ミレトスで 使徒行録20章13-21節 2023年6月11日礼拝説教

13 さて私たちはその船の上に先に来て、私たちはアソスの上に上った。そこでパウロを引き上げようとしつつ。というのもそのように手はずをして彼自身が徒歩で行くことを企図し続けていたからである。 14 さて彼が私たちとアソスにおいて合流し続けた時に、彼を引き上げて、私たちはミティレネの中へと来た。 15 そしてそこから船出して、その来たる日に私たちはキオス〔島〕に対向して面した。さてその次の日に私たちはサモス〔島〕の中へと寄った。さてその翌日に私たちはミレトスの中へと来た。 16 というのもパウロはエフェソのそばを航海するということ、その結果アシアにおいて時を過ごすことが彼に起こらないということを、既に決めていたからである。というのも彼は急ぎ続けていたからである。ペンテコステの日がエルサレムの中において起こるということが、もしも彼にとって可能であれば良いと。

 トロアスの教会を出発した教会代表団はエルサレム教会に向かって寄付金のすべてを持参して向かいます。「私たち」(13節他)とあるので、使徒言行録の著者ルカもフィリピ教会代表として参加しています。一行はトロアスからアソス、ミティレネ、キオス島を見ながらサモスに寄港し、エフェソに寄らずにミレトスにたどり着きます。巻末の「聖書地図8」にこれらの地名はすべて出ています。この記述の細かさはルカ自身が旅に参加していることの証左です。そして、トロアスとエフェソには教会が存在しましたが、アソス、ミティレネ、サモス、ミレトスには教会が無かったことが推測できます。それぞれの町は中規模の都市として栄えていたことが知られていますから、パウロの伝道地の選定が大都市に限られていたことも伺えます。

 この事実は示唆的です。ユダヤ人が多く住んでいたという事情もあるでしょう。パウロは必ずユダヤ教正統の会堂を伝道手段としていました。しかしそれだけではないと思います。新しい生き方を示す思想信条は、多くの人々、多種多様な人々が行き交う大都市で受け入れられやすいものです。パウロの大都市志向の背景には「キリスト教の新しさ」があったと思います。今日においても当てはまることです。特にバプテストの主義主張(個の自由・会衆主義・各個教会主義・政教分離原則等)は日本社会において「新しい教え」です。個人の人権尊重という価値に基づく立憲民主政治は、大都市の者にとって受け入れやすいと思います。東京等大都市圏からじわじわと増やす方がバプテストにとっては順当でありましょう。「一県一教会」政策は微妙です。

 さてパウロは一人だけ別行動をしています。ルカたち一行は一貫して海でミレトスを目指します。しかしパウロは最初の船に乗らずに途中のトロアスからアソスまでの50Kmの道のりをなぜか徒歩で行きます(13節)。その理由については何も語られていませんが、パウロ自身がこの計画をずっと温めていたというのですから、意味深です。黙想のためでしょうか。フィリピからトロアスまでは、ルカとパウロの二人旅でした(6節)。今回はルカさえもいません。ただ一人、神と向き合って一日の旅程をパウロは歩き切ります。その時、エルサレムに行く真の覚悟が固まります。ゲツセマネの祈りのような心境ではなかったかと推測します。自分は殺されるかもしれないという覚悟です。

 船便の手配に長けているルカによって、無事にアソスでパウロを乗船させて一行はミティレネに来ます(14節)。ミティレネはアソスの対岸にあるレスボス島という島の首都です。ミティレネもアソス同様比較的人口の多い町ではありましたが、教会はなかったようです。エーゲ海には多くの島があります。小アジア半島よりの島づたいに行く海路が安全な航路だったのでしょう。

 次の日に船はキオス島を右に見ながら海峡を南下します。そしてサモス島を経由してミレトスに向かいます(15節)。この航路は、エフェソに寄らないルートです(16節)。サモス島はエフェソよりも南にあるからです。パウロ系列最大級の教会が存在するエフェソに立ち寄らないという理由は何なのでしょうか。「アシアにおいて時を過ごすことが彼に起こらないということを、既に決めていたから」(16節)とあります。「既に決めていた」は過去完了時制で書かれています。過去の行為が、ある過去の時点まで効果を継続している時に使われる時制です。パウロは前もってアシア州をすぐに通過して、一日も早くエルサレムに着くように計画していたというのです。彼は「イースターまではフィリピ」(6節)、「ペンテコステまでにはエルサレム」(16節)と、周りの事情と関係なく自分の計画を決め、その通り運ぶことを喜びとするような性格だったのでしょう。それならばアソスまで陸路で一人旅をしなければもっと円滑だと思うのですが、そういう他人の助言や批判も受け入れない人格でもあったのでしょう。温厚なルカはパウロとうまく付き合っています。

パウロの決断の効果はおそらくミレトスに着くまで続いていました。過去完了時制はその後に気変わりしたことを示しています。過去の行為の効果が、過去のある時点までは有効、ある時点からは無効という時制だからです。

17 さてミレトスからエフェソの中へと派遣して、彼は(人をやって)その教会の長老たちを呼び寄せた。 18 さて彼らが彼に向かって傍らに起こった時に、彼は彼らに言った。「あなたたち、あなたたちこそは知っている。私がアシアの中へとやって来た最初の日からどのようにしてすべての時間をあなたたちと共に私が起こしたかということを(知っている)。 19 あらゆる謙虚さでもって、涙でもって、ユダヤ人たちの悪だくみの中で私に降りかかる諸試練でもって、主に仕えながら、 20 わたしは有益な事々を何一つをも言わずにおくことはしなかった。公にも家ごとにもあなたたちに宣布し(ないなどせず)、あなたたちに教え(ないなどせず)、 21 ユダヤ人たちにもギリシャ人にも神の中への悔い改めと、私たちの主イエスの中への信を証言しながら。

