最も大切なこと コリントの信徒への手紙一 15章1-11節 2021年4月4日(復活祭) 礼拝説教

イースターおめでとうございます。キリストの復活を共に祝うことができることに感謝をしています。十字架で殺されたイエス・キリストが、神によってよみがえらされたことはキリスト教信仰の中心です。それを「福音」(1節)とコリントの信徒への手紙一を書いたパウロは呼んでいます。

使徒パウロがこの手紙を書いた時期は紀元後55-56年と言われます。小アジア半島のエフェソという町に滞在していた時に、海を挟んで向う側のペロポネソス半島のコリントという町にある教会に出した手紙です。二つの都市は当時の大都会です。パウロたちの伝道は大都市で行われていました。このことは日本の伝道を考える際に示唆を与えます。一般的に新興宗教は大都市で受け入れられるものです。様々な人・多くの人が行き交う都市部は、様々な価値観があって良い場所だからです。また「福音」そのものが多様な価値観があって良いという自由を含んでいるので、都市に住む人々の求めに合うのです。エルサレムという外国人も往来する首都で初代教会が始まったことは偶然ではないでしょう。東京一極集中という課題を解決しながらでなければ、日本の農村部へのキリスト教伝道は困難ではないかと感じます。

さて、現存するコリント教会への手紙は二つですが、いずれも激しいやりとりが記されています。全体として非常に論争的です。15章は、キリストの復活に関する論争です。今日のわたしたちがキリスト教信仰の中心としていることがらも、最初期の教会にとっては論争の的だったのです。パウロは1-2節で居丈高に、改めて「福音」を宣告するからよく覚えておけと言います。少し嫌な書き出しです。書いているパウロの苛立ちが垣間見えます。

わたしたちは使徒言行録を毎週少しずつ読んでいます。その著者ルカは、パウロの友人であり支援者であり主治医です。使徒言行録19-20章を見ると、ルカはエフェソの町でパウロと一緒に居ないことが分かります。20章5節にある通りトロアスという町でパウロと合流しているからです(「わたしたち」の中にルカが含まれる)。パウロはどのような心持ちで手紙を書いたのでしょうか。

パウロという人は論争を好み、論敵に対して厳しい言動をする人です。9節で率直に白状している通り、彼は教会を迫害し暴力的に弾圧した人物です。ステファノを殺すことに加担もしています(使徒7章58節、8章1節)。信徒となり使徒となった後も生まれつきの性格は変わりません。激しい性格のパウロの隣には穏やかな人が必要だったと思います。福音書記者マルコは激しいパウロの前から逃げ出しました。ちなみにマルコはパウロと別の意味で「福音」という単語を使い、福音書という分野を創始しました。恩人バルナバともパウロは喧嘩別れしています。医者のルカは珍しく最後までパウロに同伴できた穏やかな人です。使徒言行録やルカ福音書の筆運びは優しく温かいものです。コリントの手紙が激しい内容になっていることは、書かれた時期にパウロの理解者ルカがそばにいなかったからかもしれません。持病に苦しむパウロには心身ともに医者が必要なのです。復活というものが人間にどうしても必要だと力説する強いパウロは、自分自身「快復」を常に求めている弱い人間でした。

興味深いことに、15章の内容は使徒言行録の記す教会の誕生の経緯と若干異なっています。ルカはユダを除いた十一人を対象にしていますが(使徒1章13節、ルカ24章33節)、パウロは「ケファ(ペトロ)」と別に「十二人」を挙げています(5節)。パウロが書く「五百人」(6節)や「(主の兄弟)ヤコブ」(7節)にキリストが見られたということをルカは書きません。逆にルカの記すエマオ途上の「二人の弟子」(ルカ24章13節)や「百二十人」(使徒1章15節)や「三千人」(同2章41節)を、パウロは記しません。

二人が示し合わせてそれぞれの文書を書いていないことは明らかです。もしパウロの死の前後に使徒言行録が書かれているなら(紀元後60年ごろ)、二つの文書はほとんど同じ時期のものです。それでもこの違いが生まれています。親友・盟友であるにもかかわらず。またパウロが、同じ「福音」をルカに対しても伝えたことは確実であるにもかかわらず。

別の言い伝えを書くという形でルカはやんわりとパウロの論争的・攻撃的姿勢を批判し包み込みます。「この道しかない」という言い方の持つ危険をルカは知っています。特にキリストの復活に関しては、いろいろな見方や信じ方があるのです。ルカは「福音」という言葉をたった一回、パウロの説教の引用としてしか用いません(使徒20章24節)。これはパウロに対する応答です。福音というもののもつ内容を一つに限定させないためでしょう。ルカ文書は「ゆるめの物語」です。パウロの手紙は福音の内容を一つに限定させ、その一つを拒絶する相手を説得するための「きつめの論文」です。

まずは多様性が聖書にある恵みに感謝したいと思います。それは多様性の認められない日本社会に対する警告となります。その上でルカとパウロの語る共通部分に注目し、そうしてキリストの復活の希望を分かち合いたいと願います。

共通することの第一は、キリストを見る経験は使命と結びついているということです。「キリストはわたしにも見られた」(8節)と語るパウロは、直後に「神の恵みがわたしに他の使徒たちよりも多くの働きをなさせた」と語ります(10-11節)。恵みとは、神から無条件に与えられた救いと、問答無用に授けられた使命です。使徒言行録9章にある「パウロの回心物語」は、彼にイエスが見られたこととバプテスマを受けることが、非ユダヤ人世界での伝道という使命と結びついていることを示しています(5-6節、11-12節、15-16節)。パウロとルカは、復活のイエスを見るという救いが、自分には何ができるかという問い、神は自分に何を求めているのかという問いと、切り離せないことであるということに同意しています。両者の共通点です。

