23 そして百人隊長のうちのとある二人を呼んだ後、彼は言った。「彼らがカイサリアまで行くことができるように、あなたたちは夜の第三時から二百人の歩兵を整えよ。また七十人の騎兵と二百人の右に持つ兵も(整えよ)。 24 またパウロを乗せるように家畜らも用意すること。フェリクス総督に向かって彼らが安全に救うために。」
40人のユダヤ人男性がパウロを待ち伏せして暗殺しようとしていることを知った千人隊長は、パウロを「安全に救う」(24節)方法を考えました。それは夜のうちにエルサレムから100Km北西にある「カイサリア」(23節)までローマ軍によって護送するというものです。ユダヤ地方を支配する総督は、海岸の港湾大都市カイサリアに常駐していました。「フェリクス総督」(24節)は千人隊長の直接の上長です。ローマ市民であるパウロが正当な手続きに従って裁判を受けることができるように、千人隊長は二人の百人隊長と470名の兵士とパウロを運ぶ「家畜ら」(24節)を手配します。
「夜の第三時」は現代の午後9時ごろにあたります。「右に持つ兵」は直訳です。この箇所にしか登場しない単語なので、どのような兵士なのか厳密には不明です。パウロを乗せる家畜が何かは分かりませんが、複数になっていることから、家畜たちを交代で用いて疲れさせないように工夫したということなのでしょう。「アンティパトリス」(31節)まではロバに乗り、そこからカイサリアまでが馬だったのかもしれません。470人という兵士数は、エルサレムの駐留軍の半数にあたると言われます。とてつもなく手厚い護衛です。しかも夜の9時に出発し夜通し歩いて翌日60Km先のアンティパトリスにまで到達するという強行軍です。
25 この案件を持っている手紙を書いて(曰く)。 26 「クラウディウス・リシア。フェリクス総督閣下に挨拶する。 27 ユダヤ人たちによって掴まれて、そして彼らによって殺されかけた、この男を、(私は)軍隊と共に接して立ち、私は救出した。彼がローマ市民であることを知ったので。 28 彼らが彼を告発し続けている理由を認識することを望みながら、彼らの最高法院の中へと私は降ろした。 29 その彼が、彼らの律法の探求について告発されたと、私は分かった。さて死あるいは拘束に値することを持っていないと(私は分かった)。 30 さてその男への陰謀があるであろうということが私に密告されたので、すぐに私はあなたに向かって送った。また告発者たちに彼に対する(ことを)あなたに言うように指示した後に。」
ここで初めて千人隊長の本名が読者に知らされます。「クラウディウス・リシア」(26節)というのだそうです。使徒言行録の著者ルカは、ある種のたくらみをもって、彼の名前を今まで知らせなかったと思います。わたしたち読者は今まで、「なぜこの千人隊長がパウロに親切だったのか」を不審に感じていました。この名前の公表は、読者のモヤモヤを晴らす効果を持っています。
元々の彼の名前はリシアだけだったと考えられます。リシアという名前はサマリア地方か海岸地方のギリシャ語話者に多かったそうです。彼がローマ市民権を多額の資本を用いて買った際(22章28節)、時のローマ皇帝クラウディウスの名前をファーストネームとして用いるようになったと推測できます。彼はクラウディウス帝への感謝を込めて自分の名前に皇帝の名前を冠したのでしょう。つまりギリシャ語話者リシアは、広い意味のサマリア人であった可能性があるということです。ローマ帝国の公用語はラテン語とギリシャ語です。特に東地中海世界はギリシャ語が中心です。そのローマ帝国に支配されているのですから、ギリシャ語を第一言語とするサマリア人でローマ市民権を持つ人も当然いたのです。
リシアは「良いサマリア人」(ルカ福音書10章)のように、「ユダヤ人たちによって…殺されかけた」(27節)パウロを助け、家畜に乗せて安全な場所に救出します。自分のできる支援を、できる時に、できる範囲で行っているのです。彼を衝き動かしているのは、パウロから窺い知れるユダヤ教ナザレ派(キリスト教)の教え・福音です。民族主義を超えて、ユダヤ人もサマリア人もエチオピア人も小アジア半島の人もギリシャ人もキプロス人も、同じ神の子・人の子としてキリストを礼拝できるという福音です。イエス・キリストにあって全ての人は平等、もはやギリシャ人もユダヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もないのです。エルサレムに常駐しているリシアは、正統派ユダヤ人たちの偏狭な民族主義に嫌気を指していました。もちろん占領軍として嫌われることは理解できます。しかし宗教的な理由を持ち出して非ユダヤ人(教徒)は劣っているという考え方や、サマリア人に対する激越な差別には、どうしても頷けません。
リシアは上司の「フェリクス総督」(後述)にパウロを紹介する手紙を記します(25節)。26-30節にある手紙の内容は、21章27節から23章22節までの物語を要約したものです。新しい情報は、リシアが告発者ユダヤ人たちに、「今後はカイサリアのローマ総督フェリクスに訴えよ」と指示を出したというところだけです(30節後半下線部)。夜中に軍隊を送り出した後に、リシアは最高法院議長にこの指示を出したのでしょう。
千人隊長リシアは、占領軍司令官という公務員として、自分の決裁権限では処分できない案件を、上長である総督フェリクスに手際よく上げました。彼はローマ帝国の法律に則って「ローマ市民である」(27節)パウロを扱いました。「彼らの律法の探求」(29節)という純宗教的な争いは、ローマ帝国においては裁判に当たりません。だから、死刑も禁固刑も処すべきではありません。
