エドムの王国 創世記36章31-43節 2019年10月27日礼拝説教

ユダヤ人たちは土曜日午前の礼拝でかなり長い聖句を朗読します。そして一年間かけて五書(トーラー)を礼拝で通読します。28章10節から36章43節は、一回の礼拝で読む塊です。この塊を、28章10節の冒頭の単語をとって「ヴァイェツェー」と呼び慣わします。ヤコブが実家を出るところから、エサウの子孫の系図までが一つの単元と考えられています。この双子の兄弟には、別名を持つという共通点があります。エサウはエドムという別名を持ち(25章30節)、ヤコブはイスラエルという別名を持っています(32章29節)。それぞれの子孫は、別名通りエドム王国(43節)、イスラエル王国へと発展していきます。エドム王国はイスラエルの南の隣国です。ヴァイェツェー(創世記28章10節から36章43節)という単元は、エドム王国とイスラエル王国の由来です。

ユダヤ教の礼拝では、五書の一単元を朗読した後に「預言者たち(ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記、イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書・十二小預言書)」の一部を朗読します。五書の朗読部分と内容的に関連する聖句が「預言者たち」から選ばれて、朗読されます(ハフトーラー)。ヴァイェツェーを読んだ後は、オバデヤ書をハフトーラーとして読むことが決められています。オバデヤ書は、ほんの1章しかない小さな預言書です。その内容は、イスラエルを侵略したエドム王国に対する報復です。近親憎悪混じりの論調で、憎いエドム王国の滅びが預言されています。

聖書には反エドム王国=反エサウと、親エドム王国=親エサウが混在しています。オバデヤ書は反エドム王国=反エサウの代表選手です。そして創世記36章は親エドム王国=親エサウの代表選手です。同じ礼拝の中で両極端の意見を読むことがユダヤ教徒の伝統となっていることに深い意味があります。異なる意見の存在が世界をより良くするからです。どうしてもイスラエルびいき、その中でもユダ部族やダビデ王びいきになりがちなわたしたちの頭を柔らかくする必要があります。エサウの子孫とヤコブの子孫の近さや、エサウの側から物事を見ることや、エドム王国の優れた部分を積極的に学びたいと思います。

「そしてこれらがエドムの地を治めた王たち。イスラエルの息子たちに属する王が治める前に」(31節)。

 この一文はサウルがイスラエル王国を建てる前に、エドム王国が存在していたことを示しています。あるいは、イスラエル王国がエドム王国を属国として支配する前とも読めますが、どちらも同時期(誤差100年)なので大差はありません。十二部族の連合体だったイスラエルは、常備軍を持っていません。そのために王制を採る周辺諸国からしばしば侵略されました。緊急時のみの指導者・士師とその都度の募兵制では勝てない。一人の王による権力の集中が、強い軍隊を支えるからです(富国強兵)。王制を採用した順番で言えば、イスラエルの方が後、エドムの方が先です。エサウはやはり兄なのです。だからエドム王国の方が部族連合体イスラエルよりも国力が上だったはずです。エドム王国には、領土内に重要な交易路と銅山がありました。知者であるエドム人たちは、外交・貿易・経済政策に長けてもいました。ただし、エドム王国は独特の統治の仕組みを持っていたので、そこまで強力な常備軍を持っていません。エドム王国は軍事的に弱小国でありながら、隣国イスラエル王国が滅亡した後も存続しました。知恵があったからです(これらについては後に詳述)。

 さて、本日の箇所の名前の一覧にはいくつかの特徴があります。その一つは、イスラエル人と同じ名前があるということ、それが南方の部族に偏っていることです。南方というのはユダ部族・シメオン部族・ベニヤミン部族です。たとえば、ゼラ(33節)、アクボル(38節)、メヘタブエル(39節)、エラ(42節)、ケナズ(42節)の5人の名前は、ユダ部族にも存在します。ゼラはシメオン部族にもいます。ベラ(32節)、ヨバブ(33・34節)、シャウル(37・38節)の3人の名前は、ベニヤミン部族にも存在します。その他の人名17名はイスラエルには存在しない名前です。

最南端のシメオン部族はユダ部族に吸収合併されるので、実質はユダとベニヤミンの二つだけが名前を共有していると考えて構いません。興味深いことに、この二つの部族だけがイスラエル全体を治める王を輩出しています。ベニヤミン部族のサウル王と、ユダ部族のダビデ王・ソロモン王です。

 イスラエル十二部族の中で、周辺諸国のように王国になりたいと一番大声で主張したのは、ベニヤミン部族とユダ部族であると推測されます。イスラエルにおいては神だけが王です。モーセやサムエルでさえ預言者であって王ではありません。「われわれに王を与えよ」(サムエル記上8章5節)と民はサムエルに迫りました。この非イスラエル的主張の出処は、南方の隣国エドム王国との交流にあります。同じ名前を南方の部族とエドム人が共有していることは、そこに人的交流があったことの証拠です。もっとも著しい例は、「シャウル」です。ヘブライ語においては、ここで原音表記されているシャウルと、イスラエル王国の初代王サウル(ベニヤミン部族)とは、綴りが全く同じです。

 二つの部族は、王制についてエドム王国から学んだのでしょう。そして王制に魅力を感じ、自分たちの部族から王を輩出しようとしたのです。ベニヤミン部族はキシュの子サウルに白羽の矢を立てました。ユダ部族は、サウルの家臣ダビデを擁立しました。最終的にダビデ王朝が勝利して、ユダ部族がイスラエル王国の中心となりました。サウル王朝・ダビデ王朝の設立あたりから、エドムとイスラエルの軍事力は逆転します。サウル王はエドムを侵略します(サムエル記上14章47節)。その後、ダビデ王もエドム王国を侵略し軍事占領します(サムエル記下8章13-14節)。

