今日は「棕櫚の主日Palm Sunday」の語源となった物語です。受難節の最後の週、イースター直前週の日曜日を、そのように呼びならわします。ヨハネ福音書が「なつめやしの枝(文語訳は「棕梠の枝」)」(13節)を人々が持っていたと報じているからです。他の福音書は道端の枝葉を敷き詰めたとしか報じていません。全般にヨハネは、この類の枝葉末節に詳しい福音書です。椰子の葉を振って歓迎するという風習は当時、仮庵祭の際に行われていたようです。「エルサレム入城」などとも呼ばれる、この場面は過越祭の季節ではありますが(1節、12節)、同じ風習が準用されたのでしょう。ちなみにわたしの娘の誕生日は、その年の棕櫚の主日でした。
先週と同じく、マルコ福音書との比較を通じてヨハネ福音書の強調点をあぶり出し、その上で現代のわたしたちにとっての意味を考えていきたいと思います。
一つは群衆の無理解です。マルコでは群衆は全般に好意的に描かれています。たとえば、韓国では「民衆の神学」というものが1980年代民主化闘争を背景に生まれました。日本でも翻訳紹介され、わたしたちが神学生の頃は一所懸命学んだものです。民衆の神学者はもっぱらマルコの姿勢に立ち、イエスと共に生きたガリラヤ民衆と、扇動されイエスを殺したエルサレムの群衆を区別します。たとえばこの場面も、イエスを歓迎する人々をガリラヤから共に来た民衆であると考えるわけです。
ヨハネは独特の仕方で群衆を批判します。それは、イエスの奇跡(しるし)を見て信じる類の人々は信用できないという仕方です(2:23-24)。17-18節は、そのような視点で読むべきです。ラザロをよみがえらせたという奇跡を証言する群衆、このようなしるしをイエスがしたので出迎えようと考えた群衆は、信用できない人々なのです。ガリラヤであれエルサレムであれ、しるしを見て信じるたぐいの人々は無理解な者たちとして批判されます。
たとえば、「イスラエルの王」(13節)という単語はヨハネだけが付け加えています。この二つの単語「イスラエル」と「王」は、常にヨハネ福音書では批判的に用いられています。ガリラヤのカナ出身のナタナエルという弟子は、民族主義者として批判され、その文脈で「真のイスラエル人」とイエスに揶揄されます(1:47)。そして彼が精一杯の信仰告白である「あなたは神の子、イスラエルの王」(1:49)をしても、イエスに一顧だにされません。またニコデモという弟子は「イスラエルの教師のくせにこんなことも分からないのか」という言い方でイエスに批判されます(3:10)。ここでもイスラエルという単語は皮肉の対象です。さらに、イエスは、人々が彼を王にするために連れて行こうとした時に、逃げます(6:15)。またピラトの前での裁判でも、イエスは自分から「王である」と言おうとしません(18:37)。王という言葉も、イエスから拒否されています。
ヨハネ福音書は民族主義を批判し、サマリア人との交わりを積極的に描きます。また、軍事的政治的指導者としてイエスを描くことを拒否します。この点で、「ホサナ(この時代には「万歳」の意)、イスラエルの王に」と叫ぶ群衆は、民族主義者たちであり、軍事的政治的メシアを望んでいた人々でもあるので、無理解な群衆として批判されていると考えるべきです。ここから読み取るべき教訓は、そのような人にならないようにということです。
19節でファリサイ派の権力者たちは嘆いています。「世をあげて」は訳しすぎで、直訳は「世間はあの男に従っている」ぐらいの表現です(NASB、田川訳)。しかしまさに世間なるものは扇動されやすいものです。このファリサイ派の人々が、今度は世間を味方につけてイエスを殺すからです。世間になってはいけないという教訓が読み取れます。ある日突然に局面を打開するマッチョな英雄を待望したり、外国人を貶めることで自らの優越感を満足させる民族主義に流されたりする、匿名の人々になってはいけません。無責任だからです。むしろ名前を持つ一人の人として、自分の意見をもって世間を扇動する権力を見張っていく人になっていくべきでしょう。それが立憲主義です。
二つ目にヨハネ福音書は信仰とは振り返ってわかるものということを強調しています。16節は極めて正直な言い方です。弟子たちは後で聖句を思い出したというのです。イエスの弟子たちの身に実際に起こったことなのでしょうし、またそれだからこそわたしたちにも当てはまる信仰の真理です。
メシアがろばの子に乗るということは旧約聖書のゼカリヤ書に書かれてありました。16節によれば、弟子たちはエルサレム入城の際には、そのことを思い出しもしなかったというのです。イエスが十字架で殺された時から、さらにはよみがえらされたイエスが現れた時から、必死になって聖書を開いて、この出来事はこの聖書の箇所のことかと一々あてはめていったというのです。これはキリスト教信仰がどのようにして成り立ったのかを記す貴重な証言です。イザヤ書53章の「苦難の僕」なども、そのような仕方で再発見され再解釈され、イエスの十字架の意味が確定されていったのでしょう。信仰というものは、出来事の終わった後で振り返って確認することであり、それで足りるということです。聖書の読み方というのは、「自分の身に起こった出来事が実はここに書いてあることがらと似ている」と確認することであり、それで足りるのです。なぜなら、最初からイエスの弟子たちはそのようにしてイエスをキリストと信じたからであるし、そのようなかたちで聖書を読んでいたからです。
