16 さてアテネにおいてパウロは彼らを待っている間、彼の霊が彼の中で刺激され続けた、きわめて偶像的であるその町を見たので。 17 それだから実際会堂においてユダヤ人たちおよび敬虔な人たちに彼は論難し続けた。またアゴラにおいて全ての日にこれらの人たちに向かって近づきながら。
パウロはシラスとテモテと分かれて行動をしていました。「彼らを待っている間」(16節)をとあるのは、シラスとテモテと合流するまでの間という意味です。テサロニケ教会の教友たちも去り、ただ一人でアテネの町に居ます(15節)。パウロがただ一人で福音宣教をするという記事は、逮捕拘留されている期間を除けば、おそらくここだけであろうと思います。一人であるということは好きなように好きなことをできるということです。彼は自分の慣習に従って(2節)、ユダヤ教正統の会堂に行きます。ユダヤ人や、ユダヤ教に好意的なギリシャ人たちと旧約聖書について論争をふっかけるためです(17節)。なおアテネにユダヤ教会堂があったことは考古学的に確認されています。
その一方でパウロはいつもとは異なる伝道手法を用います。アゴラに行って、毎日対話を呼びかけるというやり方です。アゴラは、ギリシャ風都市の中心の場であり、市場にもなり、自治も行われます(新共同訳「広場」)。毎日アゴラで対話するという新しい伝道方法を、パウロはテサロニケや(5節)、ベレアで(11節)での、さまざまな経験を統合して編み出したのでしょう。パウロも試行錯誤を続けながら成長しています。週に一度の会堂では対話と納得を得るためには時間的に足りないという実感。そして毎日、自分の相手をしてくれる人が多く存在する空間があるという利便性。こうしてパウロは、ソクラテスの町で、ソクラテスのように一人ずつをつかまえて、イエス・キリストの十字架と復活を論じます。
18 さて何人かのエピクロス派の人々やストア派の人々、哲学者たちが彼に向き合い続けた。そしてある者たちは言い続けた。「このついばみ鳥が言いたいことは何か」。さて他の者たちは、「彼は異質な神々の布教者であるように見える」と(言い続けた)。なぜならイエスとその復活を彼が福音宣教し続けていたからである。 19 また彼を掴まえて、彼らはアレオパゴス(アレス神の丘)の上に連れて行った。曰く、「あなたによって話されているこの新しい教えが何であるのかを、わたしたちは知ることができるか。 20 というのも何か異質な事々をあなたはわたしたちの耳の中へと運び入れたからだ。それだからわたしたちはこれらの事柄がどういうことであろうとしているか知ることを望む」。 21 さて全てのアテネの人々と、滞在している異質な人々とは、より新しい何かを言うことや何かを聞くことにばかり時を費やしていた。
アテネの町はかつて政治経済の中心地でしたが、ローマ帝国の支配下にあってはかつての勢力はなかったようです。人口は減少し、政治経済の中心はコリントという町に移っていました。しかしそれでも文化の中心地ではあり続けました。哲学は盛んです。そして現代においても哲学と神学は非常に近い学問分野です。多くの哲学諸派がある中、パウロの福音宣教にくいついたのは「エピクロス派」と「ストア派」でした。
二派それぞれの違いについて深掘りはしません。むしろ共通点を紹介した方が有益でしょう。この二つの派は、どちらも神の住まいとしての神殿や聖所という考え方に否定的です。それだから、パウロの福音宣教の内容を肯定的に評価しやすいものです(24節)。「家の教会」において唯一のエルサレム神殿という考え方は批判されています。神は信徒の交わりの中に住まわれ、一人ひとりの信徒のうちに住まわれます。そしてこの二つの派は、どちらも人間の肉体の価値について否定的です。それだから、パウロの福音宣教の内容を否定的に評価しやすいものです(18節)。教会は、肉を取った人の子イエスの十字架刑死と体のよみがえりを信じる群れです。体は大事です。
肯定/否定の評価が混在するために、ストア派とエピクロス派の哲学者は、パウロと対話をしますが納得はできません。「このついばみ鳥が言いたいことは何か」(18節)。何かギリシャ哲学をかじったようなことを言っている似非哲学者ではないかというような感想でしょう。ここには侮蔑が含まれています。しかし、さらに対話を深めていくと別の感想が生まれます。「彼は異質な神々の布教者であるように見える」(18節)。これは正しい指摘です。
18節から21節まで繰り返される鍵語は「異質な」(クセノス)という言葉です。現代語ゼノフォビア(外国人嫌悪)の語源です。自分にとって、未知未聞であり、奇妙であり、異国風の文化を、ギリシャ語ではクセノスと形容したのです。そしてアテネ人は、一切ゼノフォビアを持っていないということが重要です。むしろ異質であることが歓迎されています。そこに福音という、この世の論理と「異質な理」が聞かれる土壌があります。アテネ人がパウロの本質を見抜いた理由は、異質さを喜ぶ体質にあります。
日本社会で伝道がふるわない原因の一つは、同調性を強いる文化にあると思います。異なる意見を喜ばない風潮です。それは民主政治と正反対の文化です。アテネの町が古代民主制の中心地であったことは示唆深い事実です。異なる意見を討論することによってより良い解決を見出すことが重要です。アテネ民主制を支えた自治会議・「民会(エクレシア)」を、初代教会が「教会(エクレシア)」という自らの群れに当てはめたのは偶然ではないと思います。福音は異質な意見を喜ぶところで聞かれるものです。
