受けるよりは与えるほうが幸い 使徒行録20章32-38節 2023年7月16日

32 そしてこれらのことが今や。私はあなたたちを神と彼の恵みの理とにゆだねる。全ての聖とされている者たちの中で建築することとその遺産を与えることができる神に。 33 金や銀や衣服を私は熱望しなかった。 34 あなたたち自身が知っている。私の必要のために、また私と共に居続けている者たちの(必要のために)これらの手が仕えたということを。 35 全てのことを私はあなたたちに示した。なぜならそのようにして労苦しながら弱っている者たちを支えるべきだからだ。また次の主イエスの言葉も思い出す(べきだからだ)。彼自身が言った。「受けることよりも与えることのほうが幸いである。」 

 エフェソ教会の長老たちとパウロ(と諸教会代表団)との別れの場面が続いています。いわゆる「告別説教」の最後・締めくくりです。もう二度と会えないことになると分かっている人々に語る説教の結末には、自分の信仰生活の中で最も大切にしていたことが言われるはずです。パウロが日々大切にしていたことの結露がここにあるはずです。この説教の聴衆の一人だった著者ルカは、よく記憶し記録しています。「パウロは締めくくりに救い主イエス・キリストの言葉を引用して説教を終えた」とルカは覚えていました。「受けることよりも与えることのほうが幸いである。」(35節)この言葉へと向かうという意識で、32節から改めて読み直していきましょう。

 パウロはエフェソ教会長老たちを「神と彼の恵みの理〔ロゴス〕とにゆだねる」と語ります。ロゴスは「言葉」または「論理」と訳せます。プロテスタントは「聖書のみ」を強調するので「言葉」と解しがちですがやや狭い解釈だと思います。当時新約聖書は存在しません。パウロはあなたたちを「この聖書にゆだねる」とは言いづらいでしょう。「上から下へとくだる神の言葉(正典)」というよりも「神がギリシャ人もユダヤ人も救うという論理(福音)」と採った方がパウロの考えに近いと思います。

 「全ての聖とされている者たち」とはキリスト者を指す言葉です。エフェソ教会員たちのことを念頭に置いています。エフェソ教会員の中で「建築すること」と「遺産を与えること」ができるのは、神なのかロゴスなのか、原文はどちらも可能です。新共同訳はロゴス(「この言葉」)にその力があると解します。私訳は神に力があるという解釈です。パウロ自身は、正典信仰よりも神への信仰が強かったと考えるからです。

 神がエフェソ教会員の中で何を建築するのでしょう。「家の教会」(信徒の自宅を礼拝場として用いる)なのですから会堂建築のことを指しているわけではありません。神がエフェソ教会員の中で何を遺産として与えるのでしょう。原文には目的語がありません。おそらくは次のような心境です。パウロというバベルの塔のような巨大建物がエフェソ教会員の中に建ち上がっていたとします。その塔を拝む人すらいたかもしれません。教会員たちが寄りすがっていたものがいなくなり、しかも二度と戻ってこない可能性があります。そういった時にこそ神を信じる必要があります。失う時にこそ、何か新しいものが神によって与えられるものです。神は石ころからでもアブラハムの子孫を生み出すことができます。主は抜き取り、同じ主が植える。主が与え、主が取る。主の名前がきよめられ、崇められるように。それが神による不思議な「遺産相続」です。そういう形でイエスの命が取られ「神の国運動」は終了しますが、しかし復活のキリストと聖霊によってキリスト教会の建築が始まりました。普通の遺産相続はあるものがやや目減りしながら引き継がれるものです。教会にあっては一旦すべてなくなって、新たなものが生まれます。パウロがいなくなっても、新しい拠りどころを神がエフェソ教会に与えてくれます。新しいことを創造し生み出す神を信ぜよとパウロは励ましています。

 33-35節にはパウロの日常生活が紹介されています。彼はテントを作る職人でした(18章3節)。エフェソでもテント作り職人として働いていたかは不明です。夜中だけ内職していたかもしれませんが31節のように夜も教会員と対面して話し合いを行う時には、天幕づくりは中断せざるをえません。エフェソにおいてパウロは昼間「ティラノ/王の集会所」(19章9節)で毎日講演をしていました。彼の主たる仕事は旧約聖書を教える「カリスマ講師」です。会場費を払い講演料を取っていたと思います。自分で稼いでいたので、エフェソ教会からの報酬(金や銀や衣服)を受け取ろうとは思っていなかったのでしょう(33節)。自分の必要は自分で賄うことが彼のモットーでした。

 パウロは少し余裕がある時に、教会員の中で困窮している人たちや弱っている人たちに金や銀や衣服をわけることがあったようです(34-35節)。これこそ教会の文化です。パウロだけではなく、教会員たちはできる範囲の親切を相互に行っていました。経済的/精神的に自立している人は、自立できない人を、自分に余裕のある限りで、自分の生活に支障をきたさない範囲で支えるのです。すべてを投げ打って、誰かに時間・体力・財力をささげることは必要ありません。それは支える側も潰れてしまいます。宗教二世たちが立ち上がって破壊的カルトによる被害を訴えていることも関係します。「より価値の高いもののためにあなたのすべてを捧げよ」という指針はそれ自体胡散臭いものです。教団のためであっても国家のためであっても胡散臭いものです。サマリア人のたとえ話のように、できる人ができることをできる範囲で行う親切が教会の文化です。その程度の親切で構わないし、その行為は程度問題を超えて尊いし、そうでなければ教会生活は長続きしません。

