17 そしてモーセは彼らをカナンの地を探るために送った。そして彼は彼らに向かって言った。「貴男らはネゲブにおけるこれ(を)上れ。そして貴男らはその山を上れ。 18 そして貴男らはその地を見よ。それがどのようなものであるか、またその上に住んでいる民を、それが強いか弱いか、それが少数かそれとも多数か。 19 そして(彼らが)その中に住み続けている地がどのようなものであるか、それが良いかそれとも悪いか、そして(彼らが)それらの中に住み続けているその町々がどのようなものであるか、宿営の中にあるのかそれとも城壁の中にあるのか。 20 そして豊かな地なのかそれとも貧しいのか、その中に木があるのかそれともないのか。そして貴男らは自身を強くせよ。そして貴男らはその地の実から取れ。」そしてその日々は諸葡萄の初なりの日々。
以前にも紹介した通り17節「モーセは」がサマリア人の聖書では「彼は」となっています。この読み方を採る場合、発言者はヨシュア(16節)である可能性が出てきます。そのように考えても良いかもしれません。モーセの後継者ヨシュアという人は根っからの軍人であり、先住民を軍事的占領の対象としか考えていないからです。土地を探る十二名は公式の部族代表ではなく、ヨシュアと同じような視点で人や物を見る人々です。仮にモーセが17-20節の指示を語ったとしても、あるいはモーセが全体の派遣に責任があるとしても、この指示の内容はヨシュアの思想に即したものでしょう。
「それがどのようなものであるか」(18節)は、「それが何であるか」とも翻訳できます。19節も同様です。というのもヘブル語でHowとWhatは同じ「マー」という単語だからです。「カナンの地」(17節)とは何であるのか、定義をすることがこの探索・探求の仕事です。定義はある種の評価を含みます。すべての評価には固有の指標があります。尺度、物差しです。その尺度を定める人には大きな権限、権力があります。そして、その尺度によって、事物が定義されてしまうからです。見方次第で「中国は文明をもたらした母なる国」にもなれば、「中国は中華思想を持つ横暴な国」にもなりうるのです。「その地を見よ」(18節)は、どのように定義・評価するかの認識を含む命令です。もちろん全世界の創造主である神ならば、カナンの地を「極めて良い」と見て認識するはずです(創世記1章)。神のようには見ないということが、この命令の前提にあります。またカナンの地の定義はカナンの地に住む人のみがなしうるということをも忘れています。神も隣人も尊重しない定義づけには、評価の視点や具体的な指標に課題があります。
たとえば、住民が「強いか弱いか」「少数かそれとも多数か」(18節)という指標は軍事的評価のためのものです。イスラエルが戦闘で勝利できるのか、それとも敗北するのかという視点で、カナンの地に住む人を評価し、定義しようとしています。イスラエルに比べて体格的に強大なのか、また数的にも多いのかどうか、どちらも劣位にあれば戦闘の際に不利です。創造主から見れば本当にどうでもよい指標・評価・定義です。
その地が「良いかそれとも悪いか」(19節)の尺度は、戦闘において攻め取りやすいか、それとも攻め取りにくいかにもかかっています。カナンの地にある町々が「宿営の中にあるのかそれとも城壁の中にあるのか」(19節)は、軍事衝突を想定しています。この時点でイスラエルは、宿営の中にある民です。土地に杭を差したり土地から杭を引き抜いたりしながら、地上を旅しています。城壁がある相手には劣位にあります。勝てないかもしれないわけです。イスラエルが占領しやすいか否か。現在の自分にとって都合の良い相手か、都合の悪い相手かが、ここで言う「良いかそれとも悪いか」なのです。これも相手・隣人に失礼な言い方です。
その地が「良いかそれとも悪いか」の尺度は、もう一つあります。その土地が農業に適しているかどうかです。「豊かな地なのかそれとも貧しいのか、その中に木があるのかそれともないのか」(20節)。このことを調べる理由は何なのでしょうか。肥沃な土地ではない場合、侵略を止めるつもりだったのでしょうか。合理的な判断のためならばありえます。戦闘する相手が軍事的に強く、しかも占領する予定の地が経済的に豊かではないならば、コストパフォーマンス(労力と実入りの相関関係)として見合わないという判断がありえます。つまり、この探求・探索は実施そのものに問題があります。神の約束はイスラエルの合理的判断を必要としていないからです。
創世記12章にあるアブラム・サライ・ロトへの約束は、「私が見せる地に行きなさい。あなたは祝福となる。地上の民はみなあなたを通して祝福に入る」というものでした。神がこの三人に見せた地がどのようなものであろうと、人間の評価判断にかかわらず、この家族(子孫たち)は約束の地へと行くことだけが求められています。事前に調べて、行くか行かないかの判断を求めてはいません。この人々の子孫であるイスラエルも、単純にこの命令に従うだけで良かったと思います。そして、どの民にとっても「祝福」となるような立ち居振る舞いをカナンの地で行えば良かったのだと思います。
さて20節には日本語訳の問題もあります。文語訳「勇しかれ」、口語訳「勇んで行って」、新共同訳聖書「雄々しく行き」、聖書協会共同訳「ひるむことなく」、新改訳・フランシスコ会訳「勇気を出して」とあります。直訳は「自身を強くせよ」≒「勇気を出せ」ぐらいが妥当です。新共同訳聖書の訳者は「男らしさ」というジェンダー意識に負けています。勇気=雄々しいと思っています。なお「行く」という言葉は原文にはありません。
