赦すとは マタイによる福音書6章12節 2026年2月8日礼拝説教

【はじめに】

主の祈りの「第五祈願」が本日の箇所です。同じ内容がルカによる福音書11章4節にも記載されているので、並べて比較し両者の違いを確認します。そしてわたしたちはマタイによる福音書を少しずつ読み進めているので、マタイ版第五祈願を重視して読み解いて行きたいと思います。文語訳の「われらに罪を犯す者をわれらが赦す如く、われらの罪をも赦し給え」は、マタイ版第五祈願の翻訳です。私訳は新共同訳と同じく原文の語順に倣って、まず神に対する「赦せ」という要請(原文は命令)、その次に自分たちの「赦した」という行為の順番にしています。

 

マタイによる福音書612節 

そしてあなたはわたしたちのためにわたしたちの諸々の債務を免除せよ。同様に、わたしたちもわたしたちの債務者たちのために免除した

 

ルカによる福音書114

そしてあなたはわたしたちのためにわたしたちの諸々のを免除せよ。というのも、わたしたち自身わたしたちに債務を負っている全ての者たちのために免除しているのだから

 

【ルカ版との比較】

マタイ版とルカ版とで異なる部分を下線で示しています。一文目の「債務」(マタイ版)と「」(ルカ版)が異なります。おそらく「債務」がもともとのイエスの言葉です。ルカ福音書はここで言う債務が宗教的な意味であることを分かりやすくするため、「」に改変したと思われます。マタイ版の一文目「債務」と二文目「債務者」は整合しています。神と人間の関係を、イエスは債権者と債務者、貸し手と借り手の関係に譬えています。その譬えに素直な表現は、「債務」の方です。また、ルカ福音書全体の傾向として、「」という単語の使用が多いのです。「罪の悔い改め」という主題を好むからです。この点からも、「債務」が元々のイエスの言葉と推測できます。マタイ版は元来の言葉を保存しています。

ルカ版にだけある「というのも」「自身」も、ルカによる強調のための付け加えでしょう。ルカは、二文目の時制をすべて現在形/現在進行形にし(「債務を負っている」「している」)、信徒の現在の責任を強調しています。「教会全体を挙げて、債務を負い続けている人全員を今免除し続けているのだから、神も教会員の罪を見過ごすべきだ」という主張が、ルカ版から推測できます。一文目の「免除せよ」が一回きりの動作(アオリスト時制)を示しているのにもかかわらず、二文目の「免除している」が現在継続している動作(現在時制)を示していることにも、ルカ版には整合がありません。ルカ教会としては不整合を冒してでも、現在の信徒の生き様が重要であることを伝えたいのでしょう。

それに対してマタイ版は単純素朴に整合しています。一文目の「免除せよ」と二文目の「免除した」は、どちらも一回きりの動作(アオリスト時制)を示しています。正に、信徒たちの一回づつの行動と「同様に」行うことを神に一回づつ要求しているのです。以上の通り、ルカ版とマタイ版を比較すると、マタイ版の言葉使いがイエス本人に遡る元来の第五祈願を反映していると推測できます。

 

【債務を免除する】

債務」はオフェイレーマというギリシャ語の名詞です。新約聖書で2回しか登場しません(他にはローマ4章4節。新共同訳「当然支払われるべきもの」)。誰かに対してしなければならない何らかの義務のことを指す言葉です。債務は債権の反対語です。AさんがBさんに債務を負うということは、BさんがAさんに債権を持っているということと同じです。BさんはAさんに何かをさせることができるのです。債務と債権を「義務と権利」と言い換えても構いません。この意味で「義務を果たさなければ権利を主張できない」という、通俗的な言葉は間違えています。権利というものは、義務を果たさなければ得られないような条件付きのものではなく、無条件に主張できるものです。神は人間に対してどんな行為をも要求する権利を当然に持っています。神が人間を創造したからです。神がわたしたちを所有し支配しているからです。

私訳が「免除する」とし、大方の翻訳が「赦す」とするギリシャ語は、アフィエミという言葉です。原義は「送り出す」ですが、そこから派生して「残す」「放置する」「許す」「免ずる」「捨てる」など広い意味範囲を持った言葉です。目的語が「罪」であれば、「罪を赦す」はしっくり来ます。目的語が「負債」であるので、「負債を免除する」が滑らかです。つまり、「債務を帳消しにする」「借金を棒引きにする」という意味です。

第五祈願は、一文目で神に対して要請します。「あなたはわたしたちに対するすべての債権を放棄し、わたしたちのすべての債務を棒引きにせよ。自由にさせてくれ。放置してくれ。がみがみと借金の取り立てをすることを止めてくれ。」

そして二文目で、「あなたが債権を放棄したのとまったく同じことを、わたしたちは互いにした。互いの債務を帳消しにした。互いを自由にした。互いを放置した。互いに重箱の隅をつつき合うような行為を止めた」と言い切ります。

