【はじめに】
ビルアムはバラクからの三回の依頼を反故にしました。イスラエルを呪えと三回言われ、三回祝福したのです。今回はビルアムがバラクから依頼されていないのに、さらに四回も「箴言を持ち上げた」(15・20・21・23節。新共同訳「託宣を述べた」)場面です。こうしてビルアムの箴言は合計七回となります(23章7・18節、24章3節も同じ表現)。聖書で「七」という数字は完全を暗示します。これは完全な預言です。しかも救い主に関するメシア預言です。ユダヤ教においても(「バル・コクバ〔星の息子の意〕の反乱」後132-135年)キリスト教においても(マタイ2章2節、黙示録22章16節)、本日の箇所はメシア・キリストを指す預言と信じられています。さまざまな意味で包括的・全体的・通史的な救い主に関する「完全な預言」と捉えることが良いでしょう。特に受難週を迎えるにあたって。
12 そしてビルアムはバラクに向かって言った。貴男が私に向かって遣わした貴男の使者に向かって、私も言わなかったか。曰く、 13 もしも私にバラクが彼の家の満杯、金と銀(を)与えても、ヤハウェの口を越えることを私はできない。良いことあるいは悪いことを私の心により為すことを(できない)。ヤハウェが語ることを、それを私は語る。 14 そして今何と私は私の民のために歩き続けている。貴男は歩め。この民が貴男の民にその後の日々において為すことを、私は助言する。
【私の民のために】
バラクは11節で、「貴男は逃げよ。(さもなければ殺す)」とビルアムを脅しました。それに対してビルアムは、最初から自分はヤハウェの語ることだけを語ると言い続けていたと言います。いつも通りです(23章12・26節)。それに加えて三回目には、「私は私の民のために歩き続けている」(14節)といつもには無い返事をしています。逃げよという言葉への応答はこの部分です。彼はアラムに帰るつもりなのでしょうか(新共同訳参照)。
この後ビルアムはイスラエルに同行しています。25章の「ペオルのバアル事件」にビルアムは深く関与し、その時に殺害されているようです(31章8節)。つまりビルアムにって「私の民」(14節)とはイスラエルです。ビルアムは23章10節で「イスラエルの民となって死にたい」と言っています。それを実行したのでしょう。彼はイスラエルへと逃げ、寄留の外国人となったのです。その上で、彼はイスラエルがモアブになすことを預言します。
15 そして彼は彼の箴言を持ち上げた。そして彼は言った。ベオルの息子ビルアムの託宣。その目が開かれた強者の託宣。 16 神〔エル〕の諸々の発言を聞いている者の託宣。また至高者〔エルヨーン〕の知識を知っている者(の託宣)。全能者〔シャダイ〕の幻(を)彼は予見する。倒れながら、そして目が啓かれながら、 17 私は彼を見る。しかし今ではない。私は彼を注視する。しかし近くではない。ヤコブからの星が進出した。そしてイスラエルからの杖が起きた。そして彼はモアブの繁栄(を)撃った。そして彼はセトの息子たちの全て(を)切り倒した。18 そしてエドムは所有となった。そしてセイル、彼の敵たちは所有となった。そしてイスラエルは軍隊を作った。 19 そしてヤコブから彼が支配するように。そして彼は町からの生存者(を)滅ぼした。
【四回目の箴言】
新共同訳聖書は意味が通りにくい部分を、文字を変えるなどして意味を通りやすく修正しています(17節「シェト」「頭の頂」など)。それは24節の七回目の箴言まで続きます(22節「アシュル」、23節「北から軍団を組んでくる者」)。学者の意見はともかく、今ある本文を直訳しています。四回目の箴言の内容は、確実にイスラエル統一王国を築いた軍事政略家ダビデ王についての預言です(前1000年ごろ)。ダビデの出身部族ユダ(獅子に似ている)のことをビルアムは今までも預言していました(23章24節、24章9節。創世記49章9節参照)。「杖(17節)」は王権の象徴、「進出した」(17節)は軍事的侵入を含意する言葉です。ダビデ王は私兵を中心に「軍隊を作った」(18節)のでした。彼は曾祖母ルツの母国モアブ王国を軍事力によって屈服させ属国にしました(サムエル記下8章)。イスラエルの指導者として史上初めて「モアブの繁栄(を)撃った」のです。「セトの息子たちの全て(を)切り倒した」は誇張と採ります。セトはアダムとエバの三番目の息子であり、全人類の祖だからです(創世記4章26節)。その一方でセトは、21節の「カイン」と呼応しています。彼はアダム・エバ夫妻の一番目の息子です。ダビデが「エドム」≒「セイル」を「所有」したのは誇張ではなく事実です。ダビデはエドムに軍隊を駐留させ、軍事支配をします(サムエル記下8章)。19節はダビデの苛烈な軍事支配を表しています。
こうしてビルアムは、モアブ王国を呪います。イスラエルを呪う者はイスラエルによって滅ぼされるというのです。皮肉にもモアブ人の子孫がモアブ王国を屈服させ、屈辱的な支配を断行します。二百数十年後の出来事です。
