我々よりも強い 民数記13章26-33節 2023年9月24日礼拝説教

26 そして彼らは行った。そして彼らはモーセに向かって、またアロンに向かって、またイスラエルの息子たちの会衆の全てに向かって、パランの荒野に向かって、カデシュへ来た。そして彼らは彼らに・その会衆の全てに言葉/出来事(を)戻した。そして彼らは彼らにその地の実を見せた。 

 「パランの荒れ野」は巻末の聖書地図「2 出エジプトの道」にあります。「カデシュ・バルネア」という地名が、「カデシュ」と同じ場所と推測されています。シナイ半島のかなり北、パレスチナの南にあたります。十二人の男性たちは四十日間の探求・探索を終えてモーセとアロンに向かって帰ってきます。ここに言及されていませんが、ミリアムのもとにも来たと考えるべきでしょう。古代の本である聖書は成人男性中心の書き方をしているので、女性たち(や子どもたち)が省略されがちです。この点は読者の側が意識をして補うべきです。当時の「会衆の全て」は成人男性ですが、今日の私たちは礼拝の「会衆の全て」に文字通り全ての人を含めているのですから。

 ヘブライ語においては「言葉」と「出来事」は同じ単語です。「言葉/出来事(を)戻した」という表現は、見たこと聞いたこと感じたことを再現したということでしょう。カナンの地を歩く前には十二人全員が同じ意見でした。「カナンの地を軍事占領すること」が多数意見だったのです。しかし実際に歩いて自分の眼で調べた後とでは、十人の男性たちの意見が変わります。四十日をかけて徐々に多数意見と少数意見が逆転し、両者の意見がまとまらない状態のままで報告が全体になされます。

27 そして彼らは彼のために説明した。そして彼らは言った。「私たちは、貴男が私たちを送ったその地に向かって来た。そしてさらに、彼女〔地〕は乳と蜜を流し続けている。そしてこれは彼女〔地〕の実。 28 しかしながら実際その地に住み続けている民は強い。その町々は非常に大きな城壁の中に(ある)。そしてさらに、アナク人の子孫たちを私たちはそこで見た。 29 アマレク人はそのネゲブの地の中に住み続けている。またそのヘト人とそのエブス人とそのアモリ人もその山の中に住み続けている。そしてそのカナン人はその海に接して、またそのヨルダンの手に接して、住み続けている。」 

 まずは多数派の意見からです。「説明した」は数える行為から派生した言葉です。一つ一つを数え上げながら詳細を物語るという含意です。彼ら十人は第一に「彼(モーセ)のために」報告します。モーセが十二人を派遣した責任者であるからです。しかし実際には、イスラエルの民全体に向けてこの報告はなされています。30節でカレブが静かにさせている人々は全会衆です。教会で言えば総会のような場面で、十二人の者たちがカナンの地について説明をします。そこから取ってきた果実を見せながらのプレゼンテーションです。

 彼らに課せられていたことは、①住民の強弱や人数の多寡、②土地が耕作にふさわしいか否か、③町が城壁を備えているか否かを調べることです(18-20節)。これらの視点に沿って、まず②について果実を示しながら、「彼女〔地〕は乳と蜜を流し続けている。そしてこれは彼女〔地〕の実」(27節)と肯定的に報告します。カナンの地は耕作に適しているのです。

続いて①の一部と③がまとめて報じられます。「しかしながら実際その地に住み続けている民は強い。その町々は非常に大きな城壁の中に(ある)。そしてさらに、アナク人の子孫たちを私たちはそこで見た」(28節)。①の一部である住民の強弱に関しては、「強い」という調査結果。なぜなら「アナク人の子孫たち」(巨人族)がいるからです。③については、カナンの地の町々は「非常に大きな城壁の中に」あるという回答です。カナンの地においては、一つ一つの町は強力な都市国家なのです。この点でエジプトと少し事情が異なります。イスラエルにとっては驚きであり脅威です。

残りは住民たちの数が多いか少ないかです。その回答は29節でさまざまな民族を列挙することで間接的になされています。「アマレク人」「ヘト人」「エブス人」「アモリ人」「カナン人」。ギリシャ語訳聖書とサマリア五書はさらに「ヒビ人」も付け加えています。これらの多くの民族がいることによって、多くの住民が住んでいるのだということを匂わせているのでしょう。しかし住民の数についてはすべてを調べていないと思います。城壁の中にまで入り込む調査をすべての町にはできない日数です。そして民数記という書の名前の由来は、イスラエルが人口調査を二回したことにあります(1-4章、26章)。そこではかなり誇大に事実以上の人数を盛っているので、他の諸民族の人数を記載しにくいという事情もあります。

このうちのアマレク人について、すでにイスラエルの民は知っています。エジプトから脱出してすぐの時点でイスラエルはアマレク人と戦闘しているからです(出エジプト記17章8-16節)。この戦闘がヨシュアの聖書デビュー、軍人として聖書に初めて登場します。アマレク人はサウル王の時まで数百年にわたってイスラエルの軍事的ライバルとなります。報復と憎悪の連鎖です。ヨシュアは、アマレク人に戦勝したいと強く願っていたことでしょう。しかしその他の人々にとっては、避けられるものならば避けたい戦闘です。手強いことを知っているからです。戦争は外交の失敗なのです。しかもアマレク人が住んでいる「ネゲブの地」は約束の地の最南端です。このまま南から侵入するならば最初に、イスラエルに恨みを持つアマレク人との戦闘をしなくてはいけません。それは不安の一つとなります。アマレク人との戦闘をすべきかどうかについても、多数派十人と少数派二人(ヨシュアとカレブ)の意見が割れるところだったと思います。

