1 さてサウロは、なおも主の弟子たちへの脅迫と殺害の気を膨らませながら大祭司のもとに行って、 2 彼はダマスコにおける諸会堂宛の、彼による手紙を求めた。彼がかの道に属する誰かを見出すならば、男性であり続けていてもまた女性で(あり続けていて)も縛り上げて、彼がエルサレムへと連れて行くことができるように。
以前名前だけ紹介されていたサウロという若者が本日の主役です(7章58節、8章1節)。サウロはヘブライ語名シャウル(サウル王と同じ)のギリシャ語風の読み方です(サウロスの男性語尾を省略)。彼には純ギリシャ語名も生まれつきありました。それがパウロ(パウロス)です。22章によれば、シャウル/パウロスは小アジア半島キリキア地方の首都タルソス出身のユダヤ人です。離散ユダヤ人の子孫でギリシャ語が彼の第一言語です。ギリシャ語が地中海の東側の共通言語だったからです。ローマ軍用の天幕製作業者だった両親はローマ市民権を持っていました。皇帝への忠誠も強かった両親は、その一方で彼にベニヤミン部族の英雄サウル王に因んだ名前をつけました。彼に大いに期待して、エルサレムへの留学をさせ、ファリサイ派の律法学者としての道を歩ませました(フィリピ3章5節)。母国にいない人の方がかえって民族主義的になることがあります。サウロの生まれ育った環境はそのようなものだったのでしょう。
サウロはエルサレムで律法の大教師(ラバン)ガマリエルに師事します。ファリサイ派の大御所であり最高法院議員の一人です(5章34節)。またサウロはエルサレムでは神殿での礼拝を続ける傍ら、故郷キリキア出身のユダヤ人たちによって成る、ギリシャ語を使って礼拝する会堂にも出入りをしていました(6章9節)。どんなに語学が達者でも人は第一言語の交わりを欲します。その会堂でサウロはナザレ派の一人の雄弁家に出会います。エルサレム教会の国際派指導者ステファノです。サウロは母語で徹底的にステファノに論破されます(同10節)。サウロは面と向かう弁論が苦手だったからです。
後の彼が書いた手紙を読んでもサウロという人が激しい気性の持ち主であり執念深い性格であることが分かります。当初ナザレ派に寛容だったガマリエルらに、サウロが進言しステファノの虐殺計画を企画したと推測します。自分自身は議員(=証人)ではないので、「秘書」として議員たちの上着の番をしながら、しかし積極的にステファノ殺しに参与します。さらにサウロはエルサレム教会の国際派だけを狙い撃ちして、男性でも女性でも投獄していきます(8章3節)。教会のメンバーに女性がいるということそのものに嫌悪感があったのでしょう。サウロの女性に対する憎悪は彼の短所です(1コリント11章)。
エルサレムの教会から全ての国際派を一掃したサウロは、シリア地方の首都ダマスコに行こうとします。そこにギリシャ語を使うキリスト信徒たちが「家の教会」をいくつも作っているという情報を得たからです。無名のギリシャ語話者の信徒たちは、サマリアを超えてシリア・メソポタミアにも、エジプト・エチオピアにも既に伝道していたのです。サウロにとっては鼻持ちならない状況です。彼はガマリエルの紹介で大祭司に面談をし、国際派の「逮捕状」を発行させます。最高法院に代表される当時のユダヤ教「正統」は、離散ユダヤ人たちの会堂にある程度影響力を持っていたそうです。大祭司は、サウロの望むように添え状を書きました。「かの道に属する者を誰でもサウロは逮捕できる」というお墨付きを与えたのです。サウロは勇躍200kmの道のりを歩き始めます。
隣の属州の首都に行ってユダヤ人だけではない人を「異端」という理由で逮捕しエルサレムまで連行するということは尋常な発想と行動ではありません。ローマ帝国を刺激しかねないからです。サウロという人の極端さが分かります。
3 さて(彼が)行く中で、彼がダマスコに近づくということが起こった。突然、天からの光が彼をも照らした。 4 そして(彼は)地の上に落ちて、彼は彼に言っている声を聞いた。「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」。 5 さて彼は言った。「あなたは誰か。主よ」。さて彼は(言った)。「私、私がイエスである。その私をあなたが迫害しているのだが。 6 しかしながら、あなたは立ち上がれ。そしてあなたはかの町の中へと入れ。そうすればあなたのためにあなたが何をするべきであるのかが述べられるだろう」。
サウロとイエスの出会いは突然でした。イエスが十字架で処刑された時もサウロはエルサレム市街に住んでいたと思います。しかしサウロはイエスの処刑について興味がなかったようです。ましてやガリラヤで展開された「神の国運動」についても無関心だったと思います。二人の間に面識はありません。サウロは白昼夢を見ます。突然の光に目がくらむ中、声だけが聞こえるのです。それはヘブライ語で語りかけるイエスの声でした。「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」。十字架上の最後の絶叫とそっくりの言葉です。「わが神、我が神、なぜ私を棄てたのか」(マルコ15章34節)。ガリラヤからつき従っていた女性たちならばすぐに「あれは主だ」と気づいたことでしょう。
初対面のサウロは尋ねます。「あなたは誰か、主よ」。この問いは非常に深い内容を含んでいます。イエスはヘブライ語で質問をしています。当然サウロもヘブライ語で返します。その際に「主」(ギリシャ語キュリオス)は「ヤハウェ」という神の名前です。サウロは、語りかけている方が旧約聖書の神ヤハウェであることを知っているのです。
