アンティオキアとエルサレム 使徒言行録11章27節-12章5節 2021年11月21日礼拝説教

 本日の箇所には二人の統治者が登場します。それによってかなり正確な年代づけが可能となります。ローマ皇帝クラウディウス(28節)は紀元後41年から54年まで在位していた皇帝です。そしてヘロデ王(12章1節。ヘロデ大王の孫、ヘロデ・アグリッパ)は紀元後41年から44年まで、ユダヤ全土の「王」に任命されています。クラウディウス帝の頃の飢饉(11章)とヘロデ王の頃の迫害(12章)が「同じ時」(1節)であったということですから、二つの出来事は後41-44年に起こっています。学説によって、年代順の前後関係は議論がありますが、どちらが先でも大差ありません。使徒言行録はこの数年が「同じ時(カイロス)」であり、それは決定的に時代を分ける「画期」であったと言いたいのです。

 では、どのような意味で画期なのでしょうか。一つは、エルサレム教会から見棄てられた者たちによって建てられたアンティオキア教会が、見棄てた側のエルサレム教会に対して、義援金を送るということが始まったということです(29-30節)。この信仰実践は、この後もさまざまな教会に引き継がれる伝統となります(2コリント8・9章)。最初はアンティオキア教会です。もう一つは、エルサレムの民族派使徒たちにも迫害が起こったということです。民族派のキリスト者たちは今までサドカイ派と、ある程度仲良く共存していました。しかしヘロデ王の人気取りという別の理由が加わって、十二弟子の一人ゼベダイの子「ヨハネの兄弟ヤコブ」(2節)が殺されるという事態にまでなりました。使徒の殉教は初めてのことです。しかもヤコブは福音書においてイエスに気に入られているナンバー2の弟子。エルサレム教会においても中心人物です。その他すべての使徒たちにも危害が及んでいたことでしょう。義援金の宛先が使徒ではなく「長老たち」(30節)となっているのは、十二使徒たちがエルサレムから逃げていたことを示唆しています。この長老たちの筆頭が、「主の兄弟ヤコブ」と推測できます。彼が十二弟子でも使徒でもないからです。

 まとめると、後40年代前半、エルサレム教会は本当に苦境に立たされていたということです。指導者の不在・不足という精神的貧困。飢饉による経済的貧困。このような危機にこそ新しい実践が創造され、それが新しい時代を切り開いていきます。エルサレムがアンティオキアに助けてもらうことにより、新しい仕組み・思想が生まれます。それは、ユダヤ人に差別されていたサマリア人が、瀕死の状態に陥ったユダヤ人を助けることに似ています(ルカ10章)。敵を愛するということは何か。隣人になるということ、信頼できる仲間を広げるということはどういうことか。初代教会は試行錯誤をしながら、広がっていきます。

27 さてそれらの日々において預言者たちがエルサレムからアンティオキアへと下って来た。 28 さてアガボと呼ばれる、彼らのうちの一人が起きて、彼は霊を通して全世界の上に大きな飢饉が臨もうとしていることを示した。そしてそれ(飢饉)はクラウディウスの際に起こったのだが。 29 さて弟子たちのうちのとある者が所持し続けていたものと同等に、彼らのうちの各人はユダヤに住む兄弟たちに送るべき奉仕のために分けた。 30 そして彼らが行ったものを、長老たちに向かって(彼らは)送った、バルナバとサウロの手を通して。

 アガボという預言者は使徒言行録にもう一度登場します(20章10節)。その時はカイサリアに居るパウロのもとに来て、「今エルサレムに来ると危険である」ことをアガボはパウロに忠告しています。本日の箇所は、アガボとパウロ/サウロの初めての出会いです。アガボはエルサレム教会で「預言者」という肩書の職務をもって仕える教会指導者でした(1コリント12章28節参照)。この職務は、未来についての予告(予言)というよりも、時代を分析して一歩先の生き方を示すというものです。神が求めるあり方を、神を伝言して人々に伝えるのです。旧約聖書以来の預言者の伝統です。

 おそらくアガボが大きな飢饉の到来を知らせた時には、飢饉はパレスチナ地域に起こっていたと思います。エルサレム教会の貧困は始まっていたのでしょう。また使徒たちへの迫害やヤコブの殉教も起こっていたかもしれません。その時に、アガボは一歩先の考えを実行しました。エルサレム教会は自らの権威主義を棄てないといけない。「母なる教会(創立者)」であるという、無用の誇りを脱いで、頭を下げて「豊かな」アンティオキア教会に助けを乞うということです。アンティオキア教会には指導者が豊富にいました。判断し舵取りをする力にも、内部で組織を強くする力にも、アンティオキア教会は優れています。新しい信徒も増し加えられています。また、大都会であるアンティオキア教会の教会員一人ひとりは、エルサレム教会の教会員よりも経済的に豊かです。経済的な力においてもアンティオキア教会はエルサレム教会にまさっています。

 エルサレム教会の中では、アガボの「預言」(教会における提案)に反対する声も多かったと思います。長老の筆頭・主の兄弟ヤコブは頭を下げてお願いすることには反対だったかもしれません。「無割礼の者たちに懇願するなどみっともない」と。ただし使徒たちが不在/留守がちのエルサレム教会。預言者も使徒を代行する指導者たちです。アガボたちは反対者たちを説得します。大変な労力です。そして手ぶらで帰ることもできません。アガボは必ず義援金を持ちかえらなくてはいけなくなりました。