法律を守ることは、リシア自身を守ることでした。ローマ市民を裁判なしに処罰する行政官は処罰されてしまうからです。またローマ市民への裁判は総督がしなくてはならなかったのです。法を守り権限外のことをしないことと同時に、権限の範囲の軍隊出動によってリシアは、パウロの生命を救い出し、パウロのローマ行きを後押ししました。リシアは神の意思の実現を手助けしています(11節)。一方でリシアは総督に失礼を働かずに、他方でユダヤの最高法院からも直接攻撃されないようにしています。サマリア人からローマ市民・千人隊長へと出世したリシアは、良いサマリア人であり、ローマ帝国の優れた行政官です。彼には法律を守りながら法律を活用する知恵があります。この点は、法治国家に住むわたしたちも見習うべき姿勢でしょう。
31 実際それだから、歩兵たちは彼らに命じられたことに従って、パウロを上げて、彼らは夜を通してアンティパトリスの中へと行った。 32 さて翌日に騎兵たちに彼と共に出発することを許して、彼らは軍営の中へと戻った。 33 その彼らがカイサリアの中へと入って、そしてその手紙を総督に渡して、パウロを彼に接して立たせた。 34 さて(彼は)読んで、そして彼がどこの地方からの者であるかを尋ねて、そしてキリキアから(の者)であるということを理解して、 35 彼は言った。「あなたの告発者たちが到達した時に、私はあなたから聴聞したい」。ヘロデの官邸の中に彼を拘留することを命じて。
470人の一団は60Kmを夜通し歩き続けアンティパトリスという町の中までたどり着きます(31節)。新共同訳聖書巻末の聖書地図には記載されていませんが、「アリマタヤ」の近くと言われます。サマリアとユダヤの境にあるローマ軍の駐留地です。「歩兵たち」(23・31節)はアンティパトリスまで来ると、少しは休んだと思いますが、速やかにエルサレムの「軍営」(32節)に戻ります。一人の百人隊長に率いられ歩兵と共に「右に持つ兵」(23節)も戻ったと推測します。エルサレムという町の治安維持のために歩兵の方が有効だったのでしょう。そしてパウロを一刻も早くカイサリアに届けるためだったのでしょう。騎兵70騎だけが家畜(馬)に乗ったパウロを護衛してカイサリアまで向かいます(32節)。千人隊長リシアの命令の趣旨は、とにかく一刻も早くパウロを総督フェリクスのもとに無事に送り届けることにありました。
時速20Kmならば2時間後、騎兵隊とパウロはカイサリアに入ります。騎兵隊の長である、もう一人の百人隊長は自分の上司である千人隊長リシアの手紙を総督フェリクスに渡し、被告パウロを総督の面前に立たせます(33節)。フェリクスはローマの歴史書に言及されています。後52/53年からユダヤ地方を支配する総督でした。アントニウス・フェリクスといいます。皇帝クラウディウスの母アントニアに解放された元奴隷です。アントニウスという名前は、恩人アントニアに由来します。58年から60年までのいずれかの時期に失政を理由に失脚し、総督職を解任される人物です。クラウディウスという名前はフェリクスにとっても特別です。クラウディウス・リシアの手紙を、彼はぞんざいにはしません。解放奴隷出身のフェリクスは、才覚でローマ市民となったリシアと一脈通じています。彼にも「もはや奴隷も自由人もない」という福音は魅力的です。カイサリアにすでにフィリポの教会があり、彼にもその福音を噂話程度でも聞く機会はあったことでしょう。
フェリクスはパウロに出身地を問います。パウロは「キリキア地方」と答えます(34節)。ローマ市民の裁判は被告の出身地にも関係があります。通例は、ローマ市民はその出身の属州の総督によって裁判を受けたそうです。しかしこの頃、キリキア地方は「属州」という行政区分ではなかったのだそうです。属州の中に入らないけれどもローマ帝国の領土に入っていました。行政区分の隙間です。そこでユダヤを支配する総督フェリクスでも、キリキア出身のローマ市民パウロを裁くことが許されたようです。パウロの出身地を聞くことでで、フェリクスの権限の確認が冒頭になされたということです。
原告であるユダヤ人権力者たちが到着して、彼らが正式にパウロを告訴して、原告・被告・裁判官が出そろってからでないと裁判を始めることができないとフェリクスは判断しました。「あなたの告発者たちが到達した時に、私はあなたから聴聞したい」(35節)。至極まっとうな判断です。リシアと同様フェリクスも公正さを旨とし、手続を大切にしています。
今日の小さな生き方の提案は、自分のできる範囲の良心的な行動をすることです。「使徒言行録はローマ帝国を非難しない」という一般傾向はあります。その理由の一つは、ローマ帝国の占領軍・官僚の中に良心的な人物が実際に居たということと、彼らの行動が結果として「神の意思の実現」に一役買っていたからです。歴史はパウロ一人が主人公ではありません。巨大な国家内部でも個人に委ねられた裁量があります。無数の権限外のことは諦め、限られた事故の権限内の範囲で「サマリア人」になれば良いと思います。行政官だけではありません。あまり自己を責める必要はないのです。学校/職場/地域で、軽やかに小さな「信教の自由」という権利を行使していきましょう。イエスの霊に導かれるならば、私たちの心身は軽くなりキリストにより救われます。