アモスの召命 アモス書7章10-17節 2022年9月11日礼拝説教

10 そしてベテル〔神の家〕の祭司アマツヤはイスラエルの王ヤロブアムに向けて遣わした。曰く、「あなたについてアモスはイスラエルの家の真ん中で謀った。その地は彼の言葉の全てを維持することができない。 11 というのもアモスがこのように言ったからだ。『剣でヤロブアムは死ぬ。そしてイスラエルは彼の土地の上から必ず離れる』」。 

 前750年ごろヤロブアム二世の統治する北イスラエル王国の町ベテルの祭司アマツヤは困っていました。南ユダ王国から来た「外国人」の預言者アモスという人物が、「うまく回っている現実」を批判するからです。北王国は当時繁栄していました。軍事的にはアラム王国の領土を占領し、経済的にも豊かになります。しかしその富の分配においては不正がまかり通っていました。貴族はさらに肥え太り、貧者は赤貧に貶められ飢え渇き、正義を求めて裁判をしても賄賂によって貧しい人に不利な判決ばかりがくだります。富める者の側に神殿の祭司は属します。戦勝祝いとして丸々と太った牛がベテルとダンの神殿に奉納され国家を挙げて祝われます。国軍・最高裁・国家宗教、この三角形の中に入っている富者にとってはうまい仕組みです。

 アモスはこの仕組みを批判します。彼は軍隊を批判し(2章14-16節)、裁判のあり方を批判し(2章6-7節、5章10-15節)、盛大な国家祭儀を批判します(5章21-23節)。特に首都サマリアと南端の中心都市ベテルを名指しで批判します(3章9節、4章1節等。3章14節、4章4節、5章5-6節等)。正義と公正がないゆえに、この国は滅ぶというのです(6章8節)。ヤハウェ神は国家に利用される「民族の神」ではなく、自分の民イスラエルを選んだゆえに罰することもできる、自由な超越神です(3章1-2節)。

 国とずぶずぶの関係である祭司アマツヤは国王ヤロブアムにアモスを処分するように使者を遣わします。「優れた軍人であるヤロブアム王の戦死を予告し、国家転覆を図り、国家を外国に売り渡そうという陰謀を企むアモスという外国人を追放すべき」という内容を進言します。「こともあろうに国家の中心で(「イスラエルの家の真ん中で」)、つまり国家宗教の中心地ベテル(「神の家」の意)で、有難い金の子牛が設置され国王が毎年八月十五日に参拝する神殿をもつベテルで(王上12章28-33節)、この陰謀が今も進んでいる」というアマツヤの発言の中に、政教一致した軍事国家の姿が現れています。国王の家(国家)と、神の家(ベテル)・主の家(神殿)の癒着が問題です。

12 そしてアマツヤはアモスに向かって言った。「先見者よ、あなたは行け。あなたはあなたのためにユダの地に向かって逃げよ。そしてあなたはそこでパンを食べよ。そしてそこであなたは預言できるだろう。 13 そしてベテル〔神の家〕(で)あなたはもはや重ねて預言すべきではない。なぜならそれは王の聖所だから。そしてそれは王国の家(だから)」。 

 ヤロブアム王へ進言した後に、王の後ろ盾を得て、祭司アマツヤは預言者アモスに対面して直接国外追放の処分を言い渡します。その理由は現代の外国人参政権の課題に似ています。つまり「あなたは南王国の人だから、北王国の政治に参与する権利はありません」というものです。祭司アマツヤはベテルの町の門のあたりで演説をしているアモスを神殿の中の事務所に連行します。町の門でアモスを頼りにして富者を提訴している貧者は不安に思います。祭司たちの圧力で、今までも裁判が捻じ曲げられてきたからです。

 「先見者よ」(12節)とアマツヤはアモスに対して皮肉たっぷりに呼びかけます。「先見者」と「預言者」はほぼ同義語です。しかし南王国においては、倫理的な教えを語る者という意味もあったと言われます。アマツヤは南王国の言葉づかいを知りながら、「高い倫理を教えたいならば南王国でなされば良い、北王国ではなさるな」と皮肉を言っているのでしょう。

