神の言葉 使徒言行録12章18-25節 2022年1月2日礼拝説教

18 さて昼となって、小さくない騒動が兵士たちの中にあり続けた。その時ペトロに何が起こったのかと。 19 さてヘロデは彼を捜索し、そして見出さず、看守たちを取り調べ、彼は(看守たちが)連行されることを命じた。そしてユダヤから下ってカイサリアにおいて彼は過ごした。 20 さて彼はティルス人たちとシドン人たちに怒り続けていた。さて彼らは一つの気持ちで彼に向かって続々と来た。そして王の侍従の上にあるブラストを説得し彼らは平和を求め続けた。彼らの土地が王の(土地)によって養われていたという事情により。 21 さて定められた日に、ヘロデは王の服を着て、裁きの席の上に座り、彼らに向かって大衆演説をした。 22 さて人民は叫び続けた。「神の声。そして人間の(声)ではない」。 23 さてすぐに主の天使が彼を撃った。彼が神に栄光を与えなかったということにより。そして虫に食われた状態となって彼は息を引き取った。 24 さて神の理は成長し続けた。そしてそれは増え続けた。 25 さてバルナバとサウロは戻った、エルサレムにおける奉仕を満たして、マルコと呼ばれたヨハネを連れて。

 使徒言行録12章全体はペトロとヘロデ王の物語です。同じ「主の天使」(7節と23節)が、ペトロを救い出しヘロデを撃ちます。このことは鋭い二者択一を示しています。どのような生き方が求められ、どのような生き方が求められていないのかという二項対立です。それは神に従う/神に栄光を帰する生き方と、人におもねる/人からおもねられる生き方の二者択一です。ペトロとヘロデはこの対比のために用いられています。

 ペトロはキリストを信じる信仰のために大きな不利益を被ることになりました。投獄され死刑判決を受けたのです(4節)。しかし正にその信仰のゆえに、あるいは信仰共同体の交わりと祈りのゆえに、彼は死刑前夜に脱獄することができました(5-17節)。具体的には看守が彼を逃がしてくれたのだと思います。教会の熱心な祈りや、マリアの働きかけがあったかもしれませんが、それと同時にキリスト者としてのペトロの生き方に、看守自身が感銘を受けたということも、大いにあり得ます。ペトロもまた牢獄の中でも神を賛美し、神に栄光を帰し続けていたのでしょう。後のパウロとシラスがフィリピの町の牢獄でしていたように(16章25節)。死を前にしてもそのような佇まいを見せる人物に、看守の心は動かされます。逆説的な言い方ですが、ペトロの信がペトロを救ったのです。人に従うよりも神に従う方が幸いです(4章19節)。

 ペトロを救い出す行為は看守にも不利益を与えました。「さてヘロデは彼を捜索し、そして見出さず、看守たちを取り調べ、彼は(看守たちが)連行されることを命じた」(19節)。「連行される」を伝統的に「死刑にする」(新共同訳)と訳しますが、直訳は「連れ去られる」です。おそらくヘロデ王の残虐性を強めるための伝統的意訳でしょう。殺されなくても、投獄や左遷はかなりの不利益です。そのような不利益をあえて引き受けていく勇気が、聖書全般において評価されます。教会の外にあって、教会に共感をもつ「民」が、匿名の良心的市民として、教会を守るのです。

 だからこの真理は、世界に普遍的に行き渡るべき「神の理(ロゴス)」です(24節)。人間の社会は不利益であってもあえて引き受けていく良心的志によって成り立っています。教会はこの真理をイエス・キリストの十字架と復活によって知っている団体です。

 わたしたちは様々な職業や地位をもって日常生活を過ごしています。必ず「自分よりも上の存在(自分の利益/不利益を左右できる人や仕組み)」が、仮に自営業であっても・家事労働であっても存在します。自らの良心の範囲内ならばそこに従い生活の資を得るべきです。しかし余りにも良心の範囲を超える要求がなされるならば、わたしたちはその命令に反することや抵抗することが許されています。いわゆる「抵抗権」です。なぜならばその生き方に幸いがあるからです。抵抗は人間に過ぎない者には栄光を帰さない、人間を神として崇めない生き方、他人におもねらず神のみをほめたたえる生き方です。

 その幸いと裏返しに、人におもねる生き方や、人を支配しおもねらせる生き方があります。ヘロデによってそのような生き方の不幸が示されています。ヘロデがペトロを逮捕・投獄した動機はユダヤ人におもねるためでした(3節)。また聖書には書いてありませんがヘロデがカイサリアに行った(19節)理由は、ローマ皇帝におもねるためでした。ヘロデがカイサリアで死んだという事件については、ヨセフスというユダヤ人歴史家が著した『ユダヤ古代誌XIX viii』にもっと詳しく記されています。それは紀元後44年のことです。ヘロデはクラウディウス帝によってユダヤ全土を支配させてもらいました。その皇帝の安寧を祈る祭がカイサリアで行われることを聞いて、王位に就いて初めてそこに赴くこととしたのです。皇帝におもねるためです。

 その機会を捉えて、ティルス人たちシドン人たちがヘロデにおもねるためにカイサリアに来たのでしょう(20節)。これは商用です。二つの都市はヘロデ王の領土から収穫される食糧と、自分たちの貿易輸入商品とを交換していたのですが、ヘロデ王がそれを打ち切ったというのです。彼らは侍従長ブラストを説得して王の方針を変えさせます。歴史家ヨセフスは、22節の発言者たちを「おもねる人」と表現しています。皇帝におもねるヘロデにおもねる人々が、ヘロデを人間から神に押し上げたのです。

