宦官のバプテスマ 使徒言行録8章32-40節 2021年6月6日礼拝説教

32 さて彼が読み続けていた書物の囲みはこれであった。「羊がと畜のために導かれたように、そして、子羊が彼を刈る者の前で黙っているように、彼は彼の口を開かない。 33 彼の低みにおいて彼の裁きは取り上げられた。誰が彼の種族について書くだろうか。というのも彼の命が地から取り上げられるから。」

 エチオピア人宦官とフィリポは馬車の隣に座ります。宦官は創世記から読み進めイザヤ書53章に差し掛かっていました。32節はギリシャ語訳イザヤ書53章7-8節を一部省略しながらも逐語的に引用したものです。宦官が読んでいた聖書はギリシャ語訳だったことが伺えます。現在残されているギリシャ語訳大文字写本によれば、イザヤ書はほとんど最後の書、十二小預言書よりも後に置かれています。宦官は聖書を読了する勢いなのです。彼の興味関心の強さが伺えます。またこのことは彼が申命記23章2節を既に読んでいることをも意味します。「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない」。エルサレム神殿で排除され失望した彼は、さらに聖書を読んで失望します。それでも彼は聖書に食らいついて驚くべき速さで読み進めます。

その彼がある箇所で止まってしまいました。「囲み」(32節)という言葉は意味不詳の単語です。もしかすると彼の聖書には53章7-8節を囲いこむ書き込みメモがあったのかもしれません。キリスト者だった元々の所有者が、53章7-8節を「イエス・キリストのことを指す」という意味でメモ的に囲んでいた可能性があります。そのキリスト者はエルサレムでギリシャ語訳を用いていた国際派の信徒であり、迫害のために聖書を手放した人物かもしれません(ステファノ?フィリポ?)。その聖書が回り回ってエチオピア人求道者を伝道します。

メモ(血の叫び)は宦官を正しく躓かせます。ここで沈黙を貫いた人物は誰なのか。取り上げられた裁判とは何の事件なのか。おそらく死刑に処されたであろう「彼」とは誰か。何度も何度も同じ個所を音読している時に、馬車と同じ速さで走っているフィリポが彼に声をかけたのです。「繰り返し読んでいるイザヤ書53章の意味が分かりますか。」

34 さて(彼は)答えて、宦官はフィリポに言った。「私はあなたに願い続ける。預言者は誰についてこれを言っているのか。彼自身についてか、あるいは誰か別人か」。 35 さてフィリポは彼の口を開いて、そしてこの書物から始めて、彼にイエスを福音宣教した。 

 宦官はフィリポにずばり尋ねます。「彼」とはイザヤ自身なのか、それとも他の誰かなのか。キリスト教信仰と、キリスト教信仰発生に関する極めて重要な問いです。フィリポは十二弟子の一人であり、最初の百二十人の弟子たちの一人です。最初の四十日は復活のイエス自身が、「キリストは聖書に書いてある通り苦しみを受け、その後よみがえらされる」と説明してくれました。後半の十日間は、彼ら彼女たちはイエスから教わった箇所を囲んで、聖書研究を深めていました。その一つがイザヤ書53章です。

 フィリポはイエスの裁判について説明します。この裁判が杜撰なものであったということ。冤罪をかぶせられた被告イエスは、奇妙なほど沈黙をつらぬいたこと。イエスは低みに立ち続けたこと。それを悪用して最高法院が死刑判決をくだしたこと。それは裁判の正統性そのものを取り去ってしまうものであったこと(33節)。宰相である宦官はつい最近まで首脳会談をしていたユダヤ自治政府の議員たちの顔を思い浮かべながら、拙い自治の例を聞きます。お粗末な政治であり、ひどい不正義です。このままでは全く福音になりません。冤罪による思想犯の処刑という十字架だけでは「イエスを福音宣教」(35節)したことにはなりません。フィリポはこの十字架が贖罪という意味を持っていて、自分たち裏切りの弟子たちを赦してくれる出来事だったとも言ったでしょう。十二弟子にとってはそれは欠くことができない重要な点です。しかしステファノの盟友フィリポの力点はそこからずれていきます。

 ルカ文書(ルカによる福音書と使徒言行録)は「贖罪」という教理を前に出しません。イエスの十字架がわたしたちの罪の身代わりのための犠牲だったと言いません。動物の犠牲によって人間の罪を償うという贖罪はユダヤ人にとって馴染み深い考え方ですが、ギリシャ人であるルカには「福音」になりきらないのです。凄惨な犠牲というよりも、むしろ「赦しの祈り」こそが十字架の意義です(ルカ23章34節、使徒7章60節)。敵を愛するということを貫いた唯一無比の代表選手としてイエス・キリストは主です。

ルカや国際派のフィリポにとっては、神の赦し・寛容・共感の範囲が無条件に広げられていることが福音です。フィリポもまたステファノたち国際派の信徒との交わりの中で、自分の福音理解が広げられ成長しています。すべて人の子は神の子なのです。ユダヤ人であるかどうかも身体的特徴も関係ありません。

「申命記には宦官は主の会衆に入れないとあるけれども、イエス・キリストの会衆には入ることができる。同じイザヤ書56章3-7節を見よ。異邦人と宦官が礼拝者となることが約束されている。そもそも礼拝場所はすべての民の祈りの家と呼ばれるべきものだ。生前イエスはそのように教えてくれた。エルサレム神殿よりもわたしの家の教会の方が、その趣旨にかなっていた。そこにはさまざまな民族出身のさまざまな年齢の人々が集まり会衆となって礼拝をし、その中からバプテスマを受けて入信・入会していく人が続々と与えられていた」。

