ヨセフの子孫 民数記26章23-37節 2025年6月22日礼拝説教

【はじめに】

前回に引き続く二十歳以上の男性を部族ごとに数える物語です。今回は、イサカル部族、ゼブルン部族、マナセ部族、エフライム部族の四つです。巻末の聖書地図「3 カナンへの定住」を見ると、この四つの部族が北の広大な領地を占めていることが分かります。後の歴史を見渡すと北イスラエル王国の中心地域です。十二部族の物語は、ヨシュア記から列王記に書かれている「カナンの地」に入ってからのイスラエルの物語と重ね合わせると楽しくなります。

以前の歴史を遡ると、部族の始祖イサカルとゼブルンはヤコブの最初の妻レアの五男と六男です。またマナセとエフライムはヤコブの二番目の妻ラケルの長男ヨセフの長男と次男です。レアとラケルは姉妹であり、ヤコブの四人の妻の内「同格の正妻」でした。ヤコブがラケルを偏愛していたことやヨセフ物語の長大さは(創世記37-50章)、マナセとエフライムの領土の広大さと関わりがあります。「ヨセフ部族」は存在せず、ヨセフという名前が暗示している通り(「二度行う」の意)ヨセフの子孫は二倍の土地を得ることとなりました。マナセとエフライムはヤコブの孫でありながら、伯父・叔父たちと同列に扱われたのです。十二部族の物語は、創世記に書かれているヤコブの妻たちと子どもたちの物語と重ね合わせると楽しくなります。

 

23 イサカルの息子たちは彼らの諸氏族に応じて、トラ・そのトラ人の氏族、プワに属するそのプニ人の氏族、 24 ヤシュブに属するそのヤシュブ人の氏族、シムロンに属するそのシムロン人の氏族。 25 これらは、彼らの数えられ続けている者たちに応じたイサカルの諸氏族。六万四千三百。 26 ゼブルンの息子たちは彼らの諸氏族に応じて、セレドに属するそのセレド人の氏族、エロンに属するそのエロン人の氏族、ヤフレエルに属するそのヤフレエル人の氏族。 27 これらは、彼らの数えられ続けている者たちに応じたそのゼブルン人の諸氏族。六万五百。

 

【イサカルとゼブルン】

五男イサカルと六男ゼブルンには共通点があります。先ほど申し上げたレアが共通の始祖であるという点、さらにレアが二人を生んだ時期も近いのです。創世記30章17-21節で、レアはイサカル、ゼブルン、娘ディナを連続して生んでいます。両部族はとても仲が良かったと推測できます。

本日の箇所においても、二部族は仲良くそれぞれが輩出した「士師」を紹介しています。士師とはカナンの地において裁判によって統治するイスラエルの指導者です。イサカル人の「トラ」(23節)は士師記10章1-2節に紹介され、ゼブルン人の「エロン」(26節)は士師記12章11-12節に紹介されています。わたしたちの目から見て「有名・重要ではない」部族であっても名前を挙げること、その人を記念することは重要です。神の目に尊いからです。

もう一つの共通性は人口の増加です。イサカル部族は五万四千四百(1章29節)から、「六万四千三百」(26章25節)に増加しています。ゼブルン部族は五万七千四百(1章31節)から、「六万五百」に増加しています(26章27節)。古代において人口増加は神の祝福と考えられていました。その意味では、二部族は仲良く共に祝されていると言えます。

聖書地図「6 新約時代のパレスチナ」を見ると、イエスの出身地ナザレがイサカルとゼブルンのあたりにあることに気づきます。「ナザレから何の良き者が出ようか」(ヨハネ1章46節)という門地による差別は戒められています。エジプトからナザレに移住した方が全世界の救い主です。

 

28 彼らの諸氏族に応じたヨセフの息子たちは、マナセとエフライム。 29 マナセの息子たちは、マキルに属するそのマキル人の氏族。そしてマキルはギレアドをもうけた。ギレアドに属するそのギレアド人の氏族。 30 これらはギレアドの息子たち。イエゼル・そのイエゼル人の氏族、ヘレクに属するそのヘレク人の氏族、 31 そしてアスリエル・そのアスリエル人の氏族、そしてシケム・そのシケム人の氏族、 32 そしてシェミダ・そのシェミダ人の氏族、そしてヘフェル・そのヘフェル人の氏族。 33 そしてヘフェルの息子ツェロフハド、彼に属する息子たちは生じなかった、娘たち以外には。そしてツェロフハドの娘たちの名前は、マフラとノア、ホグラ、ミルカとティルツァ。 34 これらはマナセの諸氏族。そして彼らの数えられ続けている者たちは、五万二千七百。

 

【ヨセフとアセナトの息子たち】

彼らの諸氏族に応じたヨセフの息子たち」(28・37節)という全く同じ表現が、マナセ部族とエフライム部族の特殊性を表しています。彼らはヤコブの孫でありながら、ヤコブの子どもたちと同様に個別の祝福を得ました(創世記48章20節)。個別の祝福は同時に同一人「ヨセフへの祝福」でもあります(同15節)。わたしたちは本日の箇所においても、一つの同じヨセフの子孫という面と、二つの異なる部族という面を理解しなくてはいけません。さらに言えば、マナセとエフライムの母親がエジプト人女性アセナト(創世記41章50節)であるということも心に留めるべきです。ユダ部族がカナン人女性タマルを始祖に持っていたのと似ています。南王国の中心部族と、北王国の中心部族は、多様な民族的背景をもともと持っているのです。ヤコブがユダとヨセフを特別に手厚く祝福している事実は、多様性が子孫繁栄と関係していることを表しています(創世記49章8-12節、22-26節)。