 ヨセフスによればヘロデが着た「王の服」(21節)は銀を織り合わせた服で日光を浴びて光り輝いていたのだそうです。それを見て、おもねる人々が「ああ神なる方よ。これまでは人間だったとしてもこれからは不死の方」と呼ぶのですが、それをヘロデは遮りませんでした。その直後に彼は心臓に刺すような痛みを覚え、その五日後に腹部の痛みに消耗して死んだそうです。心臓発作や急性虫垂炎かもしれません。「主の天使が撃った」(23節)とあるのはこの急病死のことです。しかしそれは「蛆に食い荒らされて死んだ」(新共同訳)ということではありません。そうではなく、彼の生き方が虫食い状態だということです。ヨセフスもヘロデについて、「王はこれらの者たちを𠮟りもしなければ、その世辞を神に対する冒涜として斥けることもしなかった」と批判しています。神に栄光を帰さないで自分を神とする生き方が、内部から崩れ破滅していく生き方だと、ヨセフスもルカも語っています。

 どんなに出世し利益を得ても、おもねり・おもねらせ、自分を栄光化させる生き方は不幸なのです。寿命とは関係なく、内部が虫食い状態ではない、充実した生き方へとわたしたちは方向づけられています。

 さて、12章全体を見渡すと、著者ルカは同じ名前を持つ人物を二組用いて、この後の教会史を方向づけています。一組目は「ヤコブ」であり(2節と17節)、二組目は「ヨハネ」です(2節と12・25節)。2節のヤコブは、ゼベダイの子ヤコブです。イエスの特愛の弟子であり、十二弟子の中の第二位の地位にいた人物です。このヤコブがヘロデ王に虐殺されます。それは十二弟子≒十二使徒のリーダーシップが弱まることを意味します。急速に力を得たのはイエスの実弟である「ヤコブ」(17節)。彼は十二弟子ではありません。むしろイエスが神の国運動に没頭することに反対でした(マルコ3章21・31節)。母マリアの影響で復活の後に弟子となったと思われます。「主の兄弟ヤコブ」(ガラテヤ1章19節)とも称される彼がエルサレム教会の最高指導者に完全にのし上がったのは、ヘロデによるペトロ迫害・脱出後でしょう。教会の指導者層が、生前のイエスの言行をよく知る十二弟子たちから、別の人物たちに移っていくことを12章は示しています。狭義のエルサレム教会においては、より血縁を重視する方向の移行です。イエスの言行ではなく、イエスの血筋が重視されます。

 ヨハネという人物名も同じ趣旨であえて用いられています。2節のヨハネはゼベダイの子ヨハネです。ゼベダイの子ヤコブの弟であり、イエスによって愛された弟子(ヨハネ福音書を貫いて)弟子。使徒言行録においても前半ペトロと共に活躍しています(3章、8章)。しかしこの後ぱたりと登場しなくなります。実兄ヤコブ殺害の後、彼もエルサレムから逃げたのでしょう。このゼベダイの子ヨハネと対をなす同名の人物がマルコと呼ばれたヨハネです(12・25節)。マルコ福音書を著すことになるこの人物が、バルナバとサウロと共に教会の新しい歴史を切り開いていきます。

 さらに深掘りするならば、隠れた三組目の人名もいることに気づきます。「マリア」です。イエスの母マリアはここで登場しませんが、息子ヤコブと共に居たことは推測できます(1章14節)。そしてマルコの母親もマリアという人物です(12節)。広義のエルサレム教会は二つの家の教会から成りました。二人のマリアがそれぞれの家の教会を主宰しています。一方は民族派であり、この後さらに血統主義・権威主義を強めていきます。ヤコブとイエスの母マリアの群れです。もう一方はバルナバとサウロを住まわせていた、国際派ヨハネ・マルコの母マリアの群れであり、そこからギリシャ語ができるマルコがアンティオキア教会へと派遣されていきます(25節)。

バルナバ、サウロ、マルコ、この三者の競合と協力と対話と対立が、新約聖書という正典を生み出し、教会を国際的な交わりに広げていきます。「ユダヤ人十二弟子≒教会指導者十二使徒」という枠組みが壊され、誰もがキリスト者にもなれ、誰もが教会指導者にもなれる時代が始まっていくのです。12章はその移行・橋渡しをしています。そしてアンティオキア教会を原動力として展開していった国際派のキリスト教こそが、西回りで日本にまで辿り着いたキリスト教です。

 著者ルカが12章全体に仕組んだ大きな枠組みを理解するべきです。福音書の三大愛弟子(ガリラヤ出身のペトロ、ヤコブ、ヨハネ)は、教会史の表舞台から去って行きます。キプロス出身のバルナバ、タルソス出身のサウロ、エルサレム出身のマルコ。この三人が主役となります。この三人は生前のイエスを知りません。それだからこそ後ろではなく前を向いて、歴史を前に推し進めます。バルナバはギリシャ語圏の伝道において、サウロ/パウロはギリシャ語で教理的手紙を書くことにおいて、マルコはギリシャ語でイエスの生き様を書くことにおいて、歴史の次のページを開いていきます。

 今日の小さな生き方の提案は、少なくともヘロデのように生きないということです。過度に人におもねったり、人をおもねらせたりする生き方をすることだけは避けましょう。それは自らを蝕みます。むしろ神に栄光を帰しながら自分に託されている小さな奉仕に忠実に生きることです。バルナバとサウロは「奉仕」(11章29節、12章25節)のためにエルサレムに来ました。そこでヘロデによるペトロへの迫害に遭遇し、マルコ宅の祈り会に参加することとなり、このマルコをアンティオキア教会に連れて行くことになりました。この出会いが次の奉仕へと向かわせます(13章)。低い姿勢で神と人に仕えましょう。下へと上る生き方が、永遠の命を生きる充実した人生です。