17 さて神がアブラハムに確言した約束の時期が近づき続けた時に、民はエジプトで増えかつ満ちた、 18 ヨセフを知らない別の王がエジプトの上に起こるまで。 19 その男性が私たちの種族に悪知恵をなし、彼は私たちの父たちに、彼らの乳児たちを棄てさせるという悪をなした、彼らが生きないために。20 その(決定的な)時にモーセは生まれた。そして彼は神に相応しくあり続けた。彼は三か月父の家で育てられた。 21 さて彼の外に置かれた時に、ファラオの娘が彼を取り上げた。そして彼女は彼を彼女自身の息子へと育てた。 22 そしてモーセは全てのエジプトの知恵で教育された。さて彼は彼の言葉と行動において力があり続けた。
ステファノの説教はアブラハムという人をむやみに持ち上げないことに特徴がありました。ヨセフを繋ぎとして挟んで(9-16節)、本日の箇所からはモーセについての解説です。モーセに対してはアブラハムと扱いが異なります。モーセはむしろ格上げされています。モーセは17-44節という長さで言及されています。アブラハムについては1-8節という短さ、族長全体でも1-16節ですから、ステファノの説教の中心がモーセを巡る物語にあることは明らかです。さらに、モーセの短所はあまり強調されていません。モーセが約束の地に入れなかった理由は、彼の傲慢な振る舞いにありましたが、その逸話は省略されています(民数記20章参照)。
全般的にイエスはモーセにほとんど言及しませんでした。それはモーセが授けたとされる律法を独自の解釈で読み解いていたイエスらしい振る舞いです(マタイ5-7章参照)。イエスの論敵が常に警戒していたゆえんです。「ナザレ人イエスは、モーセが我々に伝えた明文の律法も、口伝えに伝承した慣習も変えてしまうだろう」(6章14節)。
ではなぜステファノはモーセを重視したのでしょうか。彼の説教の内容には一つの筋があります。そしてそれもステファノが殺された理由となります。それは、「神から民イスラエルへと遣わされた人に対する、民イスラエルの反発」という主題です。遣わされた人モーセはキリスト・イエスと重なり合います。またモーセに反発するイスラエルはナザレ人イエスに反発しイエスを殺した人々と重なり合います。「反発する」という動詞が意図的に二回使われています(27・39節)。この動詞が説教の縦糸なのです。
こういうわけでエジプトのファラオの悪事はあっさりと語られ(17-19節)、助産師たちの勇気ある行動も、姉ミリアムの知恵ある行動も省略されます。エジプトの役割はむしろ、ファラオの王女がモーセに最高の教育を授けたことにまとめられています(21-22節)。このことは特段聖書に書かれていません(出エジプト記2章参照)。ステファノは、モーセの容姿ではなく(20節私訳参照)、最高の教育を授けられたことからくる言語能力に注目しています(22節)。これも出エジプト記の記述に反しています。モーセは口下手でした(出エジプト記4章10節)。ステファノがモーセを、決定的な時に生まれたキリストに重ね合わせ(ルカ2章11節)、言葉と業において力のあったナザレ人イエスに(同24章19節)、なぞらえさせ格上げしようとしているからこその解釈です。
23 さて彼のために四十年の期間が満ちた時、彼の心の上に彼の兄弟たち・イスラエルの息子たちを訪ねるということが持ち上がった。 24 そして不正に扱われている人を(彼は)見たので、彼は弁護した。そして彼は抑圧されている者のために報復をした、エジプト人を殴って。 25 さて、兄弟たちは神が彼の手によって彼らに救いを与えると理解するだろうと、彼はみなし続けていた。さて彼らは理解しなかった。
23節にも「モーセ重視」の読み込みが見えます。四十年という期間は無駄な時間ではなく、「彼のため」のものであり、モーセの意思でイスラエルを訪れようと思ったのです。モーセの主観は出エジプト記には書かれていません。
エジプト人のイスラエル人に対する不正や抑圧も、そしてモーセの報復や暴力も、ステファノにとってあまり問題になりません。ステファノはイスラエル人を弁護するモーセ像を創り出し、さらに「殺人罪」ではなく「傷害罪」に犯罪を和らげモーセを弁護しています。ステファノにとっては、民を救うために訪れたモーセが民に理解されるかどうかが問題なのです(25節)。ここにも拡大解釈があります。出エジプト記によれば、モーセは虐待されたイスラエル人を弁護しません。またイスラエルの民に理解されたくてエジプト人を殺したわけでもありません。こうして「モーセを理解しなかったイスラエルが悪いのだ」とステファノは暗に陰に主張しています。
26 そして次の日に彼は論争をしている人々に見られた。そして彼は彼らに平和へと強要した。曰く、「男性たち、あなたたちは兄弟だ。それなのになぜあなたたちはお互いを不正に扱うのか」。 27 さて隣人を不正に扱っている男性が彼に反発した。曰く、「誰があなたを私たちの上の統治者や裁判官に任命したのか。 28 あなたは私を殺したくないのか。あなたが昨日エジプト人を死なせた手法で」。
「見られた」(26節)は神が登場する(顕現)時にしばしば用いられる動詞です。キリストが現れたことと重ね合わされています。キリストは互いに争う者たちに平和を勧めます。「強要した」(26節)は語源的には、「共に変わる」こと、「互いに交換すること」です。平和への道の第一歩は立場の交換です。不正を行う者が不正を行われる者と立場を変えて考え行動する時に、平和の芽が生まれます。「不正に扱っている男性」(27節)、すなわち加害者が明確に存在していることが重要です。単なるお互い様ではないのです。単なる喧嘩両成敗もまた真の解決にはなりえません。