そして国際派キリスト者と接しているサウロは、「イエスは主(キュリオス)である」という信仰告白を知っています。正にここがサウロの問いです。「イエスがヤハウェであるのかどうか。ナザレ派はあっさりと人の子イエスが神ヤハウェであると同一視しているが、そのようなことがありうるのか。人が神になってはいけないし、神は人になるわけがない。神は見えず聞こえず触れない方だ」。ところが超自然現象として天から声が聞こえています。神以外の声ではありえません。しかも「なぜ私を迫害するのか」という質問の声です。
サウロは国際派の信徒の言動も知っています。彼ら彼女たちは「これらの最も小さな者にする慈善は主イエスにすることと同じ」と言って、自ら隣人になっていく人々でした。また逮捕される時にも、「あなたたちは神の子イエスを迫害しているのと同じことをしているのですよ」と言いながら投獄されていく人々でした。ステファノに至っては殺す人々のために祈っていました。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。その姿は、十字架のイエスと似ていたと後でサウロは聞きます。信徒とイエスは一つです。
「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」という質問は、サウロにキリスト信徒たちの言葉と振る舞いを思い出させました。信徒はキリストと一体であり、キリストも信徒と一体なのです。そのような出来事が成立するのは、真の神と真の神の民との間だけです。もしかするとナザレ派は正しいかもしれない。もしかするとナザレのイエスが旧約聖書の神ヤハウェと同じ方なのかもしれない。「ヤハウェよ、あなたは誰なのか。イエスなのか、そうでないのか」。サウロは率直かつ根本的な問いを発します。これはサウロが信徒を迫害をしながらずっと潜在的に考え続けていた魂の問い・悩みです。もしかすると私は間違えているかもしれない。師ガマリエルの謙虚な信仰姿勢です。
「私、私がイエスである」(ギリシャ語:エゴ エイミ イエスス/ヘブライ語:アノキ ヨシュア)。この回答にサウロの頭は真っ白になります。完全に打ちのめされたのです。光に照らし声をかけている方はヤハウェ神です。旧約聖書の神の自己紹介定式に沿って(「私はヤハウェ」「わたしはある」など)、「私はイエス」と語り、しかも「私をあなたは迫害している」と言うのですから。サウロは、今までの人生が全否定されたような衝撃を受けました。
しばらくの間があり、「しかしながら(アッラ)」とイエスは続けます。この単語は強い逆接の接続詞です。全否定ほどの大きな衝撃を与えたイエスが、それと同等かそれ以上の全肯定の言葉をかけます。「あなたは立ち上がれ。そしてあなたはかの町の中へと入れ。そうすればあなたのためにあなたが何をするべきであるのかが述べられるだろう」。サウロを地に倒すことがイエスの目的ではありません。信徒たちの報復(死刑)をしようとしているのでもなく、サウロを未来に向かわせるために、イエスは過去のサウロを打ち砕きます。ダマスコという「前へ」向かうことをイエスが求めます。その目的はもはや信徒に対する迫害のためではありません。ダマスコの信徒と出会わせるためです。イエスがヤハウェであるという信仰がサウロを活かし、同じ信仰を持つダマスコ教会の人々との交わりがサウロを活かし、「イエスは主」という福音を告げるという使命がさらにサウロを活かすことになります。古い生き方に死んで新しい生き方に生き直す。それこそ復活のイエス・キリストが求めるところです。
7 さて彼に同行している男性たちは黙って立ち尽くした。一方で声を聞きながら、他方で誰をも見ないまま。 8 さてサウロは地から起こされた。さて(彼は)彼の両目を開けながらも、彼は見えないままだった。さて彼を手引きしつつ、彼らはダマスコの中へと連れて行った。 9 そして彼は三日見えないままだった。そして彼は食べることも飲むこともしなかった。
サウロに同行している男性たちはおそらくファリサイ派のユダヤ人です。彼らも光に照らされイエスの声を注意深く聞きました。そして彼らがイエスの声に従ってダマスコへとサウロを起こし連れて行きます。サウロは視力を失っているのですから、自力ではイエスの言葉に従えません。立ち上がることもダマスコに行くこともできません。四人の人が病気の友人を床に乗せてイエスのもとに吊り下ろしたように(ルカ5章17-26節)、男性たちは時にサウロを挟みながら、時に自分の肩や肘をサウロに掴ませながらダマスコへと行きます。
彼らはファリサイ派のユダという人の家にサウロを連れて行きます(11節)。ユダはおそらくギリシャ語を使うキリスト信徒が増えているという情報をサウロに与えた人物でしょう。その地域の東西に伸びた目抜き通り(直線通り)に面したユダヤ人会堂(ユダヤ人街)の有力者です。ダマスコには当時15,000人以上のユダヤ人が住んでいました。ユダとその家族はサウロを熱心に看病し世話をします。ユダ家の人々とサウロの同行者たちも段々、サウロと同じ問いを自問し始めます。ヤハウェがイエスであるかもしれない。ナザレ派への迫害は、神に対する罪なのかもしれない。彼ら彼女たちはサウロに共感し、三日間サウロと共に祈りを合わせていきます。奇跡とはこういう時に起こるものです。
今日の小さな生き方の提案は「悩む」ことの勧めです。サウロは生き方に心底悩んだのです。自分の信じる正義によってステファノを殺し多くの信徒を投獄したことが間違えであることに気づき、死ぬべきか生きるべきか、またどうやって生きていくべきか悩みました。善と思って行っていることが実は悪だったからです。根底から価値観が覆される経験は辛いものです。正解が見えない悩みも辛い。人生に悩みはつきものです。しかし悩みには引き受ける価値があります。なぜならば神は大いなる「しかしながら」を用意しているからです。神は悩みをくぐり抜ける「まっすぐ」という逃れの道を準備しています。だから大胆に罪を犯し、大いにまた共に悩みながら生き抜きましょう。