パンを裂くために 使徒行録20章7-12節 2023年5月21日礼拝説教

7 さてその週の第一(日目)において、パンを裂くためにわたしたちが集まっていた時に、パウロが彼らと対話し続けた。翌日に出立しようとしつつ。それから彼は真夜中までその言葉をのばし続けた。 8 さて、わたしたちが集まり続けていた上階において多くの灯があり続けた。 

 トロアス教会にパウロ系列の教会代表が集まり「連盟総会」が催されていた時のことです。エルサレム教会への献金が、ベレア教会(ソパトロ)・テサロニケ教会(アリスタルコ、セクンド)・デルベ教会(ガイオ)・エフェソ教会(ティキコ、トロフィモ)・フィリピ教会・トロアス教会から寄せられました。トロアスにおけるパウロたちの布教活動は使徒言行録に明記されていませんが(16章8節以下)、パウロはエフェソから少なくとも一度はトロアスを伝道目的で訪れています(二コリ2章12節)。トロアスにもパウロ系列の教会があったのです。

 トロアス教会でルカとパウロは合流します。5・6節の「わたしたち」はパウロとルカです。合流時点から七日を過ごした諸教会代表団は、週の第一日目の「主の日」に礼拝を共にしました。トロアス教会にとっては名誉な礼拝です。7・8節の「わたしたち」はこれらのすべての人々を指します。「パンを裂くために」(7節)とありますから、礼拝を共に行うために集まったのです。パン裂きは毎回の礼拝の必須要素です。当時の信徒あるいはルカの教会では、「礼拝に集う」という意味で「パンを裂く」と言い慣わしていたのでしょう。

わたしたちはどうでしょうか。東方教会では「歌を歌いに行く」というそうです。カトリックは「聖体をいただきに行く」というそうです。プロテスタント(バプテストも)は「お話を聞きに行く」という感じではないでしょうか。「讃美歌付き講演会」と揶揄されるプロテスタントの伝統的教派における礼拝です。それで良いのかという問いが、本日の箇所から浮かび上がります。「パンを裂く」という行為が礼拝そのものであるということの意義、また信徒たちが集まる目的であるということの意義を考えたいと思います。

 7節の主文は、少々うるさく訳すならば私訳のように、「パウロが彼らと対話し続けた(ディアレゴー)」です。パンを裂くために集まっている割に、礼拝の中では対話dialogueがなされ続けたというのです。このことは示唆的です。礼拝全体は、神と人との交流的対話と言われるからです。たとえば聖書朗読は上から下へ、祈りは下から上へ、説教は上から下へ、会衆賛美は下から上へ、神と会衆は上下交流的対話を礼拝において行います。もしかすると当時の説教は一方通行ではなく、パウロと会衆の対話によってなされていたのかもしれません。それは礼拝の本質に対応します。わたしたちが上から下への「祝祷」ではなく、祝福と派遣の聖句を交読していることも、この交流的対話を志向するからなのです。

 パウロは対話から逸脱します。彼は自分の言葉を延長させ、真夜中まで延々と話し続けました(7節)。説教者が不当に礼拝時間を長くさせることは良くないことです。それを抑制するためにも完全原稿がお勧めです。説教でなくてもそうです。長い時間を話すことは、その時間を支配することであり、聞く人に沈黙を強要することでもあります。どんなに「多くの灯」(8節)があったとしても、つまり長時間の礼拝を可能にする準備をしていたとしても、説教者は時間支配という誘惑に打ち勝たなくてはいけません。パウロは反面教師です。わたしたちと同様にトロアス教会でも説教の後に主の晩餐が行われていたようなので(11節)、長い説教は全体にとって迷惑です。

9 さてとある若者、名前はエウティコがその窓の上に座りながら、深い眠りに負けながら、パウロがより多く論じながら、その眠りによって打ち負かされて、彼は三階から下に落ちた。そして彼は起こされた。「死んでいる。」 10 さて(彼は)降りて、パウロは彼(の上)に落ちた。そして共に抱きしめて彼は言った。「あなたたちは騒ぐな。というのも彼の魂は彼の中にあるからだ。」 11 さて彼は登って、そしてそのパンを裂いて、そして食べて、それから夜明けまで相当の間話し合って、そのようにして彼は出発した。 12 さて彼らはその生きている少年を連れた。そして彼らは少なからず勧められた。

 エウティコ」(9節)という名前は「幸い」という意味だそうです。この逸話にぴったりな名前です。幸いにも彼は三階から落下したけれども死ななかったからです。当時よくある名前だったそうです。トロアス教会員です。

物語は、復活の奇跡物語を思い起こさせる言葉使いです。たとえば「上階」(8節)は、ペトロがタビタを復活させた場所です(9章37節)。パウロがエウティコの体の上に体を重ねる行為は、預言者エリシャの復活奇跡と似ています(王下4章34節)。著者ルカは、パウロを預言者エリシャや使徒ペトロに匹敵する人物として描き、ある程度は持ち上げようとしています。それにも拘らず本文を丁寧に読むと、ここには死者の復活という奇跡はありません。

 「死んでいる」(9節)とカギかっこに入れたように、「エウティコが死んだ」とそそっかしい教会員たちが絶望の叫びを上げたということです。事実はパウロが冷静に言うように、「彼の魂〔プシュケー〕は彼の中にある」のです。プシュケーは、生命という意味もあります。またルカはプシュケー(魂)とプネウマ(霊)をほぼ同義で用います。息や精神、思い、心などと訳される場合もある単語です。つまりプシュケーは全存在です。エウティコの全存在は転落する前も転落した後も生き続けていたのだと思います。12節「生きている」とあるように、「生き返った」(新共同訳)とは書いていないのですから。

