十二部族 民数記10章22-28節 2023年4月30日礼拝説教

22 そしてエフライムの子らの宿営の(三部族)連合が最初に彼らの衆ごとに引き抜いた。そして彼の衆の上にアミフドの子エリシャマ。 23 そしてマナセの子らの部族の衆の上にペダツルの子ガマリエル。 24 そしてベニヤミンの子らの部族の衆の上にギドオニの子アビダン。 25 そしてダンの宿営の(三部族)連合が彼らの衆ごとに引き抜いた。彼らの衆ごとのその全ての宿営のための集大成(として)。そして彼の衆の上にアミシャダイの子アヒエゼル。 26 そしてアシェルの子らの部族の衆の上にオクランの子パグイエル。 27 そしてナフタリの子らの部族の衆の上にエナンの子アヒラ。 28 これらが彼らの衆ごとのイスラエルの子らの引き抜き。そして彼らは引き抜いた。

 イスラエルには十二部族があります。前回そのうちの六部族の配置と「引き抜き」(出発時に杭を引き抜いてテントを解体する行為)の順番を知りました。ユダ部族を代表とする三部族連合(ユダイサカルゼブルンの三部族)は東にあって最初に出発し、ルベン部族を代表とする三部族連合(ルベンシメオンガドの三部族)は南にあって二番目に出立します。

 本日の個所では、エフライム部族を代表とする三部族連合(エフライムマナセベニヤミン)は西にあって三番目に出発します。ダン部族を代表とする三部族連合(ダンアシェルナフタリ)は北にあって最後に出発するというのです。これら三部族ごとの塊と、配置や順番に込められた意味について、かつて読んだ「ヤコブと四人の妻と十三人の子どもたちの物語(創世記25-50章)」と重ね合わせながら考えていきたいと思います。それがイスラエルの歴史や教会の歴史と重なり合うからです。

一夫多妻制の時代、ヤコブ(別名イスラエル)には四人の妻がいました。レア、ラケルの姉妹と、ジルパとビルハ。このうちジルパはレアの召使であり、ビルハはラケルの召使です。レアとラケルが「正妻」であり、ジルパとビルハは「側女/妾」です。「レア系(レア、ジルパ)」、「ラケル系(ラケル、ビルハ)」と分けることができます。

レア系は十二部族のうちの7部族、過半数を占めます。レアの子どもを生まれ順で挙げれば、ルベンシメオン・レビ・ユダイサカルゼブルン・ディナ(娘)の7人です。ジルパの子どもは、ガドアシェルの二人です。部族の名祖となった人物を下線で示すと7部族が分かります。「ユダイサカルゼブルン」は、母レアの四男・五男・六男という塊であることが分かります。この塊が先頭であるということ、しかもユダが三部族連合の代表であるということは、ユダが実質的な「長男」の位置に押し上げられているということを示しています。創世記37-50章の「ヨセフ/ユダ物語」において、ユダは老父ヤコブをも凌いで一家をまとめ上げる役割を果たしています。その反映として、ユダが先頭なのです。

二番目に出立する三部族連合はどうでしょうか。ルベンシメオンガドのうち、ルベンは母レアの長男、シメオンは次男です。しかしどちらも不祥事を起こしており(創世記34章25節以下、35章22節。42章24節参照)、ユダに取って代わられています。三男レビは宗教者・祭司職専門の部族として別格となり部族の名祖となりません(出エジプト記32章25節以下)。レビの位置に代わってジルパの長男ガドが入ります。レアの子以外の「傍系」が混ざっていることでこの塊はある程度格下げされています。いずれにしろレア系の三部族連合です。レア系の残りは、ジルパの次男アシェルだけです(後述)。

三番目に出立する三部族連合は、エフライムマナセベニヤミンです。エフライムはヨセフの次男、マナセはヨセフの長男です。ここからラケル系が始まります。そしてこの三部族はすべてラケル直系です。ラケルの長男ヨセフは名前の意味する通り倍の取り分を得ます。ヨセフは「彼は二度行う/増し加わる」という意味の名前です。ここだけはヤコブから見て孫の代が名祖となり、エフライム部族・マナセ部族を形成します。それによってレビの欠けを埋め「十二」部族を形成します。三部族連合の代表はエフライム部族。最も年下のエフライムに対して、叔父ベニヤミンは劣後し兄マナセも劣後します(創世記48章)。ここには弟ヤコブ優先、妹ラケル優先、弟ヨセフ(ユダも)優先という聖書の「弟妹優先主義」が示されています。後の者が先の者となるのです。これは逆説的真理です。

東のユダ三部族連合(レアの子のみ)に対峙して、西にエフライム三部族連合(ラケルの子と孫のみ)は位置しています。ここは順番だけではなく配置にも意味があります。ユダとエフライムは東西の両横綱として対抗的なライバル関係にあります。このライバル関係は創世記ではなく(創世記に伯父ユダとエフライムの葛藤は描かれていません)、後の王国時代の歴史と響き合っています。ユダは南ユダ王国の中心部族であり、エフライムは北イスラエル王国の中心部族だからです。端的に南王国は「ユダ」と呼ばれ、北王国は「エフライム」と呼ばれています。

一つのイスラエル(ヤコブの別名)から南北両王国は分裂してできました(前922年)。分断国家として両国は基本的に反目するライバルですが、姉妹国として時に協力もします。レアとラケルの姉妹の人間関係が重なります。先にエフライムが滅ぼされ(前721年)、後にユダが滅ぼされます(前587年)。妹ラケルが姉レアよりも先に死ぬことと重なります(創世記35章16節以下)。なお、北王国滅亡の際に、ベニヤミン部族だけは生き残り南ユダ王国と一体化します。ベニヤミンを出産する時にラケルが死んだことや、ユダがベニヤミンを救い出したこと(同44章18節以下)などが複合的に重なり合っています。イスラエルの子らの出来事は後のイスラエル王国史の予告です。