 エドム王国がイスラエル王国に軍事的に劣勢になった理由は、その独特の王制にあります。エドム王国は、イスラエルほど中央集権ではなかったのです。エドムは世襲の王朝ではありません。「首長」(41-43節)たちが何らかの選任方法で「王」に就任し、その王は一代限りで別の首長に交代するという仕組みを採っていました。「○○が死に、彼の代わりに△△が治めた」というパターンが、7回繰り返されています(33-39節)。交代した人物はすべて前任者の子どもや親族ではありません。くじ引きか、優れた首長を互選する話し合いか、定められた順番か。いずれにしろ世襲の王朝ではなく、その時もっともふさわしい首長が王となるという、古代でも珍しい統治の仕組みです。それは皮肉なことに、十二部族連合体イスラエルの士師による統治と似ています。

 このような国は強力な中央集権ではないので、軍事力という点で劣ります。それだからサウル王・ダビデ王に軍事的に敗れたのです。その一方で、このような国は知恵ある指導者を輩出し続けることができます。それは外交・貿易等、軍事以外の分野において有利です。バランス感覚に優れた、その都度の判断がなされやすいからです。また、国内においては平等性が高くなります。首長同士の間で上下関係が無いからです。後に見る女性たちの活躍も含めて、エドム王国はイスラエル王国よりも、幸せ度数が高い国だったことでしょう。

イスラエル王国においてはユダ部族・ダビデ王家に対する強烈な嫉妬と中央集権に対する反発から、ソロモン王の死の前後に大半の部族が王国を離脱します(部族連合体志向の「北イスラエル王国」建国)。残ったのは王制志向のベニヤミン部族とユダ部族のみの連合でした(列王記上11-12章。ダビデ王家世襲の「南ユダ王国」建国)。その時期にエドム王国は指導者ハダドのもとイスラエル王国の軍事支配からの独立を目指します(列王記上11章14節以下)。ハダドという名前は、エドム人にとって民族の英雄の名前です。そして最終的にヨラム王の時にエドムは完全な独立を果たします(列王記下8章20節以下)。

エドム王国は外交手腕によって生き延びます。北イスラエル王国がアッシリア帝国に滅ぼされた時も、アッシリアに臣従して難を逃れます。南ユダ王国(ダビデ王朝)がバビロニア帝国に滅ぼされた時も、バビロニアに臣従して難を逃れます。必ず勝つ側につくという状況判断の知恵です。ここで完全にエドムのイスラエルに対する優位が確立します。軍事的に圧迫されても柔軟に外交努力で生き延びていく知恵がエドム王国にはありました。世襲の「神の国」信仰、頑迷な不滅神話をもとにエルサレムで徹底抗戦し滅亡したイスラエルとは異なり、知恵あるものが王となるからなしえた奇跡です。数百年単位で見れば、エドム王国の統治の仕組みがイスラエル王国よりも優れていたことが分かります。世襲相続にこだわり出し抜こうとするヤコブよりも、世襲相続から自由で、相手に譲るエサウの方が長い目で見れば優れているのです。

本日の人名一覧にはもう一つの特徴があります。国内の幸せ度数と関係する内容です。それは、意思決定の場所に女性たちがいるということです。このあり方はフリ人の伝統でしょう。39節にも、メヘタブエル、マトレド、メ・ザハブという女性3名の紹介があります。ヤコブの娘ディナのみの紹介に比べ多数です。さらに注目は「首長ティムナ」(40節)、「首長オホリバマ」(41節)です。ティムナは「ロタンの妹」(22節)、オホリバマは「エサウの妻」(14節)と同一人物でしょうか。いずれにしろ女性の名前であることは確実です。10人の首長のうち2人が女性であり、そのうちの1人は筆頭に置かれています。もし回り番であれば、エドム王国の最初の王は女性だったことでしょう。

南ユダ王国には一人だけ女王がいました。アタルヤという人物です(列王記下11章)。王位簒奪者として一代限りで抹殺されましたが、その一方でエドム王国は定期的に女王を擁していた可能性があります。

現在、男女平等世界1位はアイスランドと報道されています。「男女格差指数」によると、日本は149カ国中110位だったそうです(政治分野125位、経済分野117位)。議会という意思決定の場に女性が少ないこと、長時間労働を強いていることが大きな原因です。こういう国はみすみす優れた人材をおおよそ半分失っているので、全体としての「知恵」に劣ってしまいます。国家財政赤字や外交上の失敗などを見るにつけ、わたしたち全体(の代表)の知恵の無さを痛感します。男性の世襲議員ばかり、真夜中まで働かないと出世できない仕事のあり方が、日本という国の幸せ度数を低くし続けています。

しかし、アイスランドも40年前は日本とほぼ同じ状況だったのだそうです。小国アイスランドに倣うことが日本にも今すぐできます。それは40年後の日本のためです。なおアイスランドは軍隊を持ちません。NATOに加盟し、米軍基地を使用させたりさせなかったりする外交においても参考になります。

今日の小さな生き方の提案は、エドム王国に倣うということ、知恵ある小国になるという勧めです。日本は超高齢化社会になり、いずれは人口が8000万人ぐらいに減ります。今までの知恵不足のつけです。多様な人を意思決定の場におくこと。ハラスメントのない労働環境・短時間労働、軍事費減・全方位友好外交、教育費・福祉費増。小さいながらも品位を保つ国になりたいものです。さまざまな人を生きやすくして国内の幸せ度数を高めることが必要です。大国意識・選民意識をまず捨て、近くの隣国には仕え、遠くの超大国に対してはしたたかな外交を展開していきましょう。