山地から侵入してもヘト人・エブス人(エルサレム)・アモリ人という未知の民族とも戦わなくてはならないかもしれません。エゼキエル書16章3節によれば、この三者はほとんど同じ民族です。ヨルダン川を越えて侵入してもカナン人がいます。聖書外資料によればアモリ人とカナン人は同じ民族です。つまりアマレク人以外は同じ民族です。多種民族への言及は、未知なる他者への恐怖xenophobiaをあおるためにあえてなされているとも考えられます。

報告を聞いた民は動揺します。報告総会は、ざわざわとなり収拾がつかなくなります。この状況に危機感を抱いたのが少数派のカレブです。

30 そしてカレブはその民をモーセに向かって静かにさせた。そして彼は言った。「私たちは絶対に上ろう。そうすれば私たちは彼女〔地〕を所有する。なぜならば私たちは彼女〔地〕を絶対に(征服)できるからだ。」 31 そして彼と共に上った男性たちは言った。「私たちはその民に向かって上ることはできない。なぜならば彼〔民〕は私たちよりも強いからだ。」

 ユダ部族のカレブは一貫して主戦派です。二つの動作「絶対に」(30節)と訳しましたが、この表現は同じ動詞を二回繰り返す、特別な強調表現です。カレブは「上る・上る」「できる・できる」と言い張っているのです。非常に強い口調なのですが、カレブの主張は論理的には弱い、説得力に欠けるものでした。彼は漠然とした「彼女」=女性名詞「」を強調しています。なぜその地を所有し、どのようにして地を征服できるのかの根拠が弱いのです。本当に絶対に征服できるのか、本当に絶対に上るべきなのかが不明です。

 多数派十名はその論の弱さを衝いて反論します。彼らは「」=男性名詞「民」に注目します。「彼(=民)は私たちよりも強い」。だから勝てない、「私たちはその民に向かって上ることはできない」。たとえ地がどのようなものであれ、住民と戦闘をして軍事占領をすることはできないというのです。多数派の方がカレブよりも論理的に強い、説得力のある主張です。

32 そして彼らは、彼らが探った地の報告をイスラエルの息子たちに向かって、出した。曰く、「私たちが彼女〔地〕を探るために彼女〔地〕の中に渡った地は、彼女〔地〕に住みつつある人たちを食べつつある地なのだ。そして私たちが彼女〔地〕の真ん中で見た民の全ては、長身の男性たち。 33 そしてそこで私たちはそのネフィリム人たちを見た。アナク人の息子たちは、そのネフィリム人たちの一部。そして私たちは私たちの眼の中でイナゴどものようになった。そしてそのように彼らの眼の中で私たちはなったのだ。」

32節以降を、報告総会の後の悪い噂と考えなくても良いでしょう。26節ですでに「その会衆の全てに」報告した旨が記されているからです。十名は、総会の中で公式の発言として自分たちの意見を述べたのです。それはカレブに対する反論の続きです。もしもカレブのように「」に注目したとしても、侵入すべきではないという主張を展開しているからです。「地は、彼女〔地〕に住みつつある人たちを食べつつある地」だというのです。具体的には、またもや民に立ち戻るのですが、その地の真ん中に「ネフィリム人」や「アナク人の息子たち」がいて、軍事的訓練を積みながら常駐し戦闘時の傭兵となるということなのでしょう。侵入者が来る時に諸都市国家から雇われて、「自衛のための戦争」を手助けするという請負契約。アナク人アヒマンとシェシャイとタルマイは(22節)、そのようなネフィリム人の一部なのだというのです。

ネフィリム人は半神半人の巨人族です(創世記6章4節)。軍事的な意味で「名高い英雄たち」をネフィリム人やアナク人と呼んでいたと推測されます。半神半人が実在したかどうかは問題ではありません。アモス書2章9節ではアモリ人も巨人と表現されています。十名の主張は、それなりに合理的な「報告」です。人間対イナゴも比喩表現です。

十名の報告がカレブ(とヨシュア)の報告を論破しました。肥沃なカナンの地への軍事侵略に対して慎重であるべきという意見が会衆の中でも多数を形成し、イスラエル全体はカナン侵入を考え直す方向に向かいます。それは多数決という民主的な手続きに従えば、暫定的に「正しい」結論です。

今日の小さな生き方の提案は、バプテストの教会、さらには民主的な社会を建て上げるということです。教会でもどの組織であっても民主的な運営を志し、手続きに対して信用する必要があります。民主政治とは手続に対する信用です。所定の手続きを踏んだ決議(話し合いによって全体の意思を決めること)は、暫定的に「正しい」とみなすのです。多数意見/少数意見は移ろいゆくものです。12対0が2対10にもなりえます。この時に大切なことは発言の自由を保証することです。威圧/人権侵害を除いて、誰もが自分の意見を発表して良いのです。意見が変わることも恥ずかしいことではありません。むしろ各人の意見が変わることを期して話し合いはなされます。その結果の決議は真に「正しい」かは分かりません。後日、決議の間違えが明らかになることもあります。その時は改めて別の決議をし直せば良いだけのことです。

このようにして手続きの手間がかかる民主政治は、一人の人が手早く決める独裁政治(王制)よりも「まし」です。「正しい」結論を得る可能性が高いからです。また共同体の中の多数の人に納得が調達されるからです。全体としてのイスラエルはこの時カナンの地に入ることに躊躇しました。教会も迷いながら決議や再決議を繰り返して話し合いながら歩んで行きましょう。