 

【マナセ】

マナセ部族の半分はヨルダン川東岸に留まりました。ルベン部族・ガド部族と同じです(32章)。言い方を変えれば、マナセ部族だけで二倍の土地を得ているとも言えます。ヨルダン川の東岸にも西岸にも所有地があるのはマナセだけです。21章21-35節の軍事占領と植民定住の中心にいたのはマナセ部族のように読めます(32章33-42節)。ルベンとガドはモーセにヨルダン川東岸定住の申請と交渉をしていますが、マナセは話し合いもせず半分が東岸に定住し続け、半分が西岸に渡ることとしています。わがままです。

マナセ部族の人口は急激に増加しています。三万二千二百(1章35節)から、「五万二千七百」(34節)です。これは侵略によって広い土地を取得したことと、土地の住民を支配し自分たちの中に取り込んだことからくる増加でしょう。戦勝者・力をふるう者たちの繁栄に、現実社会の一面をみます。

その一方でマナセ部族は伝統にとらわれない、思い切ったこともします。詳しくは27章に譲りますが、33節の五人の女性たちの行動はイスラエルの伝統と法律を変えました。「ツェロフハドの娘たちの名前は、マフラとノア、ホグラ、ミルカとティルツァ」。彼女たちには、ひいひいお祖母さんである、エジプトの祭司貴族アセナトの誇りが脈々と受け継がれていたのかもしれません。五人は勇気をもってモーセとエルアザルに「男性だけが相続されるのはおかしい」と訴えたのです。自由な人々は歴史を変える力を持ちます。初代教会のやもめたちと同じです。小さくされた当事者の声が世界を変えるのです。

ティルツァ」という女性の名前は、北王国の初代首都の地名でもあります(王上14章17節、15章33節等)。彼女が得た土地が将来首都となり、彼女の名前が記念され続けたことはマナセ部族の名誉です。

 

35 これらは彼らの諸氏族に応じたエフライムの息子たち。シュテラに属するそのシュテラ人の氏族、ベケルに属するそのベケル人の氏族、タハンに属するそのタハン人の氏族。 36 そしてこれらはシュテラの息子たち。エランに属するそのエラン人の氏族。 37 これらは、彼らの数えられ続けている者たちに応じたエフライムの息子たちの諸氏族。三万二千五百。これらは、彼らの諸氏族に応じたヨセフの息子たち

【エフライム】

さてエフライムの祖父ヤコブは、次男エフライムが長男マナセよりも大きくなると預言し祝福しました。ヤコブが右手と左手とを交差させて長男と次男の地位をひっくり返して祈った故事は有名です(創世記48章17-20節)。本日の箇所でも、マナセ部族にまさるエフライム部族の人口急増があったのでしょうか。四万五百(1章33節)から、「三万二千五百」(26章37節)にエフライム部族の人口は激減しています。シメオン部族の人口減は疫病によるものと推測できます(25章)。エフライム部族の場合は何なのでしょうか。

兵事に徴兵されうる人口の減少の理由について思い当たる出来事は、戦闘に敗れ戦死によって減ったという出来事です。エフライム部族が関与しているかもしれない敗戦記事は、14章39-45節です。エフライム部族出身のヨシュアがカナンの地に偵察に行った後の物語です。その時取り上げたように、ヨシュアは偵察に行く前からすぐにもカナンの地に入るべきという意見を持っていました。彼を指導者に押し立てていたエフライム部族は、ヤハウェの神が下した裁定に反対だったのかもしれません。ヨシュアとカレブ(ユダ部族)以外の当時二十歳以上の者たちは全員荒野で死ぬという裁定は、不公平に見えたのです。エフライム部族の二十歳以上の男性たちは武器を取ってカナンの地に侵入し、逆に剣で殺されます。この敗戦が人口減少の理由と推測します。

聖書の神は小さな者たちを選ぶ大いなる方です。後に最小の部族ベニヤミンから最初の王サウルが立てられたように、最も小さくされた部族が正にそれゆえに大いなる者とされるという逆転がありえます。最後の士師サムエル、北王国の初代王ヤロブアムはエフライム部族出身者です。こうしてヤコブの預言と祝福が実現します。わたしたちは見えないものに目を注ぐべきなのです。

 

【今日の小さな生き方の提案】

イサカル部族・ゼブルン部族・マナセ部族・エフライム部族のことを考えながら、わたしたちはナザレのイエスに思いを馳せたいと願います。マタイ福音書によれば、彼はユダの地ベツレヘムで生まれましたが、エジプトに数年間亡命し、その後ナザレに定住しました。そして中央エルサレムから軽蔑されていたガリラヤ地方で活動し、ガリラヤ人からも軽蔑されていた旧北王国領サマリア地方住民とも交わりました。イエスは国際的背景を持つ「北の人」「周縁の人」です。イエスは、周縁からさらに周縁に、小さい者からさらにより小さい者に、常に低い方へと視点をずらし続け、最終的に十字架の低みで殺されました。その死はわたしたちの罪を暴きます。高み・大きい者を目指す罪です。その死、否、復活の命がわたしたちの罪を贖います。罪あるままにイエスの生を与えられて義とされ、わたしたちも低みを目指すことができます。