浸礼者ヨハネ マタイによる福音書3章1-6節 2025年2月9日礼拝説教

はじめに

バプテストのキリスト者にとってバプテスマ/浸礼というものは入信と入会の儀式として重要なものです。その起源はヨハネという人物の実践にあります。初代教会はなぜ浸礼をヨハネから引き継いだのでしょうか。イエスはヨハネからヨルダン川で全身を浸されました(マルコ1章9節)。イエスの弟子たちの中でアンデレは元々ヨハネの弟子でした(ヨハネ1章40節)。ルカ福音書によるとヨハネはイエスより数か月早く生まれた親戚です(ルカ1章36節)。ヨハネとイエスの間には、先後の関係と親近性があります。そして両者の弟子たちの間には競合もあります(ヨハネ4章1節、使徒言行録18章25節)。これらの入り組んだ経緯にもとづいて、初代教会はバプテスマという儀式を用いて教会形成をしました。その1500年後、宗教改革急進派の一つバプテストは、全身浸礼を聖書主義に基づいて復古したのです。

本日の箇所は、ヨハネの活動時期と場所(1節)・説教(2節)・成就預言(3節)・服装と食習慣(4節)・浸礼運動(5節)について概括的に記しています。全般にマタイ福音書はマルコ福音書を下敷きにしています。ところがヨハネの説教については重要な点で異なっています。それは、「悔い改めよ。天(神)の国は近づいた」という説教を、イエスではなくヨハネが語っているという点です。この異同に着目しながら、マタイ福音書を重視して読み解きたいと思います。

 

1 さてそれらの日々において、ヨハネその浸礼者が傍らに生じた。そのユダヤの荒野において宣べながら。 2 曰く、あなたたちは悔い改めよ。なぜならばその諸々の天の支配は近づいた(ままだ)からだ。 3 というのもこの男性はその預言者イザヤを通して述べられた男性である。曰く、その荒野において叫んでいる声が。あなたたちはその主の道を整えよ。彼の諸々の小路をまっすぐになせ。 4 さてそのヨハネ彼自身はらくだの毛由来の彼の外套を持ち続けていた。そして彼の腰の周りに革の帯を(持ち続けていた)。さて彼の食べ物はイナゴと野の蜜とであり続けた。 5 その時、エルサレムとユダヤの全てとヨルダンの周辺地域の全てとが、彼に向かって続々と出て行った。 6 そして彼らはそのヨルダン川の中で彼によって続々と浸された。彼らの諸々の罪を告白し続けながら。

 

浸礼者ヨハネの人生

紀元後20年代後半、レビ部族祭司の家系ザカリアとエリサベトの息子ヨハネ(ヘブル語名ヨハナン)という男性が独特の宗教活動を創始しました。それは生き方を翻すこと、悔い改めを行うことの勧めです。神に対する清い行い・ユダヤ人同胞間における正義を実践し、その証明としてヨルダン川でヨハネによって浸されるという宗教実践です。

年老いた両親やサドカイ派の親戚は、ヨハネが家業である祭司職を継ぐことを望んでいました。しかし彼は伝統からはみ出ました。エルサレムで彼が見聞きする祭司たちの生き方が真に敬虔なものであると思えなかったからです。犠牲祭儀や香や灯を絶やさないことを神は喜んでおられるのだろうか。祭司たち神殿貴族・サドカイ派、さらにファリサイ派といった、最高法院を構成する正統宗教家たちの政治権力の使い方に正義があるのか。両手を挙げて神に感謝を祈りながら足元に貧しいものを踏みつけてはいないか。

ヨハネは祭服を脱ぎ捨て父の家を棄てます。サドカイ派を飛び出て、おそらくエッセネ派というユダヤ教の中の禁欲的な宗派に飛び込んだと思われます。エッセネ派は町の中で質素な共同生活をするグループで、サドカイ派・ファリサイ派と対立していました。また、エッセネ派は暴力による政権転覆を図る熱心党(ゼロタイ)とも一線を画していました。地上の政治には無関心だったのです。財産を共有し修道生活をし、同じパンのみを食べ、独特の祈りを捧げ、清めの儀式として日常的に沐浴を行っていたと言われます。構成員はユダヤ人に厳しく限られていました。

ヨハネはさらにエッセネ派で学んだことを自分なりに変える新しい宗教運動を始めます。エッセネ派を飛び出し、都市の快適な生活を離れ、荒れ野で修道生活をするのです。彼はエルサレムから近い、ヨルダン川沿いの荒野に野宿します。預言者エリヤの格好をまねて、毛衣に革帯を身に着け(列王記下1章8節)、食べ物をイナゴと野の蜜に制限します。エリヤが烏から肉を与えられたように、野で奇跡的に生き延びたことを模したのかもしれません。

公開で人生にただ一度きりのバプテスマをする、罪を告白し生き方を変える、その他の宗教儀式はしない、質素に暮らし正義を行う、エリヤのように政治権力にも物申すというものです。この運動は爆発的に広まります。エルサレムから、ユダヤ地方から、ヨルダン川の流域一帯から、多くの人々がヨハネからバプテスマを受けるのです。そして熱心な者たちはヨハネの修道生活にあこがれ、そのままユダヤ地方の荒野に留まります。彼の弟子たちは、師ヨハネと同じように求道者たちにバプテスマを施し、野宿を共にしていました。

