イエスの埋葬 ルカによる福音書23章50-56節 2018年12月16日 待降節第3週 礼拝説教

イエスの埋葬 ルカによる福音書23章50-56節 2018年12月16日 待降節第3週  アドベントの第3週です。今回も十字架の出来事を、クリスマスとの関連を考えながら読み解いていきます。イエスの埋葬に立ち会った人たちと、イエスの誕生に立ち会った人たちとを重ね合わせて考えてみましょう。 死刑囚イエスのために墓を提供し、イエスを埋葬したのはヨセフという人物です。彼はユダヤ人の政府である最高法院の議員でした(50節)。最高法院は、国会と内閣と最高裁判所を合わせたような存在です。イエスの死刑判決も実質的には最高法院が下したものでした。ローマ総督ピラトは、最高法院の意思を尊重して、形式的に死刑判決を追認したのでした(25節)。 最高法院の議員は合計71名。そのうち議長役が1名(サドカイ派の大祭司)、その他のサドカイ派の祭司長たちが8-10名、残りの60名ほどが地域代表である「長老たち」と「律法学者たち」に分配されていました(22章66節)。長老たちの中にはサドカイ派・ファリサイ派が混ざっています。律法学者たちは全員ファリサイ派でしょう。 ヨセフは、「ユダヤ人の町アリマタヤの出身」(51節)と呼ばれているので、地域代表・アリマタヤ選出の長老として最高法院の議席を得ていた議員です。もしかすると裕福な不在地主で、地元アリマタヤだけではなく、首都エルサレムにも住居を持っているサドカイ派だったかもしれません。もしもそうであれば、イエスの弟子は、サドカイ派・ファリサイ派・ゼロタイ派(熱心党のシモン)・エッセネ派(バプテスマのヨハネの弟子だった者たち)・ヘロデ党(領主ヘロデの家令クザの妻ヨハナ)など、当時のユダヤ社会のグループすべてに渡って分布していることになります。さまざまな立場の人、社会階層の人が、イエスの始めた「神の国運動」に期待し参与していたことがうかがい知れます。 アリマタヤ(アリマタイア)という町は旧約聖書の「ラマタイム」という町と同じ町であるということが、ほぼ決定的です。ラマタイムをギリシャ語で「ハルマタイム」と綴る場合もあるからです。これはヘブライ語の冠詞「ハ」を付けた「ハ・ラマタイム」の音写です(サムエル記上1章1節)。 ハ・ラマタイムは預言者サムエルの生まれ故郷です(サムエル記上1章1節)。サムエルの母親ハンナの歌・「ハンナの祈り」(同2章1-10節)と、マリア/エリサベトの歌・「マリアの讃歌(マグニフィカート)」(ルカ福音書1章46-55節)の類似については、昔から指摘されているところです。ここでも福音書記者は、アリマタヤという地名を用いて、十字架の出来事をクリスマスとの関連で読み直すように促しています。アリマタヤが、ハ・ラマタイムのハンナを経由して、マリアとエリサベトを思い出させます。 そして、イエスの母マリアは、「ガリラヤから従った弟子たち」の一人として十字架を見届けています(49節、55節、24章10節)。マリアはあの歌を歌い続けていたのではないでしょうか。大きな悲しみを抱えながらも、マグニフィカートを繰り返し歌い続けていたように思えます。百人隊長にできたことがなぜマリアにできないのでしょうか。エリサベトとマリアがマグニフィカートを共に歌った時、マリアは突然の妊娠という困難にぶつかって人生に葛藤していました。マグニフィカートはどん底で起こる逆転を希望する歌です。冤罪による我が子の処刑を目の前にして、マリアが歌うべき歌です。 飼い葉桶と十字架はどちらも逆転の出来事として共通しています。見た目には大いなる方が小さくされ、力ある方が無力にも屈従させられています。しかし、神には密かな計画があります。実は、主はみ腕をもって力をふるい、思い上がる者を追い散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を何も持たせずに追い払ったのです。ここにはシーソーの関係があります。イエスという高き方が低いところに降りたことによって、わたしたち低くされた人々が高められます。信じる者にとって十字架は、逆転のシーソーです。 母ハンナと息子サムエル、母マリアと息子イエスという類似だけではありません。さらにヨセフという人名もクリスマスでお馴染みです。当時はありふれた名前ですが、イエスの父親もヨセフという名前でした(1章27節)。ヨセフというヘブライ語は「二度行う」という意味の動詞から派生した単語です。クリスマスに登場したヨセフが、十字架にもう一度登場することに文学的な仕掛けがあります。ヨセフはイエスが生まれた時に世話をし、イエスが死んだ時にも世話をします。マリアだけではなく、イエスの生涯はヨセフにも囲まれています。イエスの命は一度では終わりません。二度行われる。すなわち、殺された三日目によみがえらされ、永遠の命を生きるのです。 アリマタヤのヨセフはイエスの弟子だったようです。十字架の場面の細かい事情に詳しいヨハネ福音書が、ヨセフは弟子でありながらそのことを隠していたと明記しています(ヨハネ福音書19章38節)。一体どこで弟子となっていたのでしょうか。エルサレム滞在の一週間では短すぎます。イエスはエルサレムに向かう長大な旅行の際に、サマリア地方に隣接するアリマタヤの町をも訪れていたのかもしれません。そこに地元帰りの国会議員ヨセフがたまたま居合わせて、一緒にご飯を食べ、弟子となったという経緯ではないでしょうか。そして彼の自宅が、イエス一行にとってアリマタヤの町の定宿となり、ヨセフは家を挙げて「神の国運動」を支援する。彼もエリコのザアカイのような定住の支援者です。イエスの例え話には時折「不在地主」(農園主)が登場します。