神の子孫 使徒言行録17章26-34節 2022年11月6日礼拝説教

 アテネのアレオパゴスにおける説教の続きです。テモテとシラスがアテネに来るまでの間、パウロは一人でユダヤ教会堂に行き、また毎日アゴラでアテネ住民に語りかけていました。そのうちに、アレオパゴスに連れられて、哲学者たちと論じ合う機会が与えられたのでした。

 22-25節までは、全世界をつくった神は神殿のような建物には住まわれない、神は生きとし生けるものの生命を創ったということが語られました。聖書の示す神がどのような方であるのかということが、パウロの主張する中心部分です。創造主・いのちの主・生ける神への信仰と、その裏返しとしての偶像崇拝批判。パウロの初期の非ユダヤ人伝道説教は、この点を前面に出したものだったと推測されます(テサロニケの信徒への手紙一1章9-10節)。26節以降は、同じ論調を具体的に展開しています。

26 そうして、一から彼は全人類をつくった、地の面のすべての上に住むために、秩序ある時と彼らの居住地の諸境界を定めて。 27 神を求めるために、もしかしたら彼らが彼を手探りするかもしれない、また、彼らが見出すかもしれないと。そして実際、私たち各々の一人から彼は遠く存在していないので。 28 というのも彼において私たちは生きており、また私たちは動いており、また私たちは居るからである。あなたたちの間の詩人たちのある人々も述べているように、私たちは彼の種族でもあるからだ。 

 パウロは次に人間に焦点を合わせます。神とは何か、神の似姿とも呼ばれる人間とは何かということです。人間も被造物の一員です。「一から」(26節)とあるように、天地創造という一つの考え方の中に人間の創造もあります。だから、人間は自分の限界をわきまえて、限られた人生を限られた場所で過ごさなくてはなりません(26節)。仮に全世界に住むことが許されていたとしても。創世記1章に描かれている天地創造は、人間に一つの枠をはめています。人間は思い上がってはいけません。

その一方で人間には、肯定的な意味で特別の期待も込められています。それを否定的に言うならば「努力目標」が定められています。その他の動植物は生まれながらに備え持っている力を、人間だけは持ち合わせていないからです。人間は神を手探りで求めなくてはいけません。そうすれば見出すかもしれないからです(27節)。そのような期待を込めて、神は人間を創造しました。他の被造物は、神を求める必要はありません。空の鳥も野の花もすでに神を知っています。神に愛されていることを本能的に知っているので、愛の神を求める必要がありません。肯定/否定をないまぜにした形で、人間は神を求めるために創られたのです。

教会用語で「求道者」という言葉があります。教会に熱心に通っている非教会員という意味で用います。非信徒から見ると失礼な名づけです。信徒もまた一生涯求道者でなくてはならないでしょう。聖書の示す神がどのような方であるのか、その方と共に生きる人生には何が起こるのか、神の性質と言われる真理とは何か、愛とは、正義とは何か。これらのことがらを死ぬまで尋ね求めることに人生の意義の一つがあります。人間のみに与えられている恵みです。

この「人間に課せられた生涯の宿題」は全く歯が立たない難問ではありません。なぜならば神は遠い存在ではなく、むしろ近い存在だからです。実際わたしたちは神に取り囲まれて生きかつ動いています。目を挙げれば空の鳥がおり、目を落とせば野の花があります。それら命あるものは被造物として人間の先輩であり、被造物としての正しいあり方を教えてくれます。つまり神に委ねれば幸せになれるというあり方です。それらを見れば、神がどのような方かは手探りで見出すことができます。神は素晴らしい創造主であり、わたしたちを創り、わたしたちを養い、わたしたちを活かす方です。

さらにパウロはアテネ人に同調し共感して、人間とは何であるかについて踏み込みます。「あなたたちの間の詩人たちのある人々も述べているように、私たちは彼の種族でもあるからだ」(28節)。人間は被造物であるという一面と、神の種族でもあるという一面を持っているというのです。創世記1章には人間は神の似姿であるという言葉があります。使徒言行録の著者ルカは、イエスの系図を神にまで遡らせてもいます(ルカ福音書3章)。人間は神にほんの少し劣っている「神のそっくりさん」であり、神の親戚でもあるのだと聖書は語っています。だから、人間は創造主である神を求めて探り当て見出すことがたやすくできます。それほどに神と人は近いのだというのです。

29 それだから神の種族として存在し続けるならば、私たちは金あるいは銀あるいは石に、人間の技術や概念により刻まれた物に、神的存在が似ていると考えるべきではない。 30 それだから実際、神は無知の諸期間を見過ごして、今や彼はすべての場所のすべての人間に悔い改めるようにと命じている。 31 なぜなら彼は、彼がそこにおいて世界を義において裁こうとする日を立てたからだ。彼が任じた人において、信実をすべての人に示しつつ、彼を死者たちより復活させて(裁こうとする日を立てたからだ)。

 生命について思いを馳せたり、命あるものをじっと見たり、自分が神の親戚だと気づいたりするときに、わたしたちは神に近づくことができます。逆に言うと、命の無いものは神に似ていないのです(29節)。様々な聖なる場所や、色々な諸神像は、神ではありません。金や銀でつくられた鋳像も、石でつくられた石像も、見事な設計による見事な工作物も神ではありません。わたしたちに似ていないからです。生命がないからです。不規則な動きをしないから、それらは神ではありません。

