罪の贖い 民数記25章10-19節 2025年5月18日礼拝説教

【はじめに】
 前回の続き、バアル・ペオル事件と呼ばれる25章は混沌としています。物語に複数の内容が絡まっているからです。モアブの神々を礼拝したという出来事と、ピネハスが一組の夫婦(ミディアン人コズビとジムリ)を殺害したという出来事、そこに祭司は疫病を食い止めるという主題が混ざり込んでいます。
 少し引いた目で落ち着いて見直してみましょう。19節の不思議な終わり方は、この物語が元来は31章につながっていたことを示唆しています。26章以下の人口調査が文脈を寸断しています。31章はミディアン人との戦争記事です。この戦争のきっかけがピネハスの起こした殺人事件だったのでしょう。
同じピネハスが祭司としてアロンに倣って疫病を食い止めたという言い伝えもありました(17章6-15節)。その疫病の原因と考えられていたのが、モアブの神々を礼拝したという出来事です。ピネハスという共通の登場人物によって物語が混線してしまいました。
 ただし、筋立てだけが問題ではありません。個々の内容そのものも釈然としない物語です。今回は特に、ミディアン人コズビとシメオン部族出身のジムリの夫婦、そしてレビ部族出身の大祭司の家系であるピネハスという三人の人物に焦点をあてます。

10 そしてヤハウェはモーセに向かって語った。曰く、 11 その祭司アロンの息子エルアザルの息子ピネハスは、わたしの怒りをイスラエルの息子たちの上から戻した。彼の妬みにおいて、わたしの妬みと共に、彼らの真ん中で。そしてわたしはイスラエルの息子たちをわたしの妬みにおいて終わらせなかった。 12 それだからわたしは言う。見よ、わたしは彼にわたしの契約・平和を与えつつある。 13 そしてそれは彼のために、また彼の後の彼の子孫のために、永遠の祭司の契約になるのだ。彼が彼の神のために妬んだということの代わりに。そして彼はイスラエルの息子たちの上を覆った。 

【ピネハス】
 ピネハスはモーセの兄アロンの孫、レビ部族の人間です。部族の始祖レビ(ヤコブの三男)は過激な人物でした。創世記34章によると、彼はすぐ上の兄シメオンと共に、妹ディナの夫シケムの家族を剣で皆殺しにしています。しかもイスラエルの民となるために割礼の儀式をさせ、その傷が治らないうちに襲うという詐術まで用いての悪事。これがシケムの虐殺事件です。ピネハスの蛮行の原風景に始祖レビの不祥事があります。
 レビ部族は同じ過激さを金の子牛事件でも発揮します(出エジプト記32章25-29節)。剣で三千人の同胞(偶像崇拝者)を斬殺するのです。モーセはその功績によってレビ部族を祭司の家系に任じています。ヤハウェ神が「妬み」の神だからです(同34章14節)。嫉妬と過激さが連関しています。
 ピネハスの父エルアザルは祖父アロンの三男であり、大祭司の家系ではありません。しかし、エルアザルの長兄ナダブと次兄アビフが粛清されたことによって長男の地位に繰り上がったのです(レビ記10章)。祖父アロンは死に、父エルアザルが大祭司となり、長男ピネハスには次の大祭司職が約束されています。彼には妬む相手、出世競争を競う相手がいません。それほどに絶対的な権力を得ていたとも言えます。その結果が夫婦殺害という力の濫用です。

【モーセとヤハウェ】
モーセはミディアン人の妻ツィポラと共に、コズビとジムリの結婚を祝福したと思います。だからピネハスの蛮行を苦々しく見ていたことでしょう。そのモーセに向かって神は語りかけピネハスを褒めます。「ピネハスは神と同じ妬みを持っているので大祭司にふさわしい」と言うのです。確かに妬みは第二戒(偶像崇拝の禁止)に示される神の性質です(出エジプト記20章5節)。しかしこの場面は、バアル崇拝者たちを裁く場面ではありません。
 柔和なモーセは沈黙を強いられ、多弁な神に寄り切られます。金の子牛事件でのレビ部族重用(自分の出身部族)という判断が、シケムの虐殺事件の再来を引き起こしたのです。自らの権力を濫用し、民族主義に基づいて、他民族と結婚をする者を殺害する者が、身内から出るとは。

14 そしてその撃たれているイスラエルの男性の名前は――その彼はそのミディアン人と共に撃たれたのだが――サルの息子ジムリ、シメオン族に属する父の家の長。 15 そしてその撃たれている女性、そのミディアン人の名前は、ツルの娘コズビ。彼はミディアンにおける父の家、民の頭。

