分配すること 使徒言行録4章32-37節 2021年1月3日礼拝説教

32 さて大勢の人が信じながらも心と精神は一つであり続けた。そして一人も、彼のために存在しているものを自身のものであるべきと言い続けなかった。むしろ、全てのものが彼らのために共通であり続けた。 33 そして大きな力で、使徒たちは復活の主イエスの証言を与え続けた。そこで、大きな喜びが彼ら全ての上にあり続けた。  

 本日の箇所は2章44-45節で言われていることの繰り返しです。そこでも初代教会の信徒たちが一つであり、持ち物を共有し、売った物の代金を必要な仲間に分け与えていたことが報告されていました。最初の三千人から、一万人以上に増えていても、彼ら彼女たちの実践は変わっていません。

 継続して同じことをし続けていることがギリシャ語動詞の時制からも明らかです。32-35節の本動詞はすべて未完了過去時制です(9回)。未完了過去時制は過去の一定期間の継続した動作を表します。初代教会に一貫する生き方。それは「自分のために存在しているものを自分のものであると主張しない」という生き方です。自分のものと考えられるものが果たして本当に自分のものなのかという疑いです。信仰は、この重要な疑いを自分自身に向けることです。それによってわたしたちはどんなに大勢であっても一つになることができます。

 人の数だけ考えが増えるので、人数が多ければ多いほど集団を一つにまとめることは困難です。初代教会が一万人以上に増えながらも尚一つにまとまることができた理由は、一つの心・一つの精神を持っていたからでしょう。「自分のものとは何か」という問いです。この質問に対する答えが、「彼ら(仲間たち)のために共通」という言葉です。自分のものと思い込んでいるものの中に、もしかすると仲間たちのために共通のものがあり、仲間たちと共有したほうが良いものがあるかもしれません。

 「共通」(コノス)という言葉には、「普通」「一般的」「平俗な」という意味もあります。初代教会は何も特別な「聖なるもの」を持っていなかったのです。「聖なるもの」は人を序列化します。その聖なるものに近い人と遠い人をつくるからです。たとえば按手礼を受けた牧師とそうでない牧師の序列。より聖なる人という存在があるのでしょうか。さらにたとえば晩餐のパンとぶどう酒は「聖なるもの」でしょうか。パンとぶどう酒をキリストの体と血の象徴と考えるバプテスト教会にとっては、パンとぶどう酒は「聖なるもの」ではありません。すべての人は平俗な人でありすべての物は平俗な物です。ただの人・ただの物、これがわたしたち平等な人間の共通項であり、わたしたちが持っている物の共通項です。そうであれば何も特に執着しなくても、何でもわたしたちは共通のものとして共有できるのではないでしょうか。

 この精神を信徒たちは主イエスの復活という救いからいただきました。復活は分配です。一粒の麦が死んだことにより無限大に増殖し、永遠の命が全世界に配られました。キリストの命が、卑怯な師匠殺しに加担した、死ぬべき弟子たちにも配られました。赦しと悔い改めが起りました。キリストの昇天後、「十字架と復活のイエスが救い主(キリスト)である」という福音を、キリストなしで弟子たちだけで発信することとなりました。生身のイエスはいない。にもかかわらず福音という情報を発信する仕事が教会に託されたのです。「十字架と復活の主を証言する」という使命です。福音という情報は分けても減りません。情報というものは分配すればするほど増えるものです。

 情報を分配することが喜びとなっている信徒たちは、物質についても分配することを喜びとしていきます。この二つは裏表一体のことです。ガリラヤでイエスは「人の子」、すなわちただの人となられました。人間以下の扱いを受けていた人と、同じ人の子として対等の交わりをつくりました。イエスは私物が非常に少ない人でした。弟子たちも杖と上着ぐらいしか持ち合わせていません。イエスは全力で人々を癒し弁護し、人々に神の国の福音を伝えていきました。自分自身を投げ出して活動し、十字架にまで至ったのでした。そのイエスの周りには、物質的な支援が途絶えませんでした。食卓に招かれ、宿を提供され、寄付を受けて、「神の国運動」は続けられました。

 弟子たちによる「初代教会運動」はイエスの神の国運動の継承です。引き継いだ際に福音(情報)の内容が若干変わりました。「生身のイエスの周りに神の国がある」という内容から、「ナザレのイエスを十字架と復活のキリストと信じる交わりに神の国がある」という内容になりました。言い換えれば「イエスの霊がつなぐネットワーク、聖霊に包まれた交わり、教会こそ神の国である」という内容です。この「福音2.0」を人々に配信する時に、仲間が増えていき、仲間同士招き合い、互いに寄付を施し合うはずだと、弟子たちは信じていました。情報の分配と物質の分配は表裏一体だからです。

34 というのも彼らの中で一人も欠乏した者はいなかったからだ。というのも土地ないしは家の所有者たちは皆売りながら存在し続けたからだ。彼らは売られた物の対価を持ってき続けた。 35 そして彼らは使徒たちの足の傍に置き続けた。さてそれらは互いに分配され続けた、誰かが必要を持つとその都度。

教会の中では誰かが欠乏すると、その都度常に別の誰かが自分の持ち物を売って施しをしたとルカは報告しています。エリコの町の金持ちザアカイが行った寄付の実践が、教会の模範です(ルカ福音書19章)。教会の指導者たちである使徒たちは、その共有財産を管理する仕事を負っています。足元にあるものは「管理下にあるもの」という意味です(35節)。かつてこの会計実務はイスカリオテのユダという人の仕事でした。しかし、ユダはイエスを売った金で自分の土地と建物を買いました(1章)。ザアカイやバルナバと正反対の行動をしたユダは初代教会にとって反面教師です。

