パウロの甥 使徒行録23章12-22節 2024年1月21日礼拝説教

 前回までのところ、パウロは、ユダヤ植民地政府・国会・最高裁判所である「最高法院」の裁判の場で、驚くべき知恵をもってサドカイ派とファリサイ派との分断を生じさせました。彼らは判決を出すことができないほどに混乱し、パウロはローマ兵の手を借りて法廷を後にします。その夜、主イエスは夢の中でパウロを励まします。「ローマで、ローマ皇帝を被告として、裁判を続けよ」というのです(11節)。

12 さて昼になって後、(彼らは)集会をなした後、そのユダヤ人たちは自身を呪った。曰く「パウロを殺すまでは食べることも飲むこともしない」と。 13 さて共同の誓いをなした男性たちは四十人よりも多く居続けた。 14 その彼らが大祭司たちと長老たちのもとに来て、彼らは言った。「私たちは呪いで自身を呪った。パウロを殺すまでは何も口にしない。 15 今やだからあなたたちこそが、彼についての事々をもっと熱心に調査することを開始するかのようにして、最高法院と共に千人隊長に、彼があなたたちの中へと彼を降ろすようにと、明示せよ。さてわたしたちは、彼が近づく前に、彼を取り上げる準備をしている。」 

 最高法院が機能不全に陥ったことを聞きつけたエルサレム住民の一部は、パウロを暗殺しようとします。テロリズムは民主政治の機能不全の際に起こりやすいものです。「話し合いで決まらないなら殺してしまえ。国家が死刑をしないならば私刑で亡き者にせよ」というのです。

呪いで自身を呪った」(12節)は不思議な表現です。「もしも願をかけて行動するけれども、この願いがかなわないのならば、自分に呪いが降りかかってもかまわない」という趣旨の「呪い」を宣言するという習慣です。たとえば三度イエスを否定したペトロが、三回目の否定の時に自身を呪っています(マルコ福音書14章71節)。

暗殺者たちは「パウロを殺すまでは飲食しない」という願をかけて、アントニオ塔から最高法院までの道の途中で待ち伏せをします。暗殺に失敗したならば自分自身が殺されてもかまわないという呪いをかけて臨んでいるわけです。その数40人以上。すべて男性です(13節)。そこまでして憎む強い感情に驚きます。彼らは一体どのような人たちなのでしょう。

大祭司たちと長老たちのもとに来て」(14節)とあります。「ファリサイ派の律法学者たち」(9節)がいません。最高法院の3分の2はサドカイ派(48人)、3分の1はファリサイ派です(24人)。それにもかかわらず、サドカイ派の議員たちだけに40人以上の男性たちは暗殺の共謀を持ちかけています。この人々はファリサイ派よりもサドカイ派に近い人々です。いや、サドカイ派が政権与党であり多数派なのですから、この人々は多数派のユダヤ人たち、言わば「普通の」ユダヤ人たちです。

「普通の」人々こそが恐ろしいというときがあります。関東大震災の際に朝鮮人虐殺をした人の多くは「普通の」人々です。しかし、日常的に朝鮮人差別を存置させていた「普通の」人々です。ナザレ派に対する差別、「異端」に対する差別を常日頃から何の問題もなく持っている人々は、非道な虐殺計画に何の問題も感ぜず、むしろ正義の遂行に酔いしれる場合さえあります。この倒錯が罪です。

同じ思考パターンの中に、千人隊長への嘘もあります。「〔パウロ〕についての事々をもっと熱心に調査することを開始するかのようにして」(15節)も、これは単なる調べるふりなのです。千人隊長は事実を知ることにこだわりがあります(22章30節)。このローマ帝国行政官の性質を逆手にとって、嘘をつけばよいというのです。もっと熱心に事実調査に努めるからパウロをもう一度最高法院で尋問させてほしいと言い、その途上で殺そうという算段です。非ユダヤ人であるローマ人に誠実でなくても良い。汚らわしい「異教徒」なのだから。宗教的差別が日常的にあるので、どのような非道も許されてしまいます。「あの人たちに酷いことをしても悪いことではない」と考えているからです。陰湿です。

16 さてパウロの姉妹の息子がその待ち伏せを聞いた後、(彼は)傍らにいて、またその軍営の中へと入って、パウロに告げた。 17 さてパウロは百人隊長の一人を呼びかけて、彼は述べ続けた。「この若者を千人隊長に向かって連れて行け。というのも彼は彼に何か告知を持っているからだ。」 18 そこで、その男性は彼を傍らに連れその千人隊長に向かって導いた。そして彼は述べる。「囚人パウロが私に呼びかけて、この若者をあなたに向かって導けと頼みました。あなたに話すべき何かを持っているので。」 

 パウロに甥がいて、しかもエルサレムに住んでいたという事実は、使徒言行録の物語中ここで初めて明かされます。22章3節「ガマリエルの足下でこの町において育ち」という個所のところで説明したことを繰り返します。もし、パウロに年の離れた姉がおり、結婚してエルサレムに住んでいたならば、タルソから少年パウロがエルサレムに留学することは容易だったことでしょう。彼女の家に居候させてもらいながら、ファリサイ派の律法学者ガマリエルのもとに通うことができるからです。パウロの姉家族がエルサレム住民であり、姉の子ども(たち)を可愛がっていたならば、パウロがしげしげとエルサレムに立ち寄る理由も分かります。またもし姉家族がファリサイ派であり続けていたならば、「異邦人の使徒」パウロが自分の書く手紙において、同時に「選民ユダヤ人」に対する愛着を強く示すという矛盾も理解できます。