 神に近づくために、大聖堂に入ったり、イコンに触れたり、マリア像を拝んだり、ステンドグラスを観たりすることは、もちろん否定されるべきではありません。会堂が伝道するということもあるでしょう。人間は神聖な雰囲気を好みます。しかしそれと同時に、神に近づく近道・最短距離は何かということも知っておいて損はありません。本日のパウロの説教は、「生きとし生けるものを見よ、それが近道だ」と言っています。命に注目すれば神を知ることができます。神を知ることができれば、神に委ねて自分の命を輝かすことができます。どんなに苦しい時にも神に取り囲まれている感覚を持ち続け、生きる力が与えられます。躓いて倒れても起こされる、半殺しにされても介抱される、ボロボロになっても抱きしめて迎え入れられるのです。この救いの頂点として、イエス・キリストの復活があります。神は眠っている人・死者たちの初穂として、キリストを起こしたからです。

 人間はいのちの方角へと方向転換(悔い改め)をして、神を求める生き方・神と共に歩む生き方に翻る必要があります。神に対して無知であってはいけません(30節)。神は侮られる方ではないからです。天地創造の一日一日を定めた神は、世界の終わりの日も定めています。わたしたちに息を吹きかけた神は、わたしたちの息を引き取る神です。神はいのちを与え、神はいのちを奪う方です。世界全体の終わりの時に、また、個人の人生の終わりの時に、神は公正にわたしたちを裁きます。創り主が裁き主です。テサロニケの信徒への手紙一4-5章に書かれているように、初期のパウロの伝道説教は、世の終わりをも述べるものだったのでしょう。その時、本当に人間社会が他の被造物と共に生きていたのか、自分自身が本当に神の種族として神の子イエス・キリストのように神と共に輝いて生きていたのかが、正しく判断されます(31節)。

公正な裁判の根拠は、イエス・キリストの復活です。義人は必ず復活させられます。冤罪を被って処刑されたイエスを、神は三日目によみがえらされました。それによって、不正義の横行が神の意思ではないことを示したのです。神は、神の子を死者たちの中から復活させることで、全世界に「信実」(31節)を示しました。信頼に値する誠実さを、義人の復活によって示したのです。復活は、世界に対する神の信頼回復の業です。裁判官/審判は、信頼無しにはその仕事を全うできません。神は弁護士キリスト・神の子を、神の右に置き、全世界を裁きます。だからわたしたちにとってこの裁きは救いです。死刑囚として裁かれた方が弁護士として共にいるからです。

32 さて死者たち(から)の復活を聞いて、実際ある者はあざ笑い続けた。さて他の者たちは言った。私たちはこのことについてあなたから再び聞きたい。 33 このようにしてパウロは彼らの真ん中から出て行った。 34 さて何人かの男性は彼にくっついて、彼らは信じた。ディオニシスというアレオパゴス議員も、ダマリスという名前の女性も、彼らと共なる他の人々も、その中にいるところの(彼らは信じた)。

 パウロにとってキリストの復活と終末は、わかちがたく結びついています(コリントの信徒への手紙一15章)。アテネの説教は途中で遮られたのではありません。語り尽くしています。説教を最後までじっくりと聞いて、ある者は復活と終末をあざ笑い、ある者はもう一度聞きたいと言いました(32節)。そして、名前の知れた二人の人物が信徒になりました。ディオニシスという男性議員と、ダマリスという女性です。他にも二人以上の人々が、パウロに付いたというのです(34節)。この人々はアテネ教会の創立メンバーです。

コリントの信徒への手紙一16章15節には、「ステファナの家」がアカイア地方の初穂(初めて信徒になった人)だったと書かれています。同1章14-16節の書きぶりから、ステファナはコリントではなくアテネでバプテスマを受けたように読めます。「もう一度キリストの復活を聞かせてほしい」と、パウロにくっつき自分の家に強いて引き入れたのは、ステファナだったのかもしれません。その後ステファナの家は、パウロと共にコリントに移住したのではないでしょうか。言わばアテネからコリントへの「株分け」です。

 アテネ教会は、フィリピ、テサロニケ、ベレアの教会よりも小さな群れだったようです。この時期に教会があった証拠は発掘されていません。しかし着実に礼拝をし続ける群れが与えられたと推測できます。アテネ伝道は「失敗」ではなく、むしろ「成功」だったのだと思います。テサロニケの信徒への手紙一を書くことができたことも、安定した教会形成を伺わせます。パウロは、テモテやシラスと合流したり(援助金受取)、派遣したり(手紙運搬)、アテネ教会を一つの拠点として活動をし、次の伝道計画を進めていきます。アカイア地方の首都コリントへの伝道です。

 今日の小さな生き方の提案は、いのちの主に取り囲まれていることに気づくことです。うっかり忘れることもありますが、わたしたちは神の中で生きかつ動き存在しています。隣人や自分自身、動植物、生きとし生けるものをじっと見れば、必ず神の創造の見事さを知り、自分が神の種族・神の子であることを覚えさせられるはずです。この生命を創った方は、どん底にあっても必ず抱き起し、立てないわたしたちを背中に担い、災いや悪からわたしたちを救い出します。キリストの復活はその証拠です。信実な神に委ねましょう。その公正な判断に期待しましょう。それによってわたしたちは生きるのです。