神に最善を祈り将来に希望を持つことは良いことです。しかしそれが行き過ぎると、わたしたちは神を支配しようとするでしょう。自分の願いのままに神を動かそうとするとき、神は自動販売機に成り下がってしまいます。ここに謙虚さが必要です。振り返ってみると、あの時あの人に出会い、あの時教会に立ち寄ったことは、神の導きだったと後で言うだけで良いのです。また、聖書をオカルトの予言書のように用いる必要もありません。任意に開いて託宣を得るというように聖書を使うのではなく、この出来事はこの物語に似ていると後で気づくだけで良いのです。こうして謙虚で落ち着いた信仰が身に付きます。
三つ目にヨハネ福音書はろばの子を強調しています。14節にあるように、イエス自らがろばの子を見つけて用います。マルコによれば、イエスが弟子たちを遣わしてろばの子を探させます。また、ヨハネは「ろばの子」という単語を変えます。マルコおよび15節のゼカリヤ書の引用文では、「ろばの子」とも「馬の子」とも訳しうるギリシャ語単語ポロスを使っていますが、ヨハネは「ろばの子」としか訳し得ない単語オナリオンにあえて改変しています。そしてこの単語は新約聖書中ここにしか用いられません。特別に強調された言葉と言えるでしょう。
ここから読み取れることは、平和の強調です。特にこどもたちと一緒につくりだす平和の強調です。馬は軍事や軍備の象徴でした(ゼカリヤ9:10参照)。馬とも訳し得るという言葉をヨハネは棄てました。「どうしてもろばでなくてはならない」という主張が垣間見えます。なぜならイエスは平和の主だからです。軍事的政治的メシアではないからです。
さらに、こどもであるろばをイエスが直接見出して、ろばの子に乗るということも、平和ということに関連して重要です。ヨハネ福音書は「5千人の給食物語」で、5つのパンと2匹の魚を持っていたのはこどもだったということを唯一報告している福音書です(6:9)。こどもが直接的・積極的に用いられ活躍しています。それが平和というものです。こどもは将来のための「人材」なのでしょうか。教育の対象、しつけの対象、親の願望の投影なのでしょうか。そうではないと聖書は語ります。こどもはこどものままで一人前の個人であり、平和の担い手・平和づくりの主体です。こどもであるということで、平和をつくり出しています。こどもが居るだけで集団が明るくなるではないですか。イエスは、こどもを用いて大勢の人々の貧困と飢餓を解決しました(6章)。平和の主イエスはろばの子をあえて用いる方です。または、こどもが笑って過ごせている社会こそ平和な社会であるとも言えるでしょう。こどもは平和の試金石でもあります。現在の日本が本当に平和なのかはこどもの表情で判断されます。
『こどもさんびか』48番=『改訂こどもさんびか』5番の「こどもをまねく」という讃美歌の歌詞はすばらしいものです。「こどもをまねく友/王/神」として、「こどものすきな/こどもをまもる/こどもをすくうイエス」を描き、「ホサナと歌え」と繰り返すからです。エルサレム入城の意味をわかりやすく鋭く伝える歌詞です。「ろばの子」という単語こそ出てきませんが、その意義について深くおさえられた歌です。こどもこそ真っ先に神の国に入るのであるし、こどもからわたしたち大人は多くのことを学ぶものです。
今日の小さな生き方の提案は、こどもに倣って平和をつくり出すということです。すでにわたしたちは赤ちゃんから年長者まで一つの礼拝を行っていますが、このことをさらに発展させようとしています。月に一度の「親子礼拝」ではなく、毎週の全年齢層による一つの礼拝を持ちます。その眼目は、こどもが個人として尊重されるということです。
わたしたちはこの半年、礼拝の中でこどもたちから多くの恵みをいただいてきました。こどもは立派な会衆の一員、みごとな礼拝者です。こどもと一緒に礼拝すると笑いと喜びと力をいただくことができます。こどもは礼拝の中の奉仕を担うことができます。こどもはわたしたち大人よりも敬虔でありまっすぐにイエスさまを信頼しています。教会のこどもはわたしたちみんなへの授かり物です。だからどうにかして一緒に「より有意義な礼拝」をかたちづくりたいと願います。
「親子礼拝」という言葉には、不徹底さが残ります。こどもが親への伝道の道具に格下げされていないでしょうか。親子以外のこどもが来ても良いはずです。幼稚園卒業後にいつでも一人で来ても良いのです。その中でこどもが理解でき楽しめる要素も必要です。こどもさんびかやこども説教は必要でしょう。そしてこどもが担える奉仕も必要です。実のところ説教まで含めてこどもが担えない奉仕というものはないはずです。食べる人にも、給食役の人にもなれるはずです。イエスはろばの子にあえて乗られる方だからです。
さらに、こどもと一緒の礼拝を考えることは、当然にしょうがいを持つ人・日本語が第一言語ではない人との礼拝、つまりはすべての人と共に行う礼拝を視野に入れることです。先行してすでに犬が共に居ますが、順序としてはすべての人と共にできる礼拝が目指されるべきでしょう。
礼拝でこどもたちが(おふざけではなく)心底から楽しんで笑うならば、平和はわたしたちの間に実現しています。礼拝でこどもたちが歓迎されているならば、神の国はわたしたちの只中にあります。今わたしたちはかなり良い線をいっています。これからもこどもに倣って楽しく共に意味のある礼拝をささげていきましょう。