福音が聞かれるためには、真の意味で民主化がなされ、民主政治制度を成熟させることが必要です。新しいことを言い、新しいことを聞くことを喜ぶ文化。多様性に開かれ、他者の意見も尊重する文化。その中でキリストの福音は、多くの信仰の一つとしてスタートラインにやっと立てると思います。たとえばクオータ制という制度を採ることと、一人の人の純宗教的救いは関係があります。排除されてきた異質な人をスタートラインに立たせる社会は、「男もなく女もなく」という教会という社会と重なり合うからです。
ユダヤ人であるパウロはアテネ人にとって「異質な人々」(21節)の一人です。すでにアテネには大勢の異質な人々が普通に暮らしていたのです。そしてソクラテスのようにパウロは、アテネ人や他の異質な人々の耳の中に「異質な事々」を入れました(20節)。彼らはもっとじっくりと聞きたくなりました。アテネのアゴラに隣接した標高100メートルほどの丘があります。ほとんど固有名詞のようになった「アレオパゴス(アレス神の丘)」です(19節)。頂上の会議場にも、その途中にも、またはアゴラに隣接した「ストアの柱廊」と呼ばれる場所にも、哲学を話し合える場所がありました。丘の中のいずれの場所かは分かりませんが、人々はパウロをつかまえて、雑音なく話し合える場所に連れて行き、「じっくりと話を聞かせてくれ」と言うのです。
ここまでですでにパウロの伝道は大成功です。初めて福音に触れた人に「あなたの話が聞きたい」と言わせたのですから。
22 さてパウロはアレオパゴス(アレス神の丘)の真ん中に立って、彼は言い続けた。「男性たちよ、アテネの人々よ。あなたたちが全てにわたって非常に宗教的であると私はみている。 23 というのも、通り過ぎて、また、あなたたちの諸聖所に注目して、私はその中に『知られていない神に』と刻まれた祭壇も見出したからだ。それだからあなたたちが知らないままに崇拝している方を、私、私が告げる。 24 世界とその中の全てをつくった神、この方が天と地の主であり続けている方、彼は手で作られた社には住んでいない。 25 人間たちの手によって彼は仕えられない、何かを必要としつつ。彼自身が全てのものに命と息と全てを与えているので。
22節「アレオパゴスの真ん中」には多少の誇張があるでしょう。実態に即していえば、哲学に造詣の深いアテネ人数十人の真ん中でパウロは説教をします。「男性たち」(22節)とありますが、そこにはダマリスという女性もいました(33節)。この「男性たち」は、男性で全ての性を代表させる表現です。
パウロは説教の導入として、アテネの人々を褒めます。「非常に宗教的である」というのです(22節)。宗教的であることの事例として、「知られざる神に」という祭壇があったとパウロは述べます(23節)。実際に、「知られざる神々に」という碑文はアテネ以外の場所で発掘されています。アテネにも似たような碑文を刻んだ祭壇があったのでしょう。未知の異質な神は必ず存在するとアテネの人々は知っています。それは謙虚な態度、敬虔な姿勢です。異質な神をこそ知りたいというのですから、パウロは今こそイエス・キリストによって啓示された神を宣べ伝えなくてはなりません。知らずに崇拝するのではなく、イエス・キリストを知って、その知識の絶大な価値を認めて、礼拝者になることがアテネ人にとってより良い道です。
神は全世界の創造主です。「世界」(24節。コスモス)はギリシャ語では普通の言葉ですが、ヘブライ語にうまい対応語はありません。ヘブライ語では「天と地」(24節)と言い慣わします(創世記1章1節)。パウロはアテネ人に分かりやすいように、最初にギリシャ語コスモスを用います。おそらく彼だけがユダヤ人だからです。コスモスは調和のとれた世界を意味します。神は調和のとれた世界の中のすべてをつくった方です。人間によって「家」(神殿や聖所)をつくってもらう必要はありません。神が何か不足を覚えることも、その神の欠乏を補うために被造物が何かをする必要もありません。
とりわけ神は生命の創り主です。「すべてのものに命と息」を与えているのは、神ただひとりです(25節)。ということは、神がアテネ人もユダヤ人も創ったということです。相互に異質な多くの生命に息を与えているのは神です。ここにパウロと哲学者たちとの対話の根拠があります。「わたしたちは同じ神の子孫である」という言葉は、素直に受け入れられたと思います。
ここまででパウロの伝道は大成功です。聴衆にとって理解しやすい言葉で、「良い知らせ」を告げ知らせているからです。続きの展開については置いておきます。本日はここまでのところでパウロとアテネ人との対話がなされた「アテネ伝道」から学ぶことを述べます。
今日の小さな生き方の提案は、同じことの大切さ、違うことの大切さを、それぞれ同時に受け取るということです。わたしたちは人間として、生命として同じです。平等です。神に創られた生命として同じように尊重されなくてはなりません。それと同時にわたしたちは相互に異質なものとして、つまり一つとして同じではないという仕方で、神により手作りで創られました。だから外観が異なることや、異なる意見を持つことは当たり前です。そのままの多様性が尊重されなくてはなりません。誤った仕方で人に異なる扱いをすることが差別です。誤った仕方で人を画一化することが思想弾圧です。アテネでは「あなたの話が聞きたい」という真の対話がなされました。そこに伝道と教会形成のヒントがあります。同じ神によって創られた、多様なかたちの神の子らであることをモットーにして、いきましょう。