 エフェソを通過して、エフェソよりも道のりで80Km南にあるミレトスで、パウロの気が変わります。すぐにエルサレムに行く船には乗らずに、エフェソ教会の長老たちを呼び寄せようというのです。ちなみにアシア地方には四つの大きな都市がありました、エフェソ(黙示録2章1節以下)、スミルナ(同8節以下)、ペルガモン(同12節以下)、そしてミレトスです。ミレトスには黙示録が書かれた時代にも教会は無かったようです。スミルナとペルガモンにもルカの時代には教会が無く、エフェソだけが特別な町なのです。

 一行の中にはエフェソ教会の代表者が二人います。ティキコとトロフィモです(4節)。パウロはこの二人に頼んで、エフェソまで北上して「戻って」もらい、「その教会の長老たち」(17節)・指導者たちをミレトスまで連れてきてほしいと言います。「(人をやって)呼び寄せた」(17節)は自分自身のための行為を示す表現なので、呼び寄せることはパウロの一存・わがままであったと推測できます。最初はエフェソを通過したいと言っていたパウロが、計画変更してエフェソの教会指導者たちに挨拶するために旅を停止させるからです。ティキコとトロフィモから言わせれば、「それならば諸教会代表による総会をエフェソ教会で開催すれば良かったのではないか。なぜわれわれが北のトロアスまでわざわざ行く必要があったのか」と蒸し返されそうな状況です。

 しかしティキコもトロフィモも何も反論せずに、陸路で80Kmを往復します。ルカはさらりと書いておりますが、実務的には大変な依頼です。一日半ぐらいの道のりを戻って、そこから教会の長老たちを説き伏せて、それぞれの仕事や家事、育児を調整させて、80Kmの旅をミレトスまで一緒にさせようというのですから。ティキコとトロフィモはエルサレムへと船に乗りますが、エフェソ教会の長老たちは手ぶらでエフェソまで帰ります。ただ挨拶のためだけに往復160Kmを歩く奇特な人々がいるのでしょうか。

 ソパトロ、アリスタルコ、セクンド、ガイオ、テモテ、ルカたち、諸教会代表団にしても批判できます。「そもそも早くエルサレムに行きたいと言っていたのは、パウロさん、あなたですよ。トロアスでも待たされ、アソスでも一手間かけさせられ、ミレトスでもさらに計画変更とはわがままに過ぎませんか。船便キャンセルですか」。一行はパウロに振り回されています。

 常識的にはパウロのわがままは通用しません。しかし、教会という交わりは非常識が通ることがあります。もしかするとパウロと最後の挨拶となるかもしれないという、その一点で、わがままが神の起こす出来事として地上に実現します。「起こる」という言葉が繰り返されています(16・18節)。アシアで時を過ごすことが起こり、エフェソ教会長老たちとの再会が起こります。不意に起こる一期一会に価値を置く。教会の交わりはそのような不規則な出来事を喜び大切にする群れです。こうしてパウロのわがままも許容されます。

 パウロはエフェソ教会に甘えています。エフェソ教会員たちが、パウロがそ様々なわがままな思い付きにより出来事を起こしたということを良く知っているからです。「あなたたち、あなたたちこそは知っている。私がアシアの中へとやって来た最初の日からどのようにしてすべての時間をあなたたちと共に私が起こしたかということを(知っている)。」パウロは人格的に知られているのです。そして自分が知られていることを知っています。他の諸教会代表たちとの間もそうです。知り・知られる関係です。

 ミレトスの町の宿屋で、十名以上の老若男女の信徒たちが、当初の計画にはなかった挨拶を交わしています。エフェソ教会には女性の長老もいたと思いますし、子連れで来た長老もいたかもしれません。ティキコとトロフィモの家族もいたかもしれません。彼らも殺される危険があったからです。テモテは諸教会に知られていたでしょうけれども、彼以外の諸教会代表と初対面のエフェソ教会員たちも当然います。この偶発的な交わりに立ち会ったルカは、比較的詳細にパウロの告別の言葉を報告しています(18-35節)。

 その中で、本日はただ一つ21節だけを紹介いたします。「ユダヤ人たちにもギリシャ人にも神の中への悔い改めと、私たちの主イエスの中への信を証言し」ているというパウロの自負です。神に対する悔い改めと、主イエスに対する信仰は「中へ」と表現されます。「中へ」は人格的な交わりを示唆します。悔い改めとは生き方の方向転換です。それは神の中にすっぽりと包まれること、「神に知られる」ことを選ぶ生き方です。イエスを救い主と信じることはイエスの霊にすっぽりと包まれること、「十字架と復活のイエスに知られる」ことを選ぶ人生です。神の懐の中へ、イエスが十字架上で広げた両手の間に向かって飛び込むことです。神を知ることはできません。しかし神に知られていることを知ることはできます。その方向転換に永遠の生命があります。

 今日の小さな生き方の提案は人格的な交わりを持つことの勧めです。パウロという極端な個性を許容した教会の交わりがわたしたちの模範例です。個々の教会員たちには長所も短所もありましたが、彼ら彼女たちは共通して「その自分の人格が唯一神には完全に知られ理解され許容されている」ということを知っていました。その福音を証言し続けていました。神に知られているという信仰は、隣人への見方を変えます。「この人も知られている」という悔い改めをもたらします。それが寛容な交わりを生み出すのです。