いささか人格的均衡を欠いた人物としてのパウロを、あえて言えば癖の強いパウロでさえ神が用います。彼は居丈高になったり、つい筆がすべって「わたしは彼らよりも働いた」(10節)と書いてしまうので、ステファノのように他人に好かれる人格ではありません。あの人とは関わりたくないと他人に思わせる人です。あくの強いパウロが交わりそのものである教会(ダマスコやアンティオキアの教会)に受け入れられ、自分も教会を担い、教会づくりを手伝っていきます(ギリシャ・小アジア半島の諸教会)。それによって、パウロが癒され、快復させられ、よみがえらされるためです。

救いと使命は結びついています。使命を果たすときに復活を体感できます。「自分は何のために生まれたのか。何をするために生活しているのか」。このような人生にとって最も大切な問いは、しばしばわたしたちを失望させます。キリスト教信仰はこの問いに対する一つの答えを持っています。小さな一つでも誰かに喜ばれることをして、そのことを自分も喜ぶという体験があれば、その一つのことがらを為すためにわたしたちは生きていると言えます。そして、そのように思うことがわたしたちの魂をよみがえらせるのです。

平和(シャローム)は球のような円満な状態です。救いは球の歪みや窪みが治される経験です。パウロもわたしたちも、何か歪んでいます。教会に連なることで、互いに愛し合うことで、正義が実現することで、その歪み窪みが丸くなっていくのです。救いと使命は結びつき、神の恵みはその小さな一つのことがらに働いています。それが欠けや傷の多い一人ひとりの生命を円満にし、世界を円満にしていきます。復活はシャロームへの過程・道のりです。

パウロとルカの共通点の二つ目は、「旧約聖書のもろもろの聖句に従ってキリストがわたしたちの諸々の罪のために殺されよみがえらされた」という信仰です(3・4節)。3節の「聖書(書かれた物)」は複数形です。旧約聖書の一つの聖句が引用されているわけではなく、複数の聖句を組み合わせるとイエスの死と復活が予告されていたというのです。具体的にはイザヤ書53章5-12節とホセア書6章2節です。この二つの聖句をルカも挙げています(ルカ24章46節、使徒8章32-33節)。こうして「十字架と復活のイエスが、キリスト・神の子・救い主である」という信仰が、旧約聖書を基盤に、旧約聖書を正典として信じている人たちの中で固められていきます。パウロもルカも、また福音書記者たちも、初代教会の全ての信徒たちが共有していた聖書の読みです。

教会形成のなかでパウロという人の異能がよく発揮された分野は、人と人を結びつける部分ではなく、旧約聖書の解釈にかかわる部分です。彼がファリサイ派の律法学者だったからです。主にギリシャ語訳聖書を用いて、ギリシャ語を用いるユダヤ教徒たちからの反論に対して、彼の能力が発揮されます。ギリシャ語圏のシナゴーグで、パウロはイザヤ書53章とホセア書6章をめぐって、侃々諤々の論争をユダヤ教徒たちと繰り広げました。ただし口下手なパウロは論争ではあまり勝てません(コリントの信徒への手紙二10章1節)。むしろ文章による論証で才能を発揮したのだと思います。それがパウロの手紙が多く残っている理由でしょう。もっと多くの手紙が書かれていたはずです。

人間関係でしばしば悩んでいたパウロを救ったのは、聖書を読むこと、聖書を読み解くこと、聖書の解釈を書き留め発表すること、さらにそれが閲覧され諸教会の礼拝で用いられることです。テサロニケの信徒への手紙一に始まって、それらの手紙が新たに新約聖書となって正典に加えられていきます。聖書に携わる時に自分はこのために生まれたのだとパウロは実感します。この活動ならば牢獄の中でさえもできます。苦しみを受けたまま、十字架につけられたままで、パウロは快復・復活を経験します。救いと使命は関係してるのです。

ここで教会とはどのような集まりであるかを学ぶことができます。教会は、書かれた聖書(正典)を中心にした交わりです。もちろん教会は旧約聖書を自由に解釈したがゆえに誕生しました。イザヤ書・ホセア書も当初預言者自身が構想した内容とは違う内容にキリスト教徒は改変しています。しかし、もしも解釈されるべき元々のイザヤ書・ホセア書が存在しなければ、何も始まらないのです。ペトロもヨハネも、ステファノもパウロも、書かれた物を尊重して解釈し、聖書に従って、正典に拠って立って毎週の礼拝を捧げていました。聖書を開くと復活の主イエスが現れるという信仰こそ、教会の中心です。聖書を巡ってわたしたちの心が燃やされるのは、復活の主イエスがわたしたちの読み解きを手ほどきしてくださるからです。教会は聖書を通してキリストの復活を信じ、聖書を通して復活者に出会う、そういう礼拝を捧げる集まりです。

今日の小さな生き方の提案は聖書を中心とする礼拝の中で復活の主イエスに出会うことです。「わたしは何のために生まれてきたのか」という正しい問いをもって礼拝で聖書を読む時に、小さな示唆が与えられます。その小さな示唆に基づく小さな行い(愛・義・平和)をする時に、小さな喜びが与えられます。その喜びに与かり、小さな復活を経験することが人生の意義です。次の礼拝で一つの答えが与えられ、よみがえらされたことをわたしたちは感謝します。また平日に苦難が押し寄せ落ち込んだ時に、同じ営みを繰り返すのです。パウロを用いながら救った十字架と復活の主イエスは、人生の十字架に磔にされたままのわたしたちを、そのままでよみがえらせてくださいます。