皮肉は脅迫と結びついています。「あなたのためにユダの地に向かって逃げよ」という言葉(12節)。アマツヤはアモスに向かって単に「帰国せよ」と言っていません。あなたの生命のために逃げなさいということは、留まれば殺されるという含みです。「自分の国ならば預言をしながら食い扶持を得て生計を立てる(パンを食べる)こともできるが、北王国で預言をしても報酬は何もない。御用学者になるのならばそれなりの報酬を約束しても良いが、君の預言内容ではこのベテルで誰も君を雇わせない。なぜ外国の貧しい者と共に飢え死にする道を選ぶのか。賢い選択をせよ。」アマツヤは硬軟織り交ぜてアモスを脅し上げていきます。

 13節の言い渡しに、アマツヤが守りたい国家体制(国体)が現れています。ベテル(神の家)にあるヤハウェの家(神殿)は、「国王の聖所」(王家の宗教施設)であり、「王国の家」、すなわち国家そのものなのです。「神聖なものを冒涜する発言を聖地で二度と行うな、不逞な外国人よ。わたしは正義や公正などを実施して、わたしの権益を減じさせることは決してしない。国益こそ、わが私益なのだから。これからも富国強兵策のために祈り、国のために死ぬ者たちのために国葬を催し、国の庇護によって神殿を経営する。」。

14 そしてアモスは答えた。そして彼はアマツヤに向かって言った。「わたしは預言者ではない。そしてわたしは預言者の息子ではない。なぜならわたしは家畜を扱う者またいちじく桑を収穫する者だからだ。 15 そしてヤハウェはわたしを取った、その羊の後ろから。そしてヤハウェはわたしに向かって言った。『あなたは行け。あなたはわたしの民イスラエルに向かって預言せよ。』 

 権力と権威をかさに脅迫する祭司アマツヤに対してアモスは答えます。「祭司よ、まずあなたの誤解を解くことから始めよう。わたしは預言を職業としていない。だから南でも北でも報酬をもらわない。わたしには別の職業が二つあるのだから。大小さまざまな家畜を養い精肉・酪農・皮革・羊毛など全般を扱う仕事と、いちじく桑の栽培と収穫の商売だ」(14節)。

 アモスはテコアという町の出身者です(1章1節)。テコアはベツレヘムの数km南にあり、ベテルから見れば30kmほど南の町です。アモスは農業と商業も手広く行う知識人・豪商です。古代世界で文字を書ける人は限られています。アモスは商用にフェニキア文字(前10世紀発明)を駆使して南王国から北王国もまたにかけて仕事をしていた事業主です。彼はエルサレムを通過してベテルまで、あるいはさらに北のサマリアまでも自社製品・農産物を運んだことがあったかもしれません。

 「祭司よ、そのような忙しい日常の最中、ヤハウェが語りかけ、わたしを召しだしたのだ。まったくの無償の奉仕として、ベテルに行って北王国のためにヤハウェの言葉を伝言せよと、神に命じられたのでわたしはベテルで預言をしている。自分の財産を用いて外国に滞在し、誰からも雇われていないので、自由にヤハウェの意思をあなたたちに伝言している。任意に町の門で裁判に関わっている。テコアの事業主の視点から見て、ベテルの農民たち、羊飼いたちは不当に搾取されている。祭司よ、国家からの神殿への寄付や大型家畜の奉納は神殿貴族だけがせしめるのではなく、貧しい人に配るべきだ。」

16 そして今あなたはヤハウェの言葉を聞け。あなたは言い続けている。『あなたはイスラエルについて預言してはならない。そしてイサクの家について涎を垂らしてはならない』と。 17 それだからヤハウェは言った。『あなたの妻はその町で娼婦となる。そしてあなたの息子たちとあなたの娘たちは剣で倒れる。そしてあなたの土地は測り縄で区切られる。そしてあなた自身は汚れた土地の上で死ぬ。そしてイスラエルは彼の土地の上から必ず離れる』」。

