言者は人々に語って聞かせたのです。どのような状況の中でも、神さまの愛は変わらずに注いでいる、と、預言者は知らせたのです。
「あなたは値高く、貴い。神さまはあなたを愛しておられる」と、幼稚園の子どもに、家族に、幼稚園の教師に、地域の人々に語りかけていくことが、一つのいづみの使命であると私は考えていました。先ほど言ったように、すべてがうまくいくことはありませんでした。後悔すること、失敗だったなあと思うことは、たくさんありました。園長として、近所の方々のクレームの処理班として、いつも頭を下げていたようにも思います。でも、いずれにしても「あなたが大切だ」という神さまの大きな愛は、いづみのように溢れ出し、みんなに流れ着いてほしいと願っていたのです。
7年間のいづみライフの中で、正直、牧師と園長の兼任は体力的にも、精神的にも大変でした。朝5時起きで、洗濯や掃除など家事をすませて、朝の8時すぎから夕方の4時ぐらいまで幼稚園の仕事をして、子どもたちを門のところでお迎えしたり、お母さんたちと立ち話をしたり、クラスごとの礼拝があったり、子どもたちとも園外保育などに出かけたりして、帰ってくると、夕飯づくりなど、ちょっとだけ家事をして、また夕方の7時ぐらいから夜中まで、今度は説教準備など教会の仕事をしていました。まだその時、私は30代でしたから、なんとかこなせたのだろうと思いますが、今ではとてもそんなことはできないなあと思います。
でも、そのような中でも、毎日、いろいろなことがあって、子どもたちの笑顔がそこにあって、教会員や教師、保護者などたくさんの人たちが出入りしていて、なんだかワイワイと走り回っているうちに7年間が過ぎてしまったように思います。今思えば楽しい時であったと思います。
あれから15年がたって、いづみがどう変わっているのか、私には詳しくはわかりませんが、私が心から願うことは、いづみに集うお一人お一人が、「あなたが大切だ」と言い合うことのできる毎日を過ごしていただきたいということです。そして、「あなたが大切だ」という気持ちで、地域の中で出会いを繰り返していってほしいと思うのです。私のいた頃には「いづみらしさ」という言葉がよく使われていましたが、礼拝のスタイルや、幼稚園の保育のスタイルのことは語られても、なかなかいづみの信仰の根幹のようなところまでは語られていたかどうか…。あのころを思い出し、一言でいづみのありかたを言い表すなら、「あなたは大切だ」と言い合える場所としての模索、とでも言えるでしょうか。ぶつかりつつ、悩みつつ、でも「あなたが大切だ」と互いに言い合うことのできる泉教会、いづみ幼稚園であり続けてほしいなあと願って止みません。