6 さてフリギアとガラテヤの地域を彼らは通り過ぎた。その聖なる霊によってアシアにおいて理を語ることを禁じられて、7 さてミシアの下に来て、彼らはビティニアの中へと行くことを試み続けた。そしてイエスの霊が彼らに許さなかった。 8 さてミシア(周縁部)を通ってトロアスの中へと彼らは下った。
前回からの続きで舞台は小アジア半島、現在のトルコの辺りです。新共同訳聖書の巻末地図「8パウロの宣教旅行2,3」に、パウロとシラスとテモテの旅の順路が記されています。イコニオンという内陸の町からトロアスという港町までが本日の聖句です。デルベ、リストラ、イコニオンまでは第一回目の旅行でパウロは訪れたことがある町でした。イコニオンから先、ガラテヤ地域、フリギア地域、ミシア地域(トロアス)が、新たに訪れる場所になります。トロアスに至るまでには文字通りの紆余曲折があったことが分かっています。おそらく最初パウロたちは、西へまっすぐ進みアシア地域(西端の沿岸部)の中心都市エフェソに向かおうとしたのでしょう(6節)。しかし、それは「その聖なる霊」(6節)によって禁じられます。聖霊は神の言い換えです。人間の意思ではどうしようもない壁にぶつかって、進路変更を余儀なくされたという事態を、神が禁じたと表現しているのでしょう。彼らはとある事情で北上しガラテヤ地域に行かざるをえなくなりました。
「ガラテヤの信徒への手紙」というパウロが書いた手紙が新約聖書に残されています。使徒言行録ではわずか一言の言及ですが、実はパウロたちはガラテヤ地域に比較的長い間滞在していたことが推測されています。というのもパウロの病気療養のためにガラテヤ地方(中心都市は現在のアンカラ)に立ち寄ったという事情があったからです(ガラテヤ4章13節)。ガラテヤ地方は標高1000mの高原地帯です。小アジア半島の夏は40度にもなる暑さ。パウロは熱中症に罹ったのでしょうか。夏の間避暑と静養のためイコニオンから北上してガラテヤ地方に数か月滞在したと思われます。彼が体調を崩したことが、テモテを同行させようとする動機になっていたのかもしれません(3節)。
病気静養中のパウロに代わり同行しているテモテやシラスの努力によって、ガラテヤ人の間でもキリスト者が生まれ、家の教会がたてられたようです。彼らはパウロを泊まらせてくれる家を探します。デルベと同様、そこにも「親切なサマリア人」のようなガラテヤ住民が家を提供して看病してくれたことが伺えます(同4章14節)。パウロという伝道者は弱い時にこそ強いのです。彼を看病する人が、病人のパウロから十字架につけられたままのイエスを宣教され、家の教会の主宰者へとなっていきます。数か月必要な健康の回復が、逆に伝道の機会を提供することとなります。
その後ガラテヤの教会はユダヤ民族主義者が支配し、入信のときに割礼を義務付けするようになったようです(同5章6節)。ルカが使徒言行録を書いたころには、ユダヤ教正統との区別がなくなって「消滅」または「解散」していたのかもしれません。ガラテヤの信徒への手紙という論争的・差別的文書が教会に宛てられたことによって(同3章1節)、ガラテヤの教会は逆に衰退したか、パウロ系列であることを止めていった可能性があります。ガラテヤ人は現在のフランス辺りから紀元前3世紀に小アジア半島に移住してきた新参者で、ギリシャ文化に溶け込めきれない田舎者と馬鹿にされていました。移民の国アメリカにも似た序列があります。移住順番の古い順に「身分」がありアジア系は下のランクです。ユダヤ人もギリシャ人もないと言い切るパウロにも、ガラテヤ人を平等に扱う視点はありません。単なるギリシャ化されていない「野蛮人(バルバロイ)」(ローマ1章14節)です。
健康を回復したパウロは、ガラテヤの西隣フリギア地域に入ります。フリギアにはすでに教会があったと推測できます。ペンテコステの時にフリギア人が信徒になっているからです(2章10節)。フリギア地域にある教会のお世話になった後で、ミシア地域の周縁部に入ります。ここで彼らは、さらに北上してビティニア地域に行こうと企てます。この企てはかなり本気の計画だったように思えます。「試み続けた」(7節)は過去の継続的動作です。ビティニアは黒海の沿岸地域。その地域にはすでに多くのユダヤ人が住んでいました。諸都市にはユダヤ人街があり、ユダヤ教正統の会堂がありました。パウロがこだわっている伝道方法を使えます。ところがビティニア地域に行くことは「イエスの霊が彼らに許さなかった」(7節)というのです。
先ほどの聖霊による禁止と同じような事態なのでしょうか。入念な計画を立てたにもかかわらずビティニアに行けなかったというのです。ここで著者ルカは「イエスの霊」という新約聖書に唯一の表現を用いています。福音書も著したルカは、ナザレのイエスがビティニアに行かせないと強調しています。信徒一人ひとりの心の中に住んでいる聖霊は、ナザレのイエスの霊です。イエスの生き方に倣うことが促され、イエスの生き方に反する行為が禁じられます。イエスはパウロたちに良いサマリア人の譬えが示す隣人愛、利他的な生き方をせよと促します。ビティニア人の隣人となれということです。
イエスの霊は柔軟です。利他的な生き方をできない者には、それなりの修正目標が設定されます。自分を愛し救ってくれたガラテヤ人に対する差別意識をもったままのパウロには、ビティニア人伝道は禁じられます。同じ悲劇が起こりうるからです。ギリシャ化されたユダヤ人パウロには、すべての民族の使徒になることではなく、ギリシャ人の使徒になることが求められます。リストラの町において、リカオニア語を理解できないことによってパウロは苦労しました(14章)。その反省を、リストラと同じく独自の文化を残すガラテヤで、パウロは生かせませんでした。かなりお世話になったにもかかわらずです。