【シメオン族ジムリ】
 ジムリは「シメオン族に属する父の家の長」(14節)ということしか知られていません。「男性(イシュ)」(14節)には「夫」という意味もあります。同様に「女性(イシャー)」(15節)には「妻」という意味もあります。ジムリとコズビは夫婦でしょう。つまりモアブ人の神殿聖娼とイスラエル人男性たちとの性交渉と、この二人は関係ありません。
 シメオン部族の始祖シメオンは、先ほどのシケムの虐殺事件にも関わりましたが、ヨセフ物語においてエジプトに一時拘留されるという目にも遭いました(創世記42章24節)。ヤコブの次男でありながら「父の家」において影が薄いのです。ヤコブとレアの間に生まれた長男ルベンは不祥事で、家父長制における長男の地位を失いました。普通ならば次男シメオンが長男の地位に就くところ、次男シメオン・三男レビにもシケム虐殺事件という不祥事があるので、結局長男の地位は四男ユダに与えられます。同じ母親から生まれた兄弟間の競合を反映して、シメオン部族は後にユダ部族に吸収され消滅していきます。
 レビ部族のピネハスはシメオン部族のジムリを、ある程度妬み競いながらも、内心では軽蔑していたと推測します。ある種の軽蔑・侮蔑・差別無しに人は人を殺せません。「撃たれている」(14・15節)は進行形です。槍で突き刺されたままの状態で人々に晒されていたのでしょうか。「ミディアン人と共に撃たれた」ことが重ねて記載されています。非ユダヤ人差別が、ジムリに対するピネハスの殺意を強めます。モーセとツィポラはピネハスを恐れます。

【ミディアン人コズビ】
 コズビは「ツルの娘」です。父親のツル「はミディアンにおける父の家、民の頭」と呼ばれています。ミディアン人の名家・名門の出です。もしかするとコズビとジムリの結婚は政略結婚なのかもしれません。そこにミディアン人ツィポラの家族が貢献していた可能性があります。
 ミディアン人はアブラハムと三人目の妻ケトラの間に生まれた「ミディアン」を始祖としています(創世記25章1-4節)。ヤコブはアブラハムの孫ですから、ミディアン人も親戚民族です。モアブ人はアブラハムの甥ロトの子孫という親戚民族でした。ミディアン人はラクダを駆る遊牧民族で、居住地は不定(創世記37章28節の商人たちもミディアン人)、いくつかの集団に分かれ、ヨルダン川の東側からも「約束の地」に侵入します(士師記6-7章)。ラクダを用いるため軍事的には強い民族です。
 ツィポラは「約束の地」の南側に暮らしていたミディアン人羊飼いでした(出エジプト記3章)。この家族は出エジプトの民と合流しているヤハウェの民です(士師記1章16節・4章11節。ミディアン人≒カイン人/ケニ人)。それに対してコズビは「約束の地」の東に暮らしていた別集団のミディアン人であり、モアブの野もその活動範囲だったのだと思います。モアブの王バラクは、その当時近隣に住んでいたミディアン人の長老たちに相談をしています(22章4節)。この長老の一人がコズビの父親ツルなのでしょう。
 モーセとツィポラはモアブの野の滞在が長くなっていることから、近隣のミディアン人もイスラエル信仰共同体の中に含めようとしたのではないでしょうか。しかしピネハスはその政策に反対でした。公の結婚式が会見の天幕の前で行われたその夜、ピネハスは半ば公然と二人を虐殺します。それは、イスラエルとミディアンとの友好関係(シャローム)を壊す行為でした。この蛮行にツィポラは恐怖します。

16 そしてヤハウェはモーセに向かって語った。曰く、 17 そのミディアン人たちを傷つけること、そして貴男らは彼らを撃つのだ。 18 なぜなら彼らは彼らの諸々の欺きにおいて貴男らを傷つけ続けているからだ。それは、彼らが貴男らをペオルの出来事に関して欺いたということなのだが。またミディアンの長の娘コズビ、ペオルの出来事に関してその疫病の日に撃たれた彼らの姉妹の出来事に関して(欺いたということなのだが)。 19 そしてその疫病の後に以下のことが起こった。〔・・・31章に続くか・・・〕

【再びヤハウェとモーセ】
 ピネハスを偏愛するヤハウェの神、過激な妬みの神は、ミディアン人との戦争をモーセに向かって命じます。またもやヤハウェは柔和なモーセをねじふせようとしています。論旨は混線しています。18節は文法的にも悪文ですが、内容的にも問題です。ミディアン人がイスラエルを欺いたと断じているからです。聖書を丹念に読んでもそのような痕跡はありません。むしろピネハスがコズビを欺いたのです。ペオルの出来事の結果として起こった疫病の日、疫病とは無関係に謀略によって「ミディアン人の長の娘コズビ」、ミディアンの人々の「姉妹」は殺されたのです。戦争を開始したい一部の暴走をモーセは止めることができません。モーセができたささやかな抵抗は、突然の人口調査です(26章)。戦争の開始は31章まで延期されます。

【今日の小さな生き方の提案】
 旧約聖書は未完の書であり、問いを生じさせる正典です。過激な妬みの神(エル・カンナー)の言動を鵜呑みにしない方が平和に生きることができる場合があります。神は反面教師になりうるほどに自由です。その時、登場人物の誰に自分の身を重ねるかが重要です。今日のおすすめは、ピネハスに心を寄せることではありません。むしろコズビやツィポラというミディアン人女性の気持ちや思想を想像していくことです。真に欺かれ傷つけられている人の視点から物事をめくり直すのです。神の名を騙って、あるいは職場/学校/家庭における上下関係を悪用して、無理な要求を押し付ける人がいると思います。真っ向から反対することができないこともあります。モーセのように柔和にしたたかに延期させることもできます。平和の知恵を追い求め祈り願いましょう。