エルサレム会議 使徒言行録15章1-5節 2022年5月15日  礼拝説教

 紀元後48年、初代教会史上画期的な会議が行われました。エルサレム会議または使徒会議と呼ばれます。割礼という儀式(生後八日目の男児の包皮を切る)は、ナザレ派においても救いの条件・救われたことの印となるのかということが論点です。聖書を字義通りに守る義務があるのかどうかも関わります。またユダヤ人は他の人々よりも優越しているのかということも論点です。バプテスト教会の観点から言えば、教会間の平等、各個教会の自治も論点となります。この会議は、「周縁」であるアンティオキア教会が、「中央」であるエルサレム教会に「ナザレ派連盟臨時総会」の開催を要求したようなものです。あるいは、地方連合を形成している加盟教会の二者間で、共に協議すべき緊急事項を話し合う会合にも似ています。ガラテヤの信徒への手紙2章1-10節の証言も助けにしながら本日の箇所を読み解いていきたいと思います。

1 そしてユダヤからとある者たちが下って、彼らは兄弟たちに次のように教え続けた「もしもあなたたちがモーセの習慣によって割礼されないならば、あなたたちは救われえない」。 

 「ユダヤ」はエルサレムを中心とした地域名です。「とある者たち」はエルサレム教会の信徒です。5節に登場する元ファリサイ派の信徒たちと同じ意見を持っている人々です。「ユダヤ主義キリスト教徒」とも呼ばれます。割礼が救いの条件・救いの印であると考える人々です。ここで「エルサレムから」ではなく「ユダヤから」と言われている理由は、「ユダヤ民族主義」を強調するためかもしれません。

 ユダヤ人であるこの人々が非ユダヤ人中心のアンティオキア教会を訪れて(「下って」は日本語の上り下りと同じ含意)、ナザレ派であっても割礼を受けるべき、モーセの権威に服すべきと主張し続けたというのです。なぜなら聖書に書いてあるからです。聖書は神の言葉であるからです。この人々は、「潜り込んで来た偽の兄弟たち」(ガラテヤ2章4節)でしょう。パウロは割礼の義務付けは、人を奴隷にする行為であると激しく非難しています。「偽」とまで決めつけるべきかどうかは置いておくとしても、当時の雰囲気が伺えます。ユダヤ人男性/非ユダヤ人男性を分ける割礼をどう考えるかは、後1世紀の教会が第一に取り組むべき宣教課題でした。なぜなら、一見正当な「上から目線」の主張が内部で隣人を傷つけているからです。

2 さて彼らに対して、パウロとバルナバに少なくない提起と議論が起こって、そして彼らは、パウロとバルナバと彼らからの他のとある者たちが上ることを定めた、エルサレムにおける使徒たちと長老たちに向かって、この論争をめぐって。 

 パウロとバルナバはまず二人きりで、アンティオキア教会に「潜入」し混乱をもたらした、この人々に対してどうすべきか相当の時間をかけ多方面の論点を持ち出して協議しています。「少なくない提起と議論」とあるからです。二人の間でも意見が異なる点があったのでしょう。パウロは潜伏者たちを追い出そうと言ったかもしれません。人格者バルナバは、いきなりそんな荒っぽいことをすべきではないと反論したかもしれません。根本的な解決策は何か。エルサレム教会が考え方を変えなくては、問題は繰り返されます。論点を整理した上で二人は、アンティオキア教会の「役員会」に提案します。「割礼」不要の教会形成を認めること、干渉をやめることを母教会に要請してはどうかと、シメオン、ルキオ、マナエン(13章)にもちかけます。バルナバとパウロを加えた五人が役員会を構成しています。話し合いにより段々と自分たちの真に求めていることや、どうすればエルサレム教会がこの求めを受け入れるかの方策が明らかになってきます。そして役員会提案が教会総会にかけられます。「アンティオキア教会代表団とエルサレム教会代表団(「使徒たちと長老たち」)とで協議をし、アンティオキア教会の信仰的立場を理解してもらうように要望する。それと同時にエルサレム教会からの要望があればくみ取ることとする。代表団は、バルナバ、パウロ、テトス、他若干名とする」という提案です。「彼らは・・・〔エルサレムへ〕上ることを定めた」とあります。この「彼ら」はアンティオキア教会全体という意味です(「教会」3節)。教会総会が役員会提案を可決承認したのです。

 アンティオキア教会はかつてエルサレム教会が飢饉に苦しんでいた時に募金を集めて、それを元エルサレム教会員のバルナバとパウロに託して献金したことがありました(11章29節)。その後、エルサレム教会員マルコを受け入れるということもしています(12章24節)。二つの教会には人的交流があります。経済支援/被支援の実績もあります。この太いパイプを用いて、虚心坦懐、率直な話し合いを行おうというのです。

 「彼らからの他のとある者たち」の中に、テトスという人物もいたことがパウロの手紙から分かります(ガラテヤ2章1節)。テトスは非ユダヤ人男性のキリスト者であり、割礼を施されていません(同3節)。このテトスを代表団に含めるところにアンティオキア教会の意思が表されています。おそらくはパウロの強い推薦があったことと推測します。自分たちは割礼なしに教会形成をしたいのでそれを妨げることはやめてほしいという意思表示です。非ユダヤ人キリスト者テトスをエルサレム教会がバルナバやパウロたちユダヤ人キリスト者と等しく扱うかどうか。これがリトマス試験紙になります。

3 実際それゆえに、その人々は教会によって派遣されて、彼らはフェニキアもサマリアも通過し続けた、諸民族の回心を詳述しながら。そして彼らは全ての兄弟たちに大きな喜びをつくり続けた。