ユダは復活の主が居る宿屋に集まることを拒否し、イエスを売った代金で自分の持ち物を増やしました。復活の命が分配されることを拒み、分配する生き方へと悔い改めませんでした。今週と来週の物語は、1章のユダの物語と関係しています。不動産に代表される私有財産は誰のものなのか。本当に自分のためだけのものなのか。困っている人に分配する必要があるのではないか。ユダの問題は全信徒の生き方の問題です。

初代教会は、本来ならば社会全体がなすべき「富の再配分」という仕事をしています。ただし34節にあるように、全ての不動産所有の信徒が土地建物を処分し寄付したかは疑問です。この後で家を持っている信徒が登場します(12章12節)。福音書記者マルコの母親はエルサレムに家を持っています。日曜日の夕方に信徒の家に集まって礼拝するのが彼ら彼女たちの信仰生活です(家の教会)。すべての信徒が不動産を処分して寄付したという言い方は誇張です。彼ら彼女たちは、自分たちのできる範囲で困窮している仲間のために指定献金をしていったのでしょう。言語的少数者や、心身にしょうがいのある者たちなどの仲間です。ある程度の誇張があったとしても、初代教会は「ただの人・共通の物・永遠の命の分配」という考え方に基づいて団結し、それが困窮者に対する分配という生き方に帰結していました。これは紛れもない事実でしょう。

その背景には最初の三千人の多くが外国人だったということがあります。社会への新規参入者たちnew comersは富の再配分に敏感です。この点で今週の箇所は6章(ギリシャ語話者のやもめへの配給)とも関係しています。「分配する」(ディアディドミ)は、「徹底的に与える」という意味合いを持ちます(35節)。貧富の問題に敏感なルカが好んで用いる動詞です。教会はエルサレムにあった民族ごとの互助会のネットワークをつなぎました。ユダヤ民族主義の強いユダヤ政府が決して行わない、外国人への「富の再配分」が、教会を通して徹底的になされ、欠乏した者がいない状況まで生みます。それは十字架の死に至るまで徹底して他者に与え続けたイエス・キリストの生き方の模倣です。

36 さてヨセフ、――使徒たちの一人でバルナバと呼ばれた者、それは「慰めの子」と訳される――レビ人、生まれはキプロス人が、 37 彼のために存在している畑を売って、彼は代金を持ってきた。そして彼は使徒たちの足に向かって置いた。

 同じ名前を持つ者はあだ名で区別されます。「バルサバ」や「ユスト」と呼ばれたヨセフ(1章23節)とは別のヨセフがいました。キプロス人バルナバです(36節)。バルサバとバルナバもややこしいので、多分ユストとバルナバと呼び分けられていたと思います。バルナバは初代教会に加わり、エルサレムに持っていた畑を売りました。その代金が今現に困窮している仲間を助けるために用いられることを望んだのです。バルナバという名前に「慰めの子」という意味はありません。ルカは13章1節「マナエン(慰めの意)」と記憶違いを起こしています。バルナバという名前は「ネボの息子」という意味です。バルナバはレビ人です。レビ人は下級祭司の家系。下級祭司の家系である母親がキプロス島でネボという名前の非ユダヤ人男性と結婚したのでしょう。

 複雑な民族的言語的背景を持つバルナバは首都エルサレムに根を下ろそうと畑を買いました。それは猫の額ほどの小さな畑だったかもしれません。下級祭司は裕福ではなかったと言われますから、なけなしの畑です。しかしバルナバは、これを自分のものと主張することは正しくないと信じて売ったのです。

 36節は「使徒たちからの者(=使徒たちの一人)」か「使徒たちによって」か翻訳が分かれます。14章4節でバルナバとパウロが「使徒たち」と呼ばれているので、「使徒たちの一人」とします。初代教会が十二人に使徒の数を絞っていないということは、ルカにとっては自明のことだと考えます。バルナバという人物の重要性から、彼が使徒だったことを疑う理由はありません。バルナバが異邦人の使徒パウロを引き立て、アンテオケ教会で重用し、自分の故郷キプロス島から始めて小アジア半島の宣教活動を共同で行ったからです。バルナバなしにパウロなしです。その後バルナバはエルサレムの使徒会議に出席して「非ユダヤ人も神の子として平等である」と主張する一派の代表となります。パウロと喧嘩別れした後も、福音書記者マルコと行動を共にします。ルカは最大限の敬意で、バルナバを使徒の一人と紹介しているのです。

 バルナバは非ユダヤ人の父親の名前を恥としませんでした。初代教会の多様性を重んじる雰囲気が彼を自由にします。教会でバルナバは神殿祭司への劣等感を克服します。教会でキプロス人ネットワークにもつながります。ギリシャ語を用いる会衆に仕えていきます。その経験が彼を指導者に押し上げます。

 今日の小さな生き方の提案は、バルナバに倣うことであり、バルナバのような人を生み出すことです。エルサレムという町はバルナバをいつも孤立させていました。ユダヤ人社会もキプロス人社会も彼を全肯定してくれません。彼はレビ人でありネボの子です。しかしキリストの教会に彼の居場所がありました。自分の存在を喜び、自分の寄付を喜ぶ仲間がいる。その交わりは多文化・多言語です。バルナバの複雑な背景が生かされるのです。教会は社会の最後の安全網という使命を持っています。包摂的交わりが人を復活させます。