最後の三部族連合は、ダンアシェルナフタリです。ダンはラケル系ビルハの長男であり、ナフタリは次男です。アシェルはレア系ジルパの次男です。三分の二がラケル系であるのでこの塊もラケル系と言えます。レア系7部族・ラケル系5部族という構成も、「二系統の三部族連合が二つ」という構成も、レアとラケルに対する評価を含んでいます。実際にはレアは7人の息子娘(ルベン・シメオン・レビ・ユダ・イサカル・ゼブルン・ディナ)、ラケルは2人の子ども(ヨセフ・ベニヤミン)を産みました。7対2、トリプルスコアです。しかし十二部族の名祖という点に絞れば7対5の関係、ほぼ半々で拮抗しております。つまり両者甲乙つけがたく二人ともに「民族の母」です。レア系は姉であるので先に出立します。ラケル系は妹であるので後に出立します。後の者によって神の民イスラエルの歴史(歩み)が集大成されます。

軍隊用語と採れば「しんがり」(25節。新共同訳等)と翻訳される言葉「メアッセーフ」ですが、「集め続けている(こと)」から派生した言葉です。最後の者たちが全員分の後片付け(ゴミ拾い)と忘れ物がないかを調べるからでしょうか。あるいは最後の者が集いの全体をまとめあげるからでしょうか。原意を重んじて「集大成」としました。というのも、この最後の三部族連合という塊に重要な指針が潜んでいると考えるからです。

最後の塊だけが、レアとラケルの子どもたちではない「傍系」のみで形成されています。この点が重要です。「正妻/側女」という、世間における優先/劣後の関係もまた、聖書の示す「後の者が先の者となる」という真理に当てはまるはずだからです。エジプト人女性ハガルの神、モアブ人女性ルツの神は、イエス・キリストにおいて啓示された救い主です。

新共同訳聖書巻末の聖書地図「3 カナンへの定住」と「6 新約時代のパレスチナ」を見比べてみましょう。「ダンアシェルナフタリ」の三部族が、約束の地の北端ガリラヤ湖の北西に位置していることが分かります。そこはイエスの活動場所である「ガリラヤ地方」です。ナザレはゼブルンに含まれるのかもしれませんが、イエスはナザレではあまり活動をしませんでした(後述)。むしろペトロの義母が定住するカファルナウムを中心に、「ダンアシェルナフタリ」の各地を転々と放浪するのが「神の国運動」でした。

ちなみに最後の三部族連合を代表するダン部族が十二部族の最北に位置することになったのも放浪の旅の結果でした(士師記17-18章)。旅の結果という経緯すらも、旅するイエスの神の国運動の予告とも捉えられます。純「傍系」三部族連合は首都エルサレムという中心から最も離れた周縁に追いやられます。レアとラケルの子どもたちではないという連帯感が三部族にあります。レア系・ラケル系の対立を超えた被抑圧者たち(側女の子孫)のもつ連帯感です。ガリラヤでさまざまな被抑圧者と共に歩んだイエス。それゆえにエルサレムから来た律法学者たちと対立しエルサレムで中央の権力者たちに殺された十字架のイエス。ガリラヤに先立って行かれた復活のイエス。イエスの歩みから、周縁ガリラヤ対中央エルサレムという図式も浮かび上がります。

その点を掘り下げるならば、ダンとナフタリが「ヨセフの子(エフライム・マナセ)」ではないということも、「マリアの子」と呼ばれたイエスの姿に重なります(マルコによる福音書6章3節)。当時の風習として母親の名前で呼ばれる子どもは、その「嫡出」性が疑われ、差別されていたと言われます。つまり「イエスはヨセフの子ではないのではないか」という疑いです。クリスマス物語によれば、その疑いは正しいものです。イエスはヨセフの子ではありません。この種の嫌らしい世間の目もあって、イエスは故郷ナザレでは敬われなかったと考えられます。

イエス・キリストは神の民の歴史を集大成しました。彼において十二部族からなるイスラエルが完成し、新たなイスラエルが開始されました。復活の前は「神の国運動」(イエスの周りに座る弟子たちの交わり)、復活・聖霊降臨の後はキリスト教会です。「十二弟子」と「十二使徒」という名称は、「十二部族」に由来します。この名称に「教会は新しいイスラエルである」という主張が含まれます。イエスがガリラヤで「傍系」とされた人々と共に歩まれたので、イエスの霊に導かれるキリスト教会は「傍系」とされた非ユダヤ人たちに開かれた交わりです。ギリシャ人信徒であるルカは、ペンテコステの最初の日から教会は多民族多言語多文化に開かれていたと証言しています。

今日の小さな生き方の提案は、旧約聖書の読み方に関するものです。旧約聖書とは何か。一言でいえば「イスラエルの歴史」です。ヤコブ家の物語でもあり、イスラエル王国の歴史でもあり、ユダヤの民の歩みでもあります。イスラエルの歴史をキリスト者は、イエス・キリストの歩みと初代教会の歴史を重ね合わせて読み解きます。そして自分たちの連なる教会で起こる出来事や、教会の歩みと重ね合わせて読み解きます。すると福音に気づきます。この小さな泉教会、このちっぽけな自分が決して劣後する存在ではなく、神の目に尊い「先の者」であるという福音に気づき、明日を生きる力が与えられます。神はジルパの神・ビルハの神です。教会という交わりを集大成する存在は世間で見過ごされている事物です。テントの杭を引き抜き見過ごされている事物を探しに世に出て行きましょう。それらが大切となる交わりを作りましょう。