 アンティオキア教会の総会は、教会の代表としてバルナバ、パウロ、テトスらを派遣します。派遣された代表団はフェニキアとサマリアを通ります。何気ない筆運びですが、その二つの地域にすでにナザレ派の教会が建てられていることが大前提になっています。フェニキア地域の諸教会はアンティオキア教会の先輩にあたります(11章19節)。サマリア地域の教会もそうです。七人の執事のうちの一人フィリポによって開始されています(8章4節以下)。どちらもステファノたち国際派に対する迫害がきっかけとなってできた同系列の諸教会です。そしてサマリア教会は使徒ペトロとヨハネのお墨付きももらっています(8章14-25節)。アンティオキア教会代表団は、400km先のエルサレムに行くまでに、フェニキア地方にある諸教会とサマリア地方にある諸教会を訪ねて宿泊させてもらったというのです。その際に、「諸民族の回心」を証言していきます。そもそも国際派の流れにある諸教会なので、どこでも「大きな喜び」が起こります。これは会議の前に多数派を作ろうとする努力です。特に割礼を施しているサマリア教会をも仲間に引き入れていくことに意義があります。サマリア教会の意見を、「柱と目されるおもだった人」(ガラテヤ2章9節)ペトロとヨハネは決して無碍にできないはずです。

 民主政治とは多数派の形成によってなされます。多数派工作というと何か否定的に聞こえますが、話し合いによって相手を説得して、より多くの仲間を得る努力が民主政治というものです。民主的な話し合いは、より多くの人が賛成する意見を、よりましな主張とみなすというルールのもと行われます。そのために話し合いのなかで相手を説得する力を両陣営は磨きます。フェニキアやサマリアの人も賛成しているという事実紹介も自説の補強になりえます。代表団はエルサレムの会議を準備しています。

4 さてエルサレムへと(彼らは)到達して、彼らはその教会と使徒たちと長老たちから受け容れられた。彼らは、神が彼らと共になした全てを報告した。

 アンティオキア教会代表団は、割礼の無いギリシャ人テトスを含めて、エルサレム教会に受け入れられました。テトスは割礼を受けることを強制されなかったのです(ガラテヤ2章3節)。エルサレム教会全体が醸した歓迎の態度は、使徒ペトロとヨハネという人の影響からだと思います。ペトロはフィリポ系列のカイサリア教会で、非ユダヤ人による教会形成を学んでいます(9-10章)。ローマ人コルネリウスの回心にも立ち会っています。元々民族主義的で、しかも権威主義的(十二弟子=十二使徒の中の筆頭者)なペトロはこの時点である程度回心しています。そしてそれをエルサレム教会はある程度受け入れています(11章)。神は非ユダヤ人とも共にいるのです。

 「長老たち」の筆頭にイエスの実弟「ヤコブ」(13節。ガラテヤ2章9節)がいます。彼こそがエルサレム会議の議長、「その教会」の最高権力者です。ヤコブは表面的にはテトスを受け入れながら、本心のところでは「救いに割礼は必要」と考えていたと推測します。経済支援まで受けた大アンティオキア教会(とサマリア教会とフェニキア教会)を敵に回したくないという政治的思惑から、また、使徒の筆頭ペトロの顔を立てるという政治的思惑から、ヤコブは「交わりの右手」(ガラテヤ2章9節)を出してテトスとも握手をします。ヤコブは双方に良い顔をして曖昧な結論でお茶を濁そうとしました。

5 さてファリサイの党派から信じたある者たちが立った。曰く「彼らに割礼を施さなければならない、モーセの律法を守るように命じなければならない

 エルサレム教会には、元ファリサイ派や元サドカイ派、現役の神殿祭司すら教会員として存在します。これらのユダヤ主義キリスト者たちはペトロ、ヨハネ、ヤコブの態度に苛立ち、三人に抗議をします。「テトスたちに割礼を強制すべきだ。さもなければ同じ信徒として受け入れるべきではない」と批判するのです。この抗議を受けて三人は態度を変えます。やはり割礼をどう考えるべきかを教会の中で固めなくてはいけないし、アンティオキア教会の代表団と交渉しなくてはいけないと舵を切ります。こうして「エルサレム会議(使徒会議)」が設定されます(6節)。アンティオキア教会代表団としては望むところです。エルサレム教会国際派指導者ステファノが民族派に見棄てられ、パウロらに殺されてから15年が過ぎています。一粒の麦が死んで豊かに実り、その子孫たちが一粒の麦の落ちた地に戻ってきました。教会はどちらの道を主流とすべきなのか、15年間未決だった課題についての話し合いが始まります。

 今日の小さな生き方の提案は、暴力によらず話し合いによる解決を目指すということです。15年前ステファノを殺したパウロは、今や論敵を殺そうとはしません。民族派ヤコブもテトスをサドカイ派に引き渡して殺そうとしません。ヨハネも天からの火を望もうとしません(ルカ9章54節)。二つの教会は話し合いによる解決を望みます。すべての話し合いは妥協を前提にします。意見を変える用意がないならば話し合いは不要です。各自は謙虚でなければなりません。人格者バルナバのような包容力も必要です。そうして相手の意思と自分の意思とをすり合わせるのです。その時聖書をどう読むのかが問われます。字義どおりの言葉を意地悪に当てはめて隣人を悲しませるのか。それとも自由に解釈して互いに愛し合う道を見つけようとするのか。話し合いは文字ではなく霊によるものです。愛に基づき愛を目指す話し合いが歴史を拓きます。