はじめに
今日の箇所はイスラエルがモアブという地域を通過したことを報告しています。それが一つの要点です。モアブとは何かということを考えてまいります。もう一つの要点は『ヤハウェの戦いの書』や、「井戸の歌」と呼ばれる詩(17-18節)の存在です。これらの「書」や「詩」の存在は、聖書という本の成り立ちを推測させる鍵です。一冊の聖書になる原動力や過程です。
この二つの点を考えながら、わたしたちにとってモアブとは何を意味するのか、そしてわたしたちにとって聖書や賛美は何を意味するのかを考え、明日を生きる力を得ていきたいと思います。
10 そしてイスラエルの息子たちは杭を抜いた。そしてオボトに宿営した。 11 そして彼らはオボトから杭を抜いた。そして彼らは、太陽の昇るところ沿いのモアブの面に接した荒野にあるイイエ・アバリムに宿営した。 12 そこから彼らは杭を抜いた。そして彼らはゼレド川に宿営した。 13 そこから彼らは杭を抜いた。そして彼らはアルノン(川)の向こう岸沿いに宿営した。そこはアモリ人たちの境界線から伸びている荒野の中にあるのだが。なぜならアルノン(川)はモアブの境界かつアモリ人たちとの中間だからだ。
モアブとは
本日登場する多くの地名の場所はほとんどどこなのかが分かっていません。巻末の聖書地図「2 出エジプトの道」には「オボト」(11節)の場所だけが記されています。ここで重要な地名は二つの川です。すなわち、「ゼレド川」(12節)と「アルノン(川)」(13節)です。ゼレド川は死海の南端へと東から注ぐ川です。アルノン川は死海の真ん中辺りへと東から注ぐ川です。この二つの川が「モアブの境界」(13節)です。イスラエルはエジプトから約束の地カナンを目指して死海の東側を通る旅をしていますが、エドムの地の真ん中を通過することができませんでした。エドムが拒否したので迂回してぎりぎりの境界線を通ったようです。その一方で、エドムの北にあるモアブの地は通過を許されました。この違いは何なのでしょうか。
聖書の最良の参考書は聖書です。申命記2章9節にこの点について説明がなされています(新共同訳聖書282ページ)。「モアブを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない。わたしはその土地を領地としてあなたには与えない、アルの町は既にロトの子孫に領地として与えた。」(申命記2章9節)。ちなみにサマリア人のモーセ五書には、本日の民数記21章11節の終わりに、この申命記2章9節が付け加わっています。神の言葉は、ロトの子孫であるモアブに敬意を払うようにという趣旨でしょう。ロトは、創世記12章以下に登場するアブラハムの甥です。
創世記の家族関係が、エドムとモアブの違いと響き合っています。イスラエルはヤコブという人の別名であり、彼の子孫です。ヤコブの双子の兄エサウは一時ヤコブと激しく対立しました。この対立の原因はもっぱらヤコブにあります。エサウは大人の構えで、ヤコブとの対立を解きました。ただし両者は離れて暮らすことを選びました。最も近い対等の関係であるけれども離れて暮らすことが宿命となりました(以上創世記25章以下)。この合意の上に立って、エドムはイスラエルの領土通過を認めないのです(20章14-21節)。
ロトは、ヤコブの父イサクの年の離れた従兄です。ヤコブから見るとかなり上の世代の遠い親戚です。神はアブラハムとサラ夫妻と共に「父の家」を棄てて約束の地を目指したロト夫妻を高く評価しています。そこでロトの子モアブの子孫にモアブの地を与えたのです。モアブの地にロトの子孫が住むことはアブラハムとロトの合意に基づくものでした(創世記13章)。これはイサクもその子ヤコブも生まれる前の恵みでした。また、アブラハムの二度にわたるロト家族の救出行動によるものでもありました(同14・19章)。神の恵みと、アブラハム・ロトの合意と、アブラハムによるロト家族の救出行動に敬意を払わなければなりません。そこでイスラエルはモアブに敵対行動をとってはいけないとされます(申命記2章9節)。
エサウ(別名エドム)とヤコブ(別名イスラエル)の関係よりも、ロトとアブラハムの関係の方が深いと言えます。そのような理由でイスラエルはモアブの地を自由に通過が許されているのでしょう(19-20節)。エドムに対する気の遣い方は、モアブには不要です。エドムよりも地理的にイスラエルに近いモアブは、イスラエルの人々にとって飢饉の時の逃れ場になっています。ルツ記1章にある通りです。そしてルツ記4章の末尾の系図が示す通り、ダビデ王の曾祖母はモアブ人ルツです。イスラエルに対する、ここまでの入り組み方はエドムにはありません。
エドムも神の祝福の中にありますが(創世記36章)、モアブも独特な位置づけで神の祝福の中にあります。それだからイスラエルはそれぞれとの固有の歴史を踏まえて、それぞれに対する気の遣い方・距離の取り方・時に助け合いの行動をとらなくてはいけません。「アモリ人」(13節)については本日は取り上げませんが、大まかに旧約聖書がイスラエルを周辺の民と親戚であるとしていることは現代的に重要です。イスラム教徒たちが自分たちのことをイサクの兄イシュマエルの子孫であると自認しているからです。朝鮮半島についてわたしたちは日本人の一つのルーツと歴史的にも社会的にも政治的にも認めた方が良いでしょう。アイヌの人々や琉球の人々ともポリネシアの人々ともモンゴルの人々とも「親戚」として認め合うことが大切です。固有の歴史がそれぞれに対してあるのですから、経緯を払って距離を保ちながら喜んで助け合うという国家間外交関係、民間交流が大切ではないでしょうか。