そのモデルは、アリマタヤのヨセフかもしれません(13章6-9節等)。 詳細は不明ですが、ヨセフは隠れた弟子でした。だから、51節の「同僚の決議や行動には同意しなかった」という事態は、おそらく大声では反対できずに不承不承流れに従ったということを指しているのでしょう。22章66節から23章5節の議員たちによるイエス処刑の動きの中で、長老の一人であるヨセフは確実にそこに居たのですが、完全に隠れています。少数意見を言うことが怖かったからです。同じサドカイ派議員たちからの報復を恐れたのです。 しかし十字架の処刑死を見届けたこの時、ヨセフは勇気を振り絞ります。ローマ総督ピラトのもとに直接一人で行って、死刑囚イエスの遺体の引き取りを願ったのです(52節)。どの人間社会においても共通する倫理ですが、遺体というものは丁重に扱われるべきです。遺体を軽んずることは、生前のその人物に対するひどい侮辱を意味します。だから旧約聖書の律法にも次のような規定があります。「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない」(申命記21章23節)。 左右の死刑囚がいつ死んだのかは不明ですが、イエスは少なくとも安息日の始まる前(日没前)に死にました。三時頃と言われます(44節)。十字架刑の始まりの時刻には議論がありますが、終わりの時刻はほぼ確実です。安息日に入ると全ての労働が禁じられるので埋葬ができなくなります。そうなると少なくとも土曜日の日没まで野ざらしになります。もちろん日没後の夜中の作業も不可能ですから、結局日曜日の朝まで野ざらしということになりましょう。傷だらけ血だらけの、すでに傷んでいる遺体です。野生動物たちによる、さらなる遺体の損傷、自然腐敗がありえます。ヨセフは、生前のイエスの生き様までも貶められることをおそれます。 誰もイエスの身元引受人になろうとしない状況がありました。その時間はヨセフにとって決断が迫られる時間でした。人生にはそのような踏ん張りどころがあります。自分自身で身の処し方を決めないといけない、腹をくくる時です。ヨセフは十字架を見上げて腹をくくったのです。 議員であり金持ちだったヨセフは、自分の持っていた黄金を用います。ゴルゴタの丘の近くに誰も所有していない墓があったことを思い出します。彼はそれを即金で購入します。そしてイエスの遺体を降ろして、傷には油を塗り、流された血をきれいに拭きます。そしてこれまた即金で買った「上等の布」で、身ぐるみ剥がれたイエスの身体を包みます。大変な重労働です。ゴルゴタの丘からの下り道イエスの遺体をヨセフは墓場まで運びます。背負ったのかもしれません。赤ん坊のイエスを馬小屋で抱き上げたヨセフと重なります。 さらに、ルカ福音書の読者は、アリマタヤのヨセフの姿に「善良で正しいサマリア人の譬え話」を思い起こします。エルサレムからエリコに向かう下り道で強盗に遭い、服を剥ぎ取られ殴られ半殺しにされたユダヤ人男性を、ただ一人介抱したサマリア人男性の譬え話です(10章30-35節)。サマリア人は、倒れているユダヤ人に共感し、駆け寄って、傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱したのでした(同34節)。もしかするとヨセフは自分のろばにイエスの遺体を乗せて運んだかもしれません。いずれにせよ、一週間中エルサレム神殿で目立っていた十二弟子はこの時群衆に紛れて隠れ、逆に、それまで誰にも言えずに隠れていた弟子・ヨセフこそが表舞台に登場して、亡くなったイエスの隣人となったのでした。 おそらくこの直後に、ヨセフは最高法院議員の地位を失ったと思います。特にイエスの遺体が失くなるという事件が埋葬の三日目に起こりますから、その管理監督責任も合わせてヨセフは議員を辞めさせられたことでしょう。使徒言行録には最高法院が何回も登場しますが、その中に議員ヨセフは姿を見せません(使徒言行録4章、7章)。もちろん故郷アリマタヤで、十分に生計を営むことができたでしょうから、そんなに大きな不利益を被ってはいないでしょう。しかし、彼はイエスの埋葬を行ったことによって、ユダヤ社会における名誉を失いました。それでも構わないという覚悟で埋葬をしたのです。その後ヨセフは故郷で教会を自宅に設立したのだと推測します。 イエスの母マリアも、他の女性たちと一緒になってヨセフの後について行き、墓の場所を知ります。彼女たちは馬小屋を探し当てた羊飼いのようです。そして、埋葬に足りないものを確認します。それは「香料と香油」(56節)、言い換えれば「乳香と没薬」(マタイ福音書2章11節)です。ここにおいても、クリスマスと十字架は響き合い、お互いに対応しています。博士たちは黄金・乳香・没薬をマリア・ヨセフ・イエスに捧げたのでした。彼女たちは日没前に香料と香油(乳香と没薬)の買い物を済ませます。日曜日の早朝に墓参りをして、遺体の世話をするためです。これも非常に勇気を要する行動でした。 今日の小さな生き方の提案は、人生の踏ん張りどころ・決断の時を見極めるということです。実は毎日は小さな決断の積み重ねです。それらも重要です。なぜなら、大きな決断をしなくてはいけない場合も、それらの延長として起こるからです。そこで腹をくくることです。これを決断し実行したら今までの状態に確実に変化が起こると知りながらも、せずにおられない行為が人生にはあります。ヨセフは議員辞職を後悔しなかったと思います。もし埋葬をせずに在任したら後悔が残ったでしょう。腹をくくることが十字架の主に従うということです。イエスもゲツセマネで腹をくくって決断をしています。逆転を信じて、何事か新しい道へと踏み出していきましょう。