福音宣教者フィリポは、エチオピア人宦官の失望を希望に裏返します。切々とギリシャ語訳聖書に基いて、しかし聖書を大胆に解釈しイエス・キリストにあてはめて、読み解いていくのです。宦官は神の愛に感動します。

36 さて彼らが道に沿って行き続けた時、彼らは何ほどかの水に接するところに来た。そして宦官は宣言する。「見よ、水が。私が浸されることを何が妨げているか」。

 ガザへ行く道の途中、ふと見ると泉がありました。自分もバプテスマを受けたいと宦官はフィリポに言います。演説調で堂々とした語りから、彼の固い決意がうかがえます。フィリポはどのように答えるのでしょうか。もしわたしがフィリポだったならかなりの躊躇をすると思います。もう少し教会の交わりを経てから、礼拝に何回か来てからなどなど思いめぐらすことでしょう。しかし、フィリポには瞬発力がありました。もちろん、主の天使・神の霊によって導かれた出来事であるから、この一期一会を逃してはならないと思っていたと思います。また、もしここでフィリポがひるんだら、それはエルサレム神殿に排除された宦官を、さらに失望させることになると知っていたからだと思います。次の言葉は、初代教会のバプテスマを受ける時の「定型句(式文)」と推測されます。フィリポは突然の志願者に、いきなり式文をあてはめて信仰告白へと促します。

37 さてフィリポは言った。「もしあなたが全ての心から信じているなら、それは適切だ」。さて(彼は)答えて、彼は言った。「わたしはイエス・キリストが神の子であると信じている。」 

 37節が元来の本文に存在したかどうかについては週報四面に書いておきました。元来の本文をアフリカ系信徒を格下げする理由で削除したと採ります。底本(後4世紀)よりも古いアフリカの教父キプリアヌス(後3世紀)が聖句として引用しています。「イエス・キリストは神の子である。彼を信じることによってわたしが実はすでに神の子だったことを再発見できた。これからイエスをキリストとして礼拝する人生を全うしたい」。サマリア人がユダヤ人かどうかはひとまずおいて、いわゆる「異邦人」の中で初めてバプテスマを受けた人物は、エチオピア人の宦官でした。こうして福音はまず先にエチオピアに伝播します。サマリア人やエチオピア人への伝道、これらがヨーロッパ人への伝道よりも先だってある、しかも重要な位置で使徒言行録に記載されています。

38 そして彼は車を止めることを命じた。そして彼らは二人とも水の中へと下った。そして彼は彼を浸した。 39 さて彼らが水から上った時、主の霊がフィリポを奪い去った。そして宦官はもはや彼を見なくなった。というのも彼は彼の道を行き続けたからだ、喜びながら。 40 さてフィリポはアゾトにおいて見出された。そして(彼は)通り過ぎながら、彼は全ての町々(の間)で福音宣教し続けた。彼がカイサリアに来るまで。

 ここでのバプテスマは全身浸礼を示唆しています(38節)。宦官がバプテスマ直後にフィリポを見失ったことは、エマオの宿でパンを割いた時にイエスが消えたことと重なっています(ルカ24章31節)。主の晩餐もバプテスマも、それによってキリストによる救いを追体験する出来事ですが、しかし、本質的には信徒一人ひとりを自分の人生に押し出すための儀式です。教友もイエスも見えない・聞こえない・触れない環境で、月曜日からの日常をわたしたちは全うしなくてはいけません。「というのも彼は彼の道を行き続けたからだ、喜びながら」(39節)。宦官が自分の人生を喜んで歩む時に、聖書の案内人フィリポはもはや不要です。牧師もまたそのような職務の人間でしょう。

 主の霊はフィリポをガザからアフリカ方面(南方)には導きませんでした。そこから北上させてアゾト(アシュドド)を経て、カイサリアまで行かせます。カイサリア(海のカイサリア)はパレスチナ唯一の大港湾都市です。ヘロデ大王が港を作りローマ風の町づくりをしました(前22年)。アレクサンドリアに次ぐ図書館を有する大都市であり、ローマ総督府がおかれていた町です(後6年以降)。ピラトはここに常駐し時々エルサレムを往復していました。わたしたちはエルサレム中心主義という固定観念を砕かなくてはいけません。

カイサリアの町の住民の大半はギリシャ系ですが、少数派のユダヤ人たちと常に自治の主導権争いをしていました。国際派フィリポはここに定住します(21章8節)。後2世紀にこのカイサリアに司教座が置かれるほどキリスト教が盛んな町となりました。その礎を築いたのはエチオピア人宦官と出会って、すっかり元気を取り戻したフィリポです。「というのも彼は彼の道を行き続けたからだ、喜びながら」(39節)。これは宦官だけではなく、フィリポのことをも指しているように、わたしには感じられます。キリストの霊(風)の不規則な導きに委ねるならば、わたしたちはわくわくする出会いによって新しい使命を与えられて、いつでも立ち上がることができます。フィリポの家の教会には地中海全域のあらゆる種族・民族の人々が集まっていたことでしょう。全民族を包含する働きは対立を深める町の自治にも良い影響を与えたことと推測します。

今日の小さな生き方の提案はイエス・キリストの十字架を「無条件・無制限・無制約の赦し」と全世界への福音として信じるということです。そしてそれを信じたいという人の心を瞬間的に全肯定することです。「何が妨げ」なのか。信徒が入信したい人を妨げるという逆転を、仮に牧師といえども起こしてはいけないのです。この不規則な出来事を喜べるようになると、人生は失望から希望に覆ります。自由なわたしたちに自由な神が生きがいを与えます。