ここにもサマリア人の譬え話が見え隠れしています(ルカ10章)。被差別者のサマリア人が差別者のユダヤ人を助けるという視点の逆転と交換が、あの譬え話の中核にあります。本来ならば平等であるはずの者同士(「兄弟」26節)が、共に変わるという平和への第一歩が譬え話に示されています。ユダヤ人とサマリア人は対等の「兄弟」です。
このような平和を強く勧めるモーセ(イエス)に、イスラエルは反発します。「あなたはわたしたちの上に立つ統治者・裁判官ではない。神はあなたを任命していない」。イスラエルには裁判による統治という伝統があります。モーセも神明裁判によって統治しました(出エジプト記18章参照)。その伝統を受けて、「士師(さばきつかさ)judges」という役職に就く者は民全体を政治的に指導しました。この人々は真の「王」である神によって任命され、神から派遣された人々です。つまり27節で「統治者」と「裁判官」は同じ意味で用いられています。イスラエルは神から遣わされた人モーセを退けたのです。こういう仕方で、イスラエルは「イエスは主ではない」と反発した最高法院をはじめとする「イエスを殺した人々」と重なり合わせられています。
27-28節のイスラエル人の発言部分は、一言一句ギリシャ語訳旧約聖書に一致しています。ステファノが最も親しんでいた聖書本文です。もしかするとこの部分を彼はギリシャ語で語ったかもしれません。サマリア五書を用いたり、ギリシャ語訳をギリシャ語で用いたりするステファノの自由な姿勢が、引き続き最高法院の議員たちを苛立たせていきます。
最高法院の議員たちは、現在の正統ユダヤ教が用いているヘブライ語聖書本文の家系を「正典」として用いていたはずです。そして後に、正統ユダヤ教はサマリア五書系列・ギリシャ語訳系列の聖書本文を徹底的に滅却したのでした。キリスト教会はギリシャ語訳の旧約聖書を「正典」とし、それに「新約聖書」各巻を付け加えていきました。翻訳でも良いという大胆な考え方は、ステファノたち最初期のキリスト者が既に持っていました。
29 さてモーセはこの言葉によって逃げた。そして彼はミディアンの地に寄留する者となった。その所で彼は二人の息子たちを儲けた。
モーセがエジプトからミディアンに亡命した理由はファラオがモーセを指名手配したことです(出エジプト記2章15節)。ステファノによればそうではなく、モーセがイスラエル人からの反発の言葉を聞いて逃げたというのです(29節)。ここにもファラオの役割の縮小と、「イスラエルの反発」という役割の拡大があります。最高権力者による迫害よりも、仲間の反抗の方が主題として重いという判断です。民族主義に基づく反エジプトではなく、神の民イスラエルに対する批判が説教を貫いています。
興味深いことにステファノはモーセがミディアン人と結婚し、二人の息子をミディアンの地で授かったという事実は省略しません。最初の息子ゲルショムの名前が「寄留者(ゲール)」に由来するからでしょう。モーセが寄留者・外国人であるということがステファノにとって重要です。あるいは、モーセが何人であるか分からないほどに国際的であることが、初代教会にとって重要です。キプロス人の父とレビ部族の母をもつ使徒バルナバを思い起こしてください。民族主義を乗り越えている人を、教会は用います。なぜならペンテコステの時から教会は様々な背景を持った外国人たちのものだったからです。
モーセの生まれはイスラエル人レビ部族です。しかし約四十年間エジプト人としてエジプトの王宮に暮らしていました。そこからミディアン人として四十年間羊飼いとして暮らすのです。ミディアン人祭司の娘ツィポラと結婚して定住していますから、ミディアン人として死ぬつもりだったことでしょう。そのモーセを神がイスラエル人の指導者とします。「わたしは誰か/何人か」(出エジプト記3章11節)は、モーセの寄留者人生を貫く問いです。
モーセについて語りながら、ステファノはモーセのようになっていきます。「自分も転々と寄留してきた。まずユダヤ教会堂に行ってユダヤ教徒に改宗した。その後、エルサレムで教会に加わった。寄留者の自分を教会は温かく迎え、自分の語学力を重宝してくれた。そして福音宣教者・指導者にまで押し立ててくれた。人を民族や言語や外貌で判別しない教会の交わりに力がある。この自由こそイエスの霊による救いだ。自由に逆らう自由だけは人に許されていない」。ステファノは、神のくださる自由に反発する頑なな人々に向けて、悔い改めの宣教をしています。
今日の小さな生き方の提案は、自由に考えて自由に生きるということです。ステファノの家の教会には、たくさんのイエスの譬え話・教え・言動・奇跡が伝えられていたと思います。数種類の旧約聖書本文もありました。多種多様な教会員がいて礼拝をしていました。イエスは寄留者モーセについて語りませんでしたが、ステファノたちはそこに留まりません。イエスの霊に導かれて、イエスの聖書解釈をもさらに超えた範囲で、旧約聖書を旅していきます。そしてモーセとイエスは似ていると結論づけるのです。リベラル(自由)です。ステファノはこうしてイエスに似ていきます。わたしたちも頭を柔らかくしたいと思います。そして今週も風の吹くままに生きていきましょう。