 パウロはこの生き方は主イエス・キリストの言葉に根差すのだと確言します。「受けることよりも与えることのほうが幸いである。」(35節)

ところでイエスの伝記である四つの福音書にはこの言葉は存在しません。使徒言行録と同じ著者が書いた「ルカによる福音書」のイエスですらそのような言葉を語っていません。しかしパウロは、「受けるよりは与えるほうが幸いだ」とイエスが語ったということを確信しています。「彼自身が言った」(35節)は強調の表現です。パウロの確信を著者ルカも受け入れているようですから、常日頃からパウロはこの言葉を「主の語った言葉」として周囲に紹介していたのでしょう。ベレアでもデルベでもフィリピでもテサロニケでもエフェソでも、「受けるよりは与えるほうが幸いだとイエスは言った」とパウロは口癖のように説いていたと推測します。ここにはイエスの生涯についてのパウロの解釈、キリスト信仰についての理解が現れています。信仰理解が信徒の日常生活を方向付けます。パウロは十字架で殺された、ナザレのイエスを「与え尽くした人物」と理解しています。

新生讃美歌205番「まぶねの中に」という歌があります。特にその3節に次のような歌詞があります。「すべてのものを与えしすえ 死のほかなにも むくいられで 十字架のうえに あげられつつ 敵をゆるしし この人を見よ」

 この賛美歌の信仰と、パウロの信仰は似ています。イエスは自分の利得を考えないで行動をしていたと理解しているからです。もらうことや受けることではなく、ささげることや与えることを自然に行う生き方に価値がある。その模範例として主イエス・キリストがおられるというのです。この方が救い主であるので、この方を救い主と信じる信徒たちの生き方が方向付けられます。イエスほど与え尽くす必要はないのだけれども、余裕のある限りの親切をすることは、上から目線の「施し」でない限りにおいて良いことです。 

36 そしてこれらのことを言いながら、彼ら全てと共に膝を置きながら、彼は祈った。 37 さて全ての者から甚だしい嘆きが生じた。そしてパウロの首の上に押し付けながら彼に口づけし続けた、 38 もはや彼の顔を眺めることはないだろうと彼が言った言葉について特に悲しみながら。さて彼らは彼を船の中へと見送り続けた。

 告別説教は自然に祈りへと引き続かれます。話の途中でパウロは跪き祈り始めます(36節。「~ながら」)。その内容は記されていません。聞き取れなかったのです。エフェソの長老たちと諸教会代表団の間から、嘆きが発生したからです(37節)。嘆きは祈りでもあり、嘆きは信仰の表れでもあります。神を信じるからこそ、神に対して人生の不条理を嘆くことができます。彼ら彼女たちの憤りは、パウロと二度と会えなくなる未来に対してのものです(38節前半)。「エルサレムに行くことが、パウロに対する逮捕・監禁・拷問・裁判・処刑に直結するならば、そのような使命を負わせる神は正しくない。エルサレム教会への寄付はパウロの生命よりも重いことがらなのか。」答えを期待しない嘆きが自然発生し、一同の大合唱となり、じきに落ち着きます。「生じた」(37節)は不定過去時称。過去の一度きりの行為を指します。

 そうしてエフェソ教会の長老たちはパウロを取り囲み「平和の挨拶」をします。初代教会の礼拝において、会衆は相互に口づけをして挨拶を交わしました。パウロとの礼拝はもう二度と地上ではできないという思いを抱えながら、彼ら彼女たちは一人一人続々とパウロと口づけをしたのです(未完了過去時称)。やがて口づけの時も終わります。

 一同は外に出て、パウロと諸教会代表団(ソパトロ、アリスタルコ、セクンド、ガイオ、テモテ、ティキコ、トロフィモ)の計八名を船まで見送ります。ここも未完了過去時称ですから、一人ずつ丁寧な挨拶が交わされたのでしょう。特にエフェソ教会の長老たちにとっては、ティキコとトロフィモとの別離も感慨が深かったことでしょう。もしかするとこの二人との最後の挨拶になるかもしれないからです。やがて見送りの時も終わります。

嘆きと口づけと見送りは、grief workのような通過儀礼の機能を持っています。怒り・拒絶から受容へ、実際の表現活動を通して、信仰共同体はパウロとの別離という現実を徐々に引き受けて行きます。100%の同意はしないけれども、ある程度の納得がこの過程において一人一人に調達されていくのです。教会が行う送別会や告別式というものの積極的な意義が、本日の箇所にも示されています。心と体の均衡を保つために、人間には通過儀礼が必要です。

 今日の小さな生き方の提案は、受けるよりも与えるほうが幸いという人生を過ごすことです。誰にも何も与える余裕がない人に対してイエスは、「貧しい者は幸い、今飢えている者は幸い、今泣いている者は幸い」と言われました。神からの救いは苦労を強いられている人々にこそ必ずあると力強く約束する福音です。パウロはこの福音の実現のために教会にできることを考えています。「少しばかりの余裕をできる人全員で集めよう。そうすれば貧しい者も富み、飢えている者も満腹し、今泣いている者も笑うようになる。少なくとも教会内では。」パウロは権力批判による社会変革ということで貧富差をなくすことは訴えません。イエスと異なります。その代わりパウロはどんな人にもできる「よりましな生き方」を自身模範例となりながら示しました。イエスのようになれなくても元迫害者である私のようには誰でもなれる、と。惜別の場面はそのパウロ言動の正しさを証明しているように思えます。