 アモスは反論を続けます。「祭司よ、あなたはわたしに預言するな、人々に向かって恍惚の中涎を垂らして語るなと言っている。南の者は北に関与するなと、エフライム部族の王朝・ヨセフの家のことは構わないでくれと言っている。元々は、南の二部族も北の十部族も同じ先祖ヤコブ(イスラエル)の父イサクの家ではないのか。なぜ分断を前提にするのか。なぜ二つの国家を前提にするのか。測り縄で国境なるものを区切ろうとするのか。それだから、神の言葉を今あなたに伝言しよう。剣を取るこの国家は剣によって滅ぼされる。王家をはじめとする貴族・祭司たちは捕囚とされる。そこであなたは死ぬ。あなたの妻はそこで生きるために何でもしなくてはならなくなる(当時女性たちに職業をもつ自由はありません)。あなたの息子と娘は戦争により殺される。あなたの所有する広大な土地は戦勝国によって勝手に切り売りされる」。

 このような強烈な批判を権力者である祭司アマツヤに投げつけたアモスは、どうなったのでしょうか。アマツヤによって何らかの拷問を受けてベテルから追い出され、北王国への入国禁止処分を受けたと推測することが自然でしょう。アモスは北王国の街頭で涎を垂らしながら神託を告げるという、従来の預言ができなくなります(サムエル記上10章)。この危機が新しい歴史を切り開きます。文書活動です。預言書という詩集を市井の民が創るのです。最古の預言書であるアモス書が生まれた原因は、口頭での預言の禁止、言論弾圧だったと考えます。黙らされたアモスは帰国支度をしながら、今まで語ってきた内容に即した詩を書きます。職業的な預言者ではないアモスの素人性という弱みは、新しい扉を開く独創性という強みとなります。

 テコアに帰ったアモスは仕事の合間に預言書の完成に取り組みます。神の前に沈思黙考し、世界についての鋭い洞察や批判を、韻律等の技巧を凝らした詩にまとめます。そして彼の仕事仲間たち(「牧者(豪商)」1章1節)は「アモス書」という詩集を保存し加筆し写しを作ります。ちなみに本日の箇所は、詩ではなく物語形式なので後代の加筆です。彼らは仕事で行く場所に、そこが南王国内であれ北王国であれ、アモス書を配ります。ホセアはアモス書のサマリアの読者、イザヤはエルサレムの読者、ミカはモレシェトの読者でしょう。

 前722年北イスラエル王国は滅ぼされ王族・貴族・祭司たちはアッシリアに囚われます。およそ三十年後にアモスの預言は的中したのです(ヤロブアムの戦死預言は外れました)。預言者アモスの名誉は回復され、アモス書の写しは増え、さらに多くの人に読まれるものとなりました。

 今日の小さな生き方の提案は、良い意味の「素人」であり続けることです。アモスの召命はバプテスト教会の基本を示しています。神は日常業務の最中に「あなたにしてもらいたいことがある」と働きかけます。それは日常業務の隙間にできる奉仕であり、すべき務めです。「いつも出張仕事で行っているベテルで伝言するだけなら楽かな」とアモスも軽く引き受けたのでしょう。そこで成り行きにより自分の詩作の才能について気づくことになります。偶発的です。また預言書を書くこともアモスは本業の傍らでしています。だから長期間詩を書きません。無償の奉仕だからです。教会の奉仕は無報酬だから尊いし、生業の片手間でできる範囲が良いです。そして無理のない範囲で楽しく打ち込めて、長期間頑張らなくて構いません。道が閉ざされれば軽やかに翻り、新しい扉を開いていくことです。アモスは北王国と心中しないし北王国民を恨みもしません。三十年後に微笑んで移民を受け入れるだけです。