アンティオキア教会でアガボは頭を下げながらも、「新しい協力関係を創りましょう」「この飢饉はアンティオキアにも及ぶのだから」などの説明を尽くして、アンティオキア教会からの義援金(協力伝道献金)をとりつけることに成功します。

 アンティオキア教会には人格者バルナバがいます。元々エルサレム教会の人です。アガボと面識のあるバルナバは、アンティオキア教会内の説得にあたったことでしょう。エルサレムから逃げてきたキリスト者たち(アンティオキア教会の創立者たち)は、エルサレム教会に義援金を贈ることに反対だったと思います。「エルサレムに住む者たちも同じ弟子であり、主にあって対等の関係だ(29節「兄弟」)」とバルナバは説き伏せていきます。バルナバの高潔な姿勢に、サウロも同調していきます。こうしてアガボとバルナバとサウロの間に信頼関係が生まれます。アガボが20章でパウロに忠告したのも、この時の友情がもとにあったはずです。

それは個人間の信頼というだけではなく、二つの教会の信頼関係でもあります。後にペトロや、主の兄弟ヤコブから遣わされた教会員たちもアンティオキア教会を訪れるほどに、二つの教会の交わりは深まったのでした(ガラテヤ2章11-12節)。少なくとも後49年ごろまではアンティオキア教会とエルサレム教会の関係は良好だったということが明らかです。

 アガボたちと、バルナバとサウロは共にエルサレム教会に向かいます。新共同訳「援助の品」(29節)の直訳は「奉仕(ディアコニア)」です。物品か現金かは明記されていませんが、長旅であることを考えると現金だと推測します。この義援金は教会として捧げられたのではなく、個人レベルのものであったことが冗長な表現で述べられています。ここに献金の本質が語られています。したい人が・したい範囲で・したい時にするのが献金です。それによりエルサレム教会に恨みを抱く人も排除されなかったのです。

1 さてその同じ時、ヘロデ王は教会のうち何人かを酷く扱うために手をあげた。 2 さて彼はヨハネの兄弟ヤコブを剣で取り上げた。 3 さて、それがユダヤ人たちに望ましいということと見て、彼はペトロをも捕まえるということを加えて行った。さてそれらは除酵祭の日々であり続けた。 4 彼をも掴まえて、彼は牢の中へと置き、彼を見張るために四人組兵士たち四組に引渡した、過越祭の後に彼を民のために引き出すことを目論見つつ。 5 こういうわけでペトロは牢の中で監視され続けていた。さて、祈りが教会のもと神に向かって彼に沿ってずっと生じ続けた。

 アンティオキア教会の義援金がバルナバとサウロによって届いた時期と前後して、ゼベダイの子ヤコブが殺され、立て続けにペトロが逮捕拘留されます。ヤコブはかつて殉教することをイエスによって予告されていました(マルコ10章39節)。ペトロにとっては二度目の拘留です。イエスの十字架前夜に逃げ出した弟子たちが、今度は十字架の道を従って歩きます。除酵祭や過越祭の時期であることも、イエスの十字架を強く思い起こさせます(3・4節)。もちろんわたしたちは殉教を美化することも、隣人に向かって「神のために死ぬことは良いことだ」と言うこともできません。そのような考え方は結局のところ靖国神社の思想と同じだからです。命の創り主である神は、すべての命が生きることを望んでいます。だから「殉教してでも信じましょう」と言うのではなく、殉教も含め、死刑も含め、戦争も含め、長時間労働も含め、言論封殺も含め、それら一切の「人を殺すこと」を批判しなくてはいけません。

 迫害される時代、思想信条の自由が弾圧される時代、教会がなすべきことは祈ることです(5節)。ペトロが死ぬことではなく、ペトロが生きて牢から出ることです。このエルサレム教会の祈りに、アンティオキア教会のバルナバとサウロが加わります。信徒たちは、マリアという女性の家に集まり、そこで礼拝をし、祈っていました(12節)。おそらくマリアはクリスチャンであると知られていなかったのでしょう。あるいは「女性の教会指導者などは迫害しなくても良い」と侮られていたのでしょう。その裏をかいてマリアの家がエルサレム教会となります。

 マリアの家の教会でエルサレムの信徒たちは、真に苦しい時に物心両面の支援をし、共に祈ってくれたアンティオキア教会に心から感謝したと思います。こうしてエルサレムの高慢な鼻がへし折られ、非ユダヤ人信徒・無割礼の信徒たちとの交わりが創出されていきます。原文は、祈りが湧き上がり続け広がり続けたという含みを伝えています。共に課題を祈る時に、平等の交わりが広げられていきます。最も苦しいどん底の時こそ転換点です。なぜならそれ以上わたしたちは下に行くことがないからです。なぜなら、そこに祈り合う友がいるからです。なぜならわたしたちの主が十字架と復活の救い主だからです。

 今日の小さな生き方の提案は「預言をする」ことです。一歩先を見据えて、今この苦しい時、何を神が創り出そうとしているのかを希望することです。最も苦しい時が一種の恵みであるのは、その時しか高慢な罪びとであるわたしたちが謙虚になれないからでしょう。そしてそのような時にしか真の友が誰であるのかを知り得ないからでしょう。そのような時にしか湧き上がるような祈りが生じないからでしょう。結局、闇の中にしか光は輝きません。夜明け前わたしたちに求められているのは預言です。神が起こそうとしている転換を見抜くことです。