20 そして彼はアマレクを見た。そして彼は彼の箴言(を)持ち上げた。そして彼は言った。諸国の最初はアマレク。そして彼の最後は滅びまで。 21 そして彼はそのケニ人を見た。そして彼は彼の箴言(を)持ち上げた。そして彼は言った。貴男の居住は永続的。貴男の巣はその岩の中に置かれ続けている。 22 実に、もしもカインが燃やすこととなるならば、アッシリアが貴男を捕らえるまで。 23 そして彼は彼の箴言(を)持ち上げた。そして彼は言った。ああ、誰が生きるか、神〔エル〕がこれを置くことより。 24 そしてキティム人たちの手より諸々の船が。そしてアッシリアは苦しんだ。そしてエベルは苦しんだ。そして彼も滅びまで。
【第五から第七の箴言】
20節の「滅びまで」が24節の「滅びまで」と対になって、20-24節を囲んでいます。第五から第七の箴言の主題は、モアブ王国(ロトの子孫)・エドム王国(エサウの子孫)といった親戚の国々だけではない、周辺のより広い歴史における国の盛衰にあります。「ああ、誰が生きるか」(23節)が主題です。第五の箴言、アマレク人はダビデ王の前のサウル王が滅ぼしています(サムエル記上15章)。ここでダビデ王より少し時代が戻ります。
第六の箴言、「ケニ人」(21節)とは何者でしょうか。モーセのしゅうとエトロの一族は「ケニ人」「カイン」とも呼ばれています(士師記1章16節、4章11節)。ケニ人たちはイスラエルの出エジプトの旅に同行し、寄留の他国人として共存し約束の地まで入ったのでした。実はサウル王はアマレク人を滅ぼす際にカイン人を保護しています(サムエル記上15章)。ビルアムは、イスラエルの中にいるケニ人を、自分自身の境遇と重ねて見ているのだと思います。「貴男の居住は永続的」(21節)という誉め言葉は、イスラエルの中で寄留の民がしっかりと守られていることを示しています。
しかしケニ人≒カインの保護と共存は、アッシリア帝国が北イスラエル王国を滅ぼし、捕囚にするまでのことでした(22節)。これはダビデ王の出現よりもずっと後の前721年のことです(アッシリア捕囚)。ビルアムの預言は、サウル王(北王朝の始祖)から北王国の滅亡まで、引き伸ばされています。
第七の箴言は、さらに歴史の針を進め、時間的にも地理的にも引き伸ばします。24節「キティム人たち」は、地中海の方から来た人々を指します。聖書の中では、ペリシテ人たちや、アレクサンドロス大王の帝国、さらにはローマ共和国/帝国もキティム人です。これらの人々がアッシリア帝国を苦しめた事実はありません。アッシリアは南西の新バビロニア帝国に滅ぼされているからです(前7世紀)。小さく捉えればこの記事は時代錯誤です。しかし、巨視的に見れば、メソポタミア地域の文明とギリシャ・ローマ地中海地域の文明が葛藤したことは事実です。その両文明の軍事衝突の中で「アッシリア」と「エベルは苦しんだ」(24節)のです。エベルは創世記10章21・24節によれば、セムの子孫であり、イスラエルの直接の先祖です。このような広い視点に立つならば、ビルアムの預言は巨大な歴史絵巻です。それは小さなユダヤの民が、歴史の大波に翻弄されながら、救い主を待望する信仰を固く保ち育てていった歴史の背景にあるものです。
25 そしてビルアムは起きた。そして彼は歩んだ。そして彼は彼の場所に立ち帰った。そしてバラクも彼の道に歩んだ。
【平和の道】
ビルアムは「彼の場所に立ち帰った」を方向転換してイスラエルの民に合流したと採ります。バラクも彼が選んだ道を歩みます。ビルアムはアラムの故郷を棄てて、放浪の旅を続けるイスラエルを選びました。ダビデ王国からローマ帝国まで、軍事の天才ダビデから武力による平和「ローマの平和」を打ち立てたローマ皇帝アウグストゥスまで、剣を取る者が剣によって滅んでいく歴史をビルアムは見渡しています。王のいない民イスラエルを選び、軍事指導者王を頂点とする王国を、ビルアムは批判します。モアブ王国・エドム王国・アッシリア帝国・新バビロニア帝国・ペルシャ帝国・アレクサンドロスの帝国・シリア王国・ローマ帝国、ああ、誰が生きるか。来るべき救い主は、雌ロバや子ロバに乗ってくる、武力によらない平和の主です。ビルアムがはっきりと預言できなかったキリストへの期待を、わたしたちは礼拝の中で告白しましょう。ダビデのようでいてダビデのようではないイエスが主です。
【今日の小さな生き方の提案】
今年は敗戦後80年に当たります。「荒野の40年」の二回分の月日が流れました。歴史というものを巨視的に捉える機会であるとも考えられます。わたしたちの日常が苦しいのはなぜなのでしょうか。個人の責任を超えたところがあると思います。心の持ち方や、個人的努力改善だけで人生は豊かになるのでしょうか。この80年、わたしたちは国内の寄留の民に誠実だったでしょうか。国外の大国間の緊張に対して、等距離の平和外交を米ソや米中にできてきたでしょうか。その時々の国策に踊らされていないでしょうか。考えることが大切です。なぜ子どもが少ないのか、コメの値段が高いのか、生きづらいのか。歴史に理由と答えがあります。教会は考える視点を提供します。そして失望を反転させるキリストを信じます。それによって人生は豊かになります。