14 それだから『ヤハウェの戦いの書』にそれが言われている。「スファにおけるワヘブを、またアルノンの諸々の川を。 15 そしてアルに住むために彼が到達した諸々の川の斜面。そして彼はモアブの境界に寄りかかる」 16 そしてそこからベエルへと、彼女はヤハウェがモーセに言った井戸。「貴男はその民を集めよ。そうすれば私は彼らのために水を与える。」 17 そのときイスラエルはこの歌を歌う。「貴女は上がれ、井戸よ。貴男は彼女に応えよ。 18 井戸(を)、高官たちは彼女を掘った。その民の貴族たちは掘削した。笏でもって、彼らの杖でもって。」そして荒野からマタナ。 19 そしてマタナからナハリエル。そしてナハリエルからバモト。 20 そしてモアブの野にある谷のバモトからピスガの頂。そして彼女はその西の地の面に接して眺められた。
聖書の成り立ち
『ヤハウェの戦いの書』(14節)という本は未だに発掘されていません。そしてその本から引用されているのは、本日の箇所だけです。「この本は存在していない、聖書記者の虚構だ」という学者も多くいます。わたしは存在したと思います。とりわけ本日のように文法的に未完成な言葉「スファにおけるワヘブを、またアルノンの諸々の川を」という文言は、この前に何らかの主語述語が存在していることを強く推測させます。机の上にある『ヤハウェの戦いの書』を、誰が何をしたのかについては、引用し損ねたから起こる現象なのではないでしょうか。聖書には元になる本が、複数存在したと考えることは悪いことではありません。一人の人への啓示ではなく、さまざまな著者や編集者が関わって、数百年単位で旧約聖書は膨らんでいったのです。
『ヤハウェの戦いの書』は虚構だと言う学者の多くは、「井戸の歌」(17-18節)は聖書が出来上がる前から存在したとも主張します。詩というものが物語よりも古いからです。井戸の歌は旧約聖書の中の詩のうち、かなり古いものと推定されています。書かれた本は無いけれども、口伝えの歌は有ったというのです。どちらも存在して構いません。口伝えの歌はさまざまな編曲・替え歌がなされながら、ある時点で聖書に記載されます。
元々は「ヤハウェがモーセを集めさせて民に井戸を与えた時に、労働歌が生まれた」という言い伝えがあったのでしょう。この逸話は聖書の中に報告されていません。しかしこの逸話がベエル(井戸の意)という地名の由来となったのでしょう。水は救いです。イエスとサマリア人女性とのやりとりでも明らかです。救いを求める声に、水が意思を持って湧き上がってきます。人々はこの救いにさらに応えます。「井戸よ、上がれ」と言いながら、「労働者たちよ、井戸に応えよ」と肉体労働の苦手な歌い手たちはミリアムと共に大声で歌い囃し立てるのです。労働者たち喘ぎ歌いながら掘り進めます。
この井戸を掘るのに身分は関係なかったようです。高い身分の人も低い身分の人も一緒に携わらなければ命の水は得られません。だから道具も何でも良かったようです(18節)。何とも愉快な歌詞です。モーセもアロンも自分の杖を使って井戸を掘ります。そのようにして平たい関係の人々が一つの井戸を楽しく必死に掘る時に、神の救いとしての水が与えられます。この歌は、荒野を旅するイスラエルの民の間でずっと歌い継がれたのだと思います。また、ベエルという町や井戸を見るたびに、イスラエルの民は労働歌というだけではなく救い主への讃美歌として歌い出すのです。
「ベエル」「井戸」という単語は女性名詞です。そのため井戸に向かって「あなた」という場合に「貴女」としています。また他に女性名詞がないので、17・18・20節の「彼女」は井戸を指すと考えます。「ピスガの頂」(20節)はモーセが死ぬ前に登った場所です(申命記34章1節)。約束の地をはるかに望んだけれども入れずにモーセは死にました。本日の箇所は、その時モーセに眺められたものの中に「井戸(彼女)」もあったと言っています。
ピスガの頂からモーセはベエルの町を見て、みんなで井戸を掘り当てた出来事を思い出します。思わずあの歌を口ずさみます。その時悔し涙もあるままに負の感情がが昇華され笑いに変えられます。聖書を形作った原動力は、救いの神を賛美する営みです。
今日の小さな生き方の提案
礼拝には欠かせない要素があります。聖書と賛美と祈りです。世間という荒野を旅する教会は、歌いつつ歩む群れです。バプテスト教会は礼拝の重要要素に会衆賛美を掲げています。とても良い伝統だと思います。歌こそが聖書を形作る原動力であったことを考えると、この伝統に立つべきでしょう。一人の人が言葉と時間を支配する行為(説教)には、適切な牽制が必要です。平たい関係、相互尊重の距離を保って共同の作業をしながら、共に歌える歌を歌いましょう。そしてまた杭を抜いて明日からの一週間の旅をし、来週も教会の礼拝に帰り、共に掘り当てた一つの泉を囲んで歌を歌いましょう。