21 そして彼らは上った。そして彼らはその地を探った。ツィンの荒野からレボ・ハマト(の)レホブまで。 22 そして彼らはネゲブの中に上った。そして彼はヘブロンまで来た。そしてそこに、アヒマン、シェシャイ、またタルマイ、アナク人の子孫たち。そしてヘブロンは七年(で)建てられた、エジプトのツォアンの前に。 23 そして彼らはエシュコルの涸れ谷まで来た。そして彼らはそこから枝と諸葡萄の房〔エシュコル〕を一つ切った。そして彼らはその担ぎ台によって二人で担いだ。そして諸柘榴から、そして諸無花果から。 24 そしてその場所のために彼はエシュコルの涸れ谷と呼んだ。イスラエルの息子たちがそこから切った房〔エシュコル〕のゆえに。 25 そして彼らはその地を探ることから帰った。四十日の終わりより。
「カナンの地」の範囲は、本日の箇所によれば「ツィンの荒野」(南限)から「レボ・ハマト(の)レホブ」(北限)までと言えます(21節)。「ダン(北限)からベエル・シェバ(南限)まで」という言い方もあります。巻末の聖書地図「4 統一王国時代」をご参照ください。四国と同じぐらいの広さを、「四十日」(25節)で南から北まで探求することが十二名の任務です。
「アヒマン、シェシャイ、またタルマイ」(22節)の三者は、ヨシュア記15章14節にも登場します。この人々は「アナク人の子孫」です。ではアナク人とは何者なのでしょうか。簡単に言えば、伝説上の巨人族です(33節。創世記6章4節)。古代の人々は、さらに大昔に巨人族が住んでいたと信じていました。それによって「巨石文明」の存在を説明しようとしたのです。カナンの地にも、大きな石で作られたテーブル上の墓石がありました。「あの巨大な建造物を作ることができた人々は巨人だったに違いない」という合理的な説明が、巨人族神話を作り出すのです。
十二名の男性たちが、アヒマン、シェシャイ、タルマイに実際に会えたかどうかは不明です。名前だけを知ることができた程度の調べ、せいぜい遠くから見る程度の出会い方ではないかと思います。あとは三人が「軍事的に強い」という噂を聞いたのでしょう。この三人はその時アブラハム・サラゆかりの地「ネゲブ」地域、「ヘブロン」にいた(「住んでいた」とは書いていない)というのです(創世記20章1節、23章2節)。「カナンの地」とは何か。一つの定義は、「神がアブラハム・サラに見せた土地」というものです。そしてヘブロンという町はその代表です。彼・彼女が住み、そして葬られた場所だからです。ちなみに後にユダ部族のダビデ王はヘブロンでユダ王国を統治します(サムエル記下2章)。ヘブロンこそ、約束の地の中の約束の地です。十二人は興奮したと思います。この町を軍事占領しなくてはと力んだことでしょう。
「エシュコルの涸れ谷」(23節)の場所は特定できていませんが、ヘブロンの近くでしょう。ここも実はアブラハムゆかりの地です(創世記14章13節)。アブラハムの友人エシュコルという人にちなんで、この涸れ谷は元々「エシュコル」という地名だったと思われます。人名と地名はしばしば一致するからです。そのエシュコルに後からアブラハム・サラの子孫が入って来て、「自分たちが葡萄の房を切り取ったのでエシュコルと名づける」と言い張ったのでしょう(24節)。偉大な先祖を継承しながら、さらに先祖を凌駕する存在になったということを主張したいがためです。先祖アブラハムにも、また彼の隣人エシュコルにも失礼な行為です。ここにもヨシュアとカレブ(6・30節節)の力みが見えます。名づけは支配です。エシュコルと名づけ直して支配欲をむき出しにした「彼」〔単数〕(24節)とは、カレブだったと推測します。というのも、後にユダ部族のカレブが先ほどの三人「アヒマン、シェシャイ、またタルマイ」を追い出し、ヘブロンを自分の所領としているからです(ヨシュア記15章13-15節、士師記1章20節)。エシュコルの名づけとヘブロンに来た時だけが「彼ら」=十二名ではなく、「彼」となっています。
南に位置するヘブロンは探求・探索の最初の町です。探求の旅の終着時「四十日の終わりより」(25節)逆算してずっとヨシュアとカレブだけが最初の熱を保ちます。二人は探りに入る前から結論を持っていたのです。「どんなに高い城壁・強い兵士・多数の民・貧しい土地であっても絶対に侵略すべき」という結論です。その他の十名は探索に基づいて合理的な結論を計算し探求し始めます。住民が強いか弱いか、多いか少ないか、町に城壁が有るか無いか、土地が豊かか貧しいか、イスラエルの被害が少ない軍事占領に都合が良いか悪いか。ヘブロンの探索を踏まえながら、もともとは主戦派でもあった十名は、段々自らの意見を変えて行きます。エフライム部族のヨシュアと、ユダ部族のカレブは孤立していきます。ヨシュアにとっての誤算です。
今日の小さな生き方の提案は、隣人を見る目を変えることです。自分にとって都合の良い人を、ヨシュアは十一名集めたと思います。そして都合の良い報告ができるように探求の旅をしました。「都合の良い敵かどうかを調べよ」と言いながら。このような視点に立って生き続けることは不幸なのだと思います。相手もまた自分のことを都合が良いか悪いかでだけ判断し、どのような人とも人格的な交わり・打算抜きの付き合いができないからです。すべて隣人とは「不都合な存在」です。なぜなら別人だからです。この不都合な存在同士が共存するためには仕え合うしかないとイエスは教えています。損得以外の指標で、相手を評価も定義もせずに、相互に自ら隣人となることが共存の道です。