 

【債務者の譬え話】

聖書の最良の参考書は聖書です。同じマタイ福音書に、もう一度だけ「債務者」という単語が使われています。18章21-35節の「債務者の譬え話」です。18章24節「借金している家来」(新共同訳)が、二文目の「債務者」と同じ単語です。この譬え話には三人の登場人物が居ます。男性王(23節)、王に多額の借金を負う債務者A(24節)、Aに比較的少額の借金を負う債務者Bという三人です。Aは王の債務者であり、Bの債権者でもあります。一方、Bは王との債権債務関係はありません。王⇔A⇔Bという関係です。

王はまったくの憐れみによりAの債務を棒引きにします。多額の借金を帳消しにし、Aに対する債権を王は自発的に放棄したのです。Aは債務者ではなくなりました。自由になった後、自らの債務者であるBに会った債権者Aは、王と同じことをしません。比較的少額の借金を無慈悲に厳しく取り立てて行きます。そして債権を主張し続けBを牢に投げ込むことまでしたというのです。この出来事を聞いた王は、Aを呼びつけて言います。「わたしがあなたを憐れんだように、あなたも自分の仲間を憐れむべきではないのか」

王を神に置き換え、Aを自分自身に置き換え、Bを自分に対して何事か不利益を生じさせた人物に置き換えるようにと、イエスは教えています。そもそもこの譬え話は、弟子の次のような問いに対する答えだからです。「兄弟がわたしに罪を犯したならば何回まで赦すべきか。七回までか。」イエスの答えは「七を七十倍するまで」でした。隣人の過ちについては無限に赦せ、なぜならば神があなたの過ちを気前よく赦したからだ。そして、あなたの神に対する過ちの方が、隣人のあなたに対する過ちよりも、はるかに大きいのだ。だから債権を主張できると思う時であっても、正にそのような時にこそ、債権を気前よく放棄せよ。

王⇔A⇔Bという関係図、すなわち、神⇔自分⇔隣人という関係図が、第五祈願を読み解く鍵です。神は自分自身の利益を計算しません。例えば王はAから厳しく債権を取り立てる中で、Aに対するBの債務を持ち出して、「あなたに対するBの債務をわたしへの返済に充てよ」などと言いません。債権者ならばできることをあえてせず、Aがかわいそうだから債務を帳消しにしたのです。王はBと直接に関係しません。AだけがBと王とにそれぞれ直接の関係を持っています。王は、AがBに何をするのかだけを注目しています。

王⇔A⇔Bの関係図をすべての人が持ち、すべての人が自分自身をAの位置に入れ、神⇔自分⇔隣人という関係図を意識することが、教会という交わりです。王の位置において隣人の全存在を「愛してあげる」必要はありません。またBの位置において、いつも赦されて当たり前と怠慢になることも良くありません。神の寛容さを思い出して、隣人のより小さな落ち度を咎めないということです。このAの位置こそが、健全な精神状態を保つこつです。自分に厳しく他人に優しいからです。そして全ての人がそのような状態になる時に、神を中心にしたシャロームができます。

 

【第五祈願への当てはめ】

第五祈願の一文目は、王とAの関係です。二文目はAとBの関係です。わたしたちは神に向かって多額の借金を免除せよと要求します。神はただ一度、イエス・キリストの十字架・復活によって、わたしの債務を免除し、わたしに対する債権を放棄し、わたしを自由にしました。王⇔A=神⇔自分です。

そのわたしは、常に王=神の寛容を思い起こすべきです。思い起こすことができた時には必ず、隣人の小さな罪/過ちを多めに見ることができるし、隣人の弱さについて支えてあげようという気持ちになるものです。隣人に対して共感しない者を、神は問いただす方だからです。A⇔B=自分⇔隣人です。

マタイ教会の教会員は毎日・毎週「主の祈り」を祈る度に、自分自身をAの位置に置くことを意識しました。

 

【今日の小さな生き方の提案】

赦しの強要は、ハラスメント二次加害の温床です。「Aさんはキリスト者だから、Bさんによる加害を赦さなくてはいけない」などという言葉を、わたしたちは斥けるべきです。これは応用問題に属します。

それよりももっと基礎的課題として、まずわたしたちはキリスト者の交わりの基本を身につける必要があります。神を中心に座り、神を礼拝する礼拝共同体のメンバーひとりひとりは、無条件に赦された者として自己肯定感(安心と自信)を与えられ、常に罪意識(謙虚な心)を持ち、隣人には大らかな姿勢(寛容さ)を保つことが求められています。これが基本です。赦されたから赦すのです。キリストによって安心と安全をいただいたから、隣人に安心と安全を保障するのです。共にキリストの教会を形作りましょう。