弟子たちはヨハネをイザヤ書40章3節にある「荒野において叫んでいる声」であるとみなしました。彼が町の中ではなくユダヤの荒野で人々に呼びかけたからです。そして世の終わりの救い主到来の直前に登場する預言者エリヤであると信じました(11章10節、マラキ書3章1節)。彼がエリヤの服装を真似し、エリヤのように領主ヘロデをも批判したからです。ヨハネの弟子たちが行った預言と成就の「定型引用」という手法は、キリスト教会にも受け継がれ、特にマタイ教会がマタイ福音書を編纂する時に多用しました。弟子が旧約聖書を用いて師匠を評価するという行為です。

 

ヨハネの説教

マタイ福音書はヨハネの語った説教として、「あなたたちは悔い改めよ。なぜならばその諸々の天の支配は近づいた(ままだ)からだ」(2節)を報告しています。マルコ福音書によると、この言葉はイエスの語った説教です(マルコ1章15節)。どちらが史実なのでしょうか。以下わたしの推測です。

  • 「悔い改めよ。天の支配は近づいたから」はヨハネが最初に語った。
  • イエスはそれを踏襲しつつ下線部を改変した。「時は満ちた神の支配は近づいた。悔い改めよ。福音を信ぜよ
  • その後マタイ教会はイエスの言葉であっても「天の支配」という言葉使いに統一した。マルコ福音書ではイエスの言葉中すべて「神の支配」とされている。

 

ユダヤ人たちは、敬虔さを示すため(不敬虔な言葉づかいを避けるため)に「神」「主」という言葉を婉曲に「天」「その名」と言い表すことがありました。だからヨハネも同じように「天の支配」という言い方をしたと推測します。そしてその考え方は、ユダヤ人たちが多かったとされるマタイ教会も共通していました。そのヨハネの伝統的言葉使いを、イエスは乗り越えます。婉曲表現を捨てて「神の支配」とずばりと語り、神への祈りの呼びかけに「アッバ(お父ちゃん)」という幼児語を用います。

マルコ福音書は、ヨハネが罪の赦しを得させるために悔い改めのバプテスマをしていたと書きます(マルコ1章4節)。しかし、同時代の歴史家ヨセフスによれば、ヨハネは罪の赦しのためにバプテスマをしていません。その姿はマタイ福音書の描くヨハネ像と近いものがあります。マタイ福音書のヨハネの説教には、罪の赦しはありません。あるのは悔い改めだけです。神の寛容な愛、無条件の赦しは、イエスの独特な使信であり、それが「福音」なのです。最も古いからという理由でマルコ福音書にのみに頼って史実の再構成を試みるのは短絡です。

話をヨハネの説教に戻します。ヨハネは、「天の支配が近づいたから悔い改めよ」と語っています。命令の理由付けが明確です。イエスの言葉は、理由付けをしていません。神の支配の到来と、悔い改めはイエスにおいては無関係ですが、ヨハネにとっては非常に重要です。つまり、ヨハネの説教は威嚇の言葉なのです。ヨハネの語る天の支配は、もっぱら神の裁きが行われる状態を指します。いったん近づいた裁きは、その効果をずっと発し続けます。現在完了時制が表しているとおりです。ヨハネがエッセネ派を飛び出して荒野で呼ばわった時から、裁きが近いという状態は続いています。「それだから今のうちに罪を告白して悔い改めよ。悔い改めの象徴として一生に一度のバプテスマを受けよ。さもなければ天はあなたを裁く。」

ヨハネの威嚇は旧約聖書の預言者の語り口に似ています。イザヤやエレミヤやエゼキエルなど多くの預言者たちは祭司でした。ヨハネと同じです。普段温厚で、根っからの善人であり、淡々と祭儀を行う人が、預言者として威嚇の言葉を語る時、人々は引きつけられます。例えばエゼキエルの言葉「わたしは誰の死をも喜ばない。あなたたちは悔い改めよ。あなたたちは生きよ」(エゼキエル書18章32節)と、ヨハネの言葉とは響き合っています。

サドカイ派のいわゆる「お坊ちゃま」だったヨハネが、野性味あふれる格好で野に暮らす落差も魅力です。元エッセネ派のヨハネが密室から野外に出て、社会に向けて顔をさらして声を発している姿にも共感が寄せられます。この人の前でならば赤裸々に自分の恥部・罪を告白できると思うようになるのです。一生に一度の決断に立ち会ってもらいたいと願い、「野外で公開のバプテスマを彼から受けたい、彼の生き方に従いたい」と多くの、そして様々な地位のユダヤ人が願いました。

全ての人は罪(自己中心、物欲や支配欲)を持ちます。全ての社会は構造的に罪(隣人に対して収奪的・差別的な部分)を持ちます。安易に許される前に、わたしたちはただ頭を垂れて神に悔い改めなくてはなりません。バプテスマという儀式の一つの重要要素です。

 

今日の小さな生き方の提案

悔い改めよという呼びかけに誠実に応え、罪の告白のために荒野へとヨルダン川へと集まりたいと思います。もちろんヨハネの狭さは問題です。ユダヤ民族主義や裁きと威嚇一辺倒のところは気になります。しかし狭いゆえに深いということがありえます。ぐさりと刺さらなければ個人の悔い改めは起こりません。深くえぐらなければ社会の膿は除去できません。救いは否定をくぐりぬけて与えられる肯定です。ただ神に謝罪するしかないという地点にまで沈められることが求められています。「罪人のわたしを憐れんでほしい」という祈りです。その川底に救い主がおられます。日常生活の喧騒の中でも、時に一人静かな場所で、霊性を深める祈りを捧げることをお勧めいたします。