 今回の暗殺計画も含め、最高法院議員の挙動やエルサレム住民の言動について使徒言行録が比較的詳しい理由は、著者ルカの情報源としてパウロの甥がいたからなのでしょう。甥はギリシャ語が堪能だったことでしょう。ひょっとすると、諸教会代表団はムナソンの家やエルサレム教会だけではなく(21章16-17節)、パウロの姉の自宅に滞在させてもらっていたかもしれません。

 パウロの甥はどこかからか叔父パウロの暗殺計画を聞きつけ、勇気を振り絞ってアントニオの塔に行き、ギリシャ語で交渉をします。「囚人パウロの身内の者なので叔父に面会させてほしい」と若者は番兵に頼みます。占領軍のローマ兵はローマ市民権を持つパウロに対して寛容だったのかもしれません。甥は軍営の中のパウロに面会を許され、一部始終をパウロに告げることに成功します。

 パウロは「百人隊長の一人」(17節。22章26節の人物か)を呼びつけて、甥を千人隊長に会わせられないかと交渉します。「彼は彼に何か告知を持っている」(17節)。こんな曖昧な言い方で千人隊長に会わせてもらえるというのは不思議な感じがします。しかし、話の分かる百人隊長は、パウロの甥を、これまた話の分かる千人隊長のところに連れて行きます。ローマ市民権の威光とも言えますし、三者の間の信頼関係の結果とも言えます。パウロが紹介するのだから「何か告知」は重要な何かの告知なのでしょう。百人隊長は忠実に「あなたに話すべき何か」(18節)を持っている若者を千人隊長に紹介します。

19 さて千人隊長は彼の手を掴みながら、そして、自分たちだけで引き下がりながら、彼は尋ね続けた。「あなたが私に告知すべく持っていることは何か。」 20 さて彼は次のように言った。「そのユダヤ人たちは、彼について何かもっと熱心に調査することを開始するかのようにして、あなたが最高法院の中へとパウロを降ろすように明日あなたに頼もうと申し合せた。 21 それだからあなた、あなたは彼らに説得されるな。というのも彼を、彼らのうちから四十人以上の男性たちが待ち伏せているからだ。その彼らは自身を呪った。パウロを取り上げるまでは食べることも飲むこともしないと。そして今や彼らは準備している。あなたからの同意を待ちながら。」 22 それで千人隊長はその若者を次のように告げた後、解放した。「あなたが私に向かって明らかにした事々を誰にも話すことのないように」。

 千人隊長はパウロ発・百人隊長経由の「何か」が何かを若者に問います。「あなたが私に告知すべく持っていることは何か」(19節)。パウロの甥の語る20-21節の情報は、15節の暗殺計画の内容を正確に反映しています。彼の情報収集能力と、情報の再現能力は優れています。ヘブル語の情報を彼はギリシャ語に翻訳しているのですから、さらに離れ業を成し遂げているのです。よどみのない口調で必要な情報を必要な人に密告することに彼は成功しました。この行為は非常に勇気と機転を要するミッションです。多分彼は家族にも相談せずに単独で行っています。若者の身体能力と言語能力、向こうっ気の強さと思い切りの良さが十分に生かされました。

 精確な情報の羅列の中で、勇気を振り絞って若者は、占領軍の頂点に立つ千人隊長に強く懇願してもいます。「あなた、あなたは彼らに説得されるな」(21節)。あなたが同意しなければ、叔父パウロは道に出ることはなく、40人以上の男性たちの待ち伏せは徒労に終わる。パウロの甥は権限を持つ人に、最短距離の解決策を突き付けています。そうすれば叔父パウロの命は守られる。アントニオの塔に居る限り安全であるからです。

 そして千人隊長は、明日会う最高法院のサドカイ派議員たちによってではなく、今日会ったパウロの甥の若者によって「説得され」ました。占領軍の頂点に立つ年配のローマ人男性が、植民地の若い住民の要望を丸ごと飲み込んだのです。偉い態度だと思います。

パウロの生命を守ろうとする甥や百人隊長や千人隊長の言動は、パウロを殺そうとする男性たちの言動と正反対に見えます。千人隊長は差別に基づく憎悪ではなく、非常に平たい関係で透明な目で人間を見ているように思えます。それが隣人を活かす態度です。また自分の人生をも輝かす態度です。

こうしてパウロの「明日の生命」が守られました。そしてローマへの道が推し進められることとなりました。この後千人隊長が採った解決策については続きを楽しみにしましょう。

 今日の小さな生き方の提案は、私たちが持つ「憎悪」というものの正体を見抜くことです。ヘイトクライム(嫌悪犯罪)とも呼ばれます。日本には差別禁止法というものがありません。差別的言動を、せいぜい名誉棄損でしか問えないのです。地方自治体の条例レベルではなく、国の法律としてあらゆる差別を一括して禁止する一般法が必要です。差別禁止法が無いのでさらに意識して私たちは差別というものを聖書の語る罪と重ねて、罪のとげをキリストに抜いてもらわなくてはいけません。同じ行為を、特定の人がする時だけなぜ嫌悪するのでしょうか。心の中の嫌悪で済ますことができずに、なぜ外側に表現されてもかまわないと開き直れるのでしょうか。「愛憎の裏表」という言い方は不正確だと思います。憎しみを表出できるという理由は、結局のところ日常的に相手を軽蔑しているからなのです。女性憎悪misogynyの温床は女性差別です。囚人パウロ、監視役百人隊長、占領軍司令官千人隊長、面会希望者パウロの甥、この四者の平たい信頼関係に倣いたいと思います。