 著者ルカの微妙な書きぶりからは、復活の奇跡を行った人物としてパウロを崇めさせようという意図までは読み取れません。ルカはフィリピ教会代表者として、トロアス教会で共に礼拝をしており、エウティコの転落という出来事を目の前で見ています。それだからルカは繊細な仕方で、パウロをやんわりと批判していると解します。「あなたの長すぎる説教が遠因で前途ある若者/少年が転落死しかけた。しかし神の守りによって彼は死ななかった。このことを重く受け止めた方が良い。礼拝の中心は一人の権威ある人物による説教であって良いのだろうか」という忠告・諫言です。「威張るな、給仕せよ」と。

 そのような全体の構図をにらみながら、物語を注視してみましょう。「深い眠りに負け・・・その眠りによって打ち負かされ」とあります(9節)。眠りに打ち負かされているエウティコからは、パウロの説教が不当に長いことと、その説教がまったく対話的でなくなっていることが見て取れます。少なくともトロアス教会でいつも行っている礼拝ではエウティコは眠りに打ち負かされることはなかったと思います。

 会堂長ヤイロの娘の復活物語とは異なり、ここにエウティコの両親は登場しません。彼は「若者」(9節)とも「少年」(12節)とも呼ばれているので、10代の勤労青年かもしれません。当時日曜日は平日、労働の日です。港町トロアスの荷物を運ぶ港湾労働者たったかもしれません。エウティコは昼間くたくたになるまで働き、それでも夕方に始まる礼拝に参加したのでしょう。先週からさまざまな教会の代表者が来ていることは知っています。今週はパウロという、以前トロアス教会に来たこともある客が説教をするとも聞いています。敬虔なエウティコは、この日もいつも通り定刻礼拝に出席します。彼はパンを裂くために毎主日夜、パンを得るためにどんなに疲れていても集っていました。

 ルカ福音書22章の最後の晩餐記事によると、主の晩餐は次の順番でなされています。①儀式的食事。感謝の祈りと杯の回し飲みとパン裂き(制定語「これはわたしの体」)。②実際の食事(愛餐)。③儀式的食事。杯の回し飲み(制定語「この杯はわたしの血」)。②実際の食事を間に挟むこの流れは一コリント11章と同じです。ルカの知っているパウロ系列の教会ではこのような礼拝をしていたのでしょう。②実際の食事の後に説教が行われ、その後に③儀式的食事が行われていたのだと思います。会衆賛美や祈りが適宜織り込まれていても、主の晩餐が礼拝の骨格をなしていたわけです。

 エウティコは①②を終えて、多くの客に良い席を譲り、自分は窓枠に腰掛けました。客人パウロの説教は長くなり、昼間の労働の疲れもあり彼は眠りに落ち、そして、窓から下へと落ちました。会衆は礼拝を中断し若者の救命救助にあたります。「動かない、死んでいる」との絶叫と驚愕。パウロも、そして著者であり医者でもあるルカも降りてきます。記事は、優しいルカがパウロに気を使ってパウロのみの手柄のように仕立てられていますが、事実は医者ルカがエウティコの息と脈があることを確認したのだと思います。「共に抱きしめて」(10節)とあるように、パウロとルカが共にエウティコを抱きしめたのでしょう。ルカはエウティコも責めず、パウロをも批判し過ぎず、温かい筆致でトロアス教会に起こった重要な出来事を記しています。

 怪我人エウティコを前にして説教は終わらざるをえません。やっと③儀式的食事が始まります。パウロはパンを裂き、杯を回します。ここでパン裂きと呼ばれた礼拝は終わります。その後は懇談の時です。7節「対話する」と9節「論ずる」と11節「話し合う」はすべて動詞が異なりますが、エウティコ転落を受けてパウロが対話的に戻っていることが分かります。特に11節は「一つの思いになって話す」という含みのある言葉です。エウティコを中心に港湾労働者たちの苦労が分かち合われたのだと思います。トロアス教会員も他の教会代表者たちも、教会が一つになる話し合いの場面を体験します。敬虔な若い信徒が楽しみにしている礼拝中に死にかけるという出来事は、日常生活の働かされ過ぎという課題をあぶり出しました。過労に追い打ちをかけるような長い説教を伴う礼拝は良くないのです。パウロは反省します。

 「そのようにして彼は出発した」(11節)。ルカも含む「わたしたち」は徹夜をしてエルサレムへと向かいます。一方「彼ら」トロアス教会員たちは「その生きている少年を連れ」、彼の出来事に思い巡らし、生命が与えられていることを感謝し、今日を生きる力を与えられ、日常生活へと戻っていきます。この世界に一度しかない礼拝を経験したすべての人が「少なからず勧められ」、苦しい日常を信徒として生きるとは何かを考えるきっかけを与えられました。トロアスの教会は、一人の権威者による長い説教(弁論)によってではなく、もっと対話的で疲れを忘れさせる霊的な賛美や祈りを伴う礼拝が志向されていったかもしれません。そして「ホワイトカラーもブルーカラーもない。年配者も年少者もない」という教会形成がなされていったのではないでしょうか。

 今日の小さな生き方の提案は、トロアス教会に倣うことです。彼ら彼女たちは礼拝で起こった悲劇と神の守りの意味を探り、一つの思いになりました。そして一つの思いになりうる礼拝を創ろうと改善努力を怠らなかったのです。それは同時にこの世界のゆがみやひずみに敏感になることでもありました。世間や社会により肩身が狭い思いをさせられ、小さくされ、苦労をしている一人一人が大切にされる礼拝は、すべての人が教えられ・勧められる礼拝です。わたしたちのパン裂きのあり方に思いを馳せ、主の食卓を囲みましょう。