デルベ出身のテモテはガラテヤ人を軽蔑しているパウロを批判したかもしれません。彼の母エウニケもパウロを看病したことによってキリスト者になりました。デルベの伝道はリストラの反省に立ってバルナバが主導し成功させたのでした。エルサレム出身のシラスは、「ナザレのイエスならばどうしただろうか」とパウロを批判したかもしれません。「あなたはビティニア人の隣人にはなれないのではないか」と意見したのではないでしょうか。
イエスの霊がビティニア行き計画を頓挫させ、行き先を見失って三人は、小アジア半島の北西端トロアスという港町に来ます。「結局ギリシャ語文化の中心地に行く以外に活路は無い」という消極的な選びとりだったのだと推測します。彼らはトロアスから、おそらくコリント、アテネという中心都市に行く予定だったと思います。しかし、一人の人との出会いが三人の行く先を変えます。使徒言行録の著者フィリピ出身の医者ルカというギリシャ人です。
9 そして幻が夜を通してパウロに見られた。マケドニアの男性が立ち続けていた。そして彼を呼びかけ続け、また、(次のように)言い続けながら。「マケドニアの中へと渡って、あなたはわたしたちを助けよ」。 10 さて彼はその幻を見た時に、すぐにマケドニアの中へと出て行くことを求めた。神が彼らに福音宣教するためにわたしたちを呼んだということを(共に)確信しつつ。
10節「わたしたち」という言葉は、著者ルカがこの時点からパウロたち一行に加わったことを示す証拠です。「幻/夢の中のマケドニア人の叫び」という出来事は、おそらく次のような事実を文学的に記したものなのでしょう。
トロアスという港町で船賃を稼ぎながらコリント行きの船を待つ間、パウロたちは福音宣教活動を行います。彼らは日雇いの港湾労働者になりながら、仕事の同僚たちに向かって、ギリシャ人もユダヤ人も、奴隷も自由人も、男も女も同じ人間だと語り、自分たちの泊まる安宿でなされる「仕事が終わった後の夕方共にパンを割く礼拝」へと招きます。そして礼拝参加者にコリント行きの船賃を寄付してもらおうと考えたのです。
体の弱いパウロがあぶれて仕事が与えられず、昼間から道端で説教をしている時、そのパウロの説教をマケドニア・フィリピ出身の男性医師ルカが聞いていました。ルカも船を待っていました。次の日にネアポリスに向かう船です。ルカはフィリピのリディアという女性の親友です。リディアはユダヤ教正統の会堂にも出入りする「神を畏れる人」でした。しかしリディア地域のティアティラ人商人だったので、ユダヤ人たちの交わりの中では疎外感を覚えていました。職業をもって働く女性に対するユダヤ人男性の批判も耐えがたいものがありました。「パウロの説教を聞いたらリディアは必ず喜ぶだろう」。ルカはユダヤ教ナザレ派に興味を持ちました。
ルカは三人の泊まる宿に行き、共にパンを割き聖書の説き明かしを聞きます。ギリシャ語訳旧約聖書というものがあることをルカは知り驚きます。そしてその礼拝の後に、ルカは一晩かけてパウロたちを説得します。「アカイア地域のコリントやアテネではなく、マケドニア地域のフィリピに来てほしい。わたしたちを助けてほしい。ナザレ派の教会をリディアという人の家で設立してほしい。明日の船で一緒にネアポリスに行こう」。ルカは三人の船賃を寄付することを約束します。次の日の船に乗らなくてはならないルカは、夜を通して必死に三人に呼びかけ、説得します。合意を得るまで熱弁をふるいます。
三人はルカの呼びかけについて熟議をし祈り、結局ルカの呼びかけに応えてマケドニアに行くことにしました。なぜかと言えば、嬉しかったからです。ビティニア行きが叶わなくなった後、三人は途方に暮れていました。自信も失っていました。自分たちにできる伝道とは何かが良く分からなくなりました。どのようにして生きるべきかの指針がなくなっていました。何しろ行こうと思う所・思う所、その扉が閉ざされていくからです。なしたい善をしているつもりが、なしたくもない悪を結果として生じさせているからです。そのような時ルカの呼びかけは、神の召しに聞こえたのです。「あなたたちが必要だ。手助けをしてほしい。共に同じ船に乗ろう」。使命が人を活かすのです。自分の命を使うべき働き場所が、くすぶる灯心に再び火をともすのです。
今日の小さな生き方の提案は、人生には回り道がないと信じることです。人生には予定の変更が多くあります。壁にぶつかって挫折をし、方向転換を余儀なくされることもあります。わたしも米国に5年間留学するつもりが3年間で帰国したということを経験しました。急な変更は驚きや失望を与えることの方が多いことでしょう。それを回り道としてしか考えられない時に、余計にがっかりするものです。聖霊が禁じ、イエスの霊が許さない道というものがあります。その結果不本意にも歩まされる道の最果てに、真に求めていた最高の道が用意されていることがあります。パウロたちにとってそれはルカとの出会いによる進路変更でした。このルカがパウロの生命を最後まで輝かせる支援者となりました。同じことが必ずわたしたちにあります。この意味で人生に回り道はありません。ただ一つ、今歩いている道だけがあります。そこに無数の素敵な出会いがあります。その出会いが真に自分を生かす、自分自身のありようを磨いてくれるのです。道・真理・命であるキリストを信じましょう。