復活の朝 マタイによる福音書28章1-10節 2020年4月12日 イースター礼拝説教

イースターおめでとうございます。イエス・キリストの十字架と復活は教会の信仰の中心です。十字架で虐殺されたナザレのイエスが、神によってよみがえらされなければキリストの教会は創始されませんでした。イースターは最古の祝祭です。そして復活が日曜日の出来事であったことにちなんで私たちは毎週日曜日に礼拝をしています。毎週の礼拝もキリストの復活を記念して祝う祝祭です。イースターは教会の基盤です。

しかしその重要性の割には、復活についての記事内容は新約聖書の中で揺れています。たとえば最初にイエスと出会った人の名前や人数についてまちまちです。最古の証言であるコリントの信徒への手紙一15章5節は「ケファ」(ペトロのアラム語におけるあだ名)を最初の人物とし、次に「十二人」(ユダも含む)としています。男性の弟子ばかりです。それに対してすべての福音書は女性の弟子が「殺されたイエスが墓にいなかった」ということを最初に確認したとします。すべての福音書で共通の人物はマグダラのマリアです(1節)。

わたしたちに本日与えられているのはマタイ福音書の復活物語です。最古の福音書マルコを見ながら記しているマタイが、何を強調しているのかに注目します。マルコの文章をあえて改変しているところが、マタイとマタイ教会の強調点です。変えた部分は、①日曜日の朝ではなく土曜日の日没後(後述、翻訳の問題)、②サロメという女性の欠如(2人のマリアのみ)、③女性たちは喜んでキリストの復活を伝えようとする、④女性たちは直接復活者に出会い語りかけられる、です。この4点はすべて関連して、マタイ教会の復活信仰を言い表しています。本日はこの4点を取り上げ、現在出口の見えない苦しみに呻くわたしたちにとって何が救いとなるのかを共に考えたいと思います。

①土曜日の夕方の出来事であったとマタイ福音書は記しています。新共同訳聖書は「安息日が終わって、週の初めの日の明け方に」(1節)と訳しています。しかしここは、「安息日の夕方」という言葉です。つまり「安息日の終わりごろ、週の初めの日が始まるころ」という意味でしょう(田川建三)。ユダヤ人にとって一日は日没から始まります。深夜12時からではないのです。「週の初めの日」は、私たちの暦で言えば「土曜日の日没に始まり日曜日の日没」に終わるのです。

マルコは週の初めの日の早朝としていますから、復活は現在の日曜日の朝の出来事であると言っています(マルコ16章2節)。それをマタイはあえて現在の土曜日の夕方に移しています。ここにマタイ教会のこだわりがあります。おそらくマタイの教会は週の初めの日の礼拝を現在の土曜日の日没後に行っていたのでしょう。ローマ帝国の暦に従えば、現在の日曜日も平日であり朝は労働すべき時間帯です。ローマ帝国がキリスト教化された後に日曜日は休日となりました。それまでの間、キリスト教徒は日没後・労働後に集まって礼拝をせざるをえません。夜に夕飯をとりながら礼拝をしていたのです(コリント一 11章)。ユダヤ教徒の暦における「週の初めの日」の復活や、礼拝の中で共に食べることにこだわるならば、礼拝の実施時間帯は現在の土曜日の日没後です(使徒言行録20章7節以降も参照)。マタイ福音書にはユダヤ教色が強いことは学問上定説となっています。現在の日曜日の日没後は、ユダヤ教徒にとっては週の第一日目ではなく、第二日目になっているということに注意が必要です。

自分自身が連なっている教会の礼拝実践から、マタイはあえてマルコの記事を変えています。復活のキリストとの出会い(=礼拝)は、朝ではなく夕方の出来事でなくてはならない、なぜなら信徒は礼拝において復活のキリストに出会うから、というわけです。朝から夕方への改変によって、②二人のマリア、③女性たちの喜び、④イエスからの語りかけの意味が明らかになってきます。それは現在の呻き苦しむ世界にとっても意味深いものです。①②③④は、すべて有機的に結びついています。

①日没後の出来事とするときに、キリストの復活は天地創造という救いと結びつきます。「そして夕があり、朝があった。一日」(創世記1章5節)。一日は闇から始まるというユダヤ教徒たちの暦の根拠は天地創造にあります。「光あれ」は、闇が先にあることを前提にしています。キリストの復活は闇の中の一条の光です。混沌とした絶望状況を切り裂く希望の光です。

希望は昼ではなく夜に確かめられるものです。空の星が見られるのは夜です。神は希望を闇夜に与えます。その希望を胸にしまってわたしたちは昼間歩くのです。平日の日常を生きるのです。夜空を仰ぐ信を神は義と認められます。

②二人のマリアとすることによってキリストの復活は出エジプトと結びつきます。マリアはミリアムという名前のギリシャ語風の読み方です。1節ではあえて「マグダラのマリアム」と綴られています。あの夜、イスラエルの民が紅海を歩いて渡って逃げた時、モーセの姉である預言者ミリアムは神を賛美し、そのリードに従ってイスラエルの民は神を礼拝しました。「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた」(出エジプト記15章21節)。これは最古の讃美歌と言われます。

奴隷が自由人とされる解放は、昼ではなく夜になされるものです。わたしたちの前にある恐ろしい海が開け、後ろにある暴力的勢力から逃げることができるのは夜です。海が分かれるという自然奇跡が「大きな地震」(2節)に似ています。海に投げ込まれたエジプト軍と、恐ろしさのあまり震え上がり死人のようになったローマ兵は重なります。エジプトの奴隷状態と、逃亡奴隷のように処刑されたイエスの姿は重なります。イスラエルの人々の家が一夜にして空になったように、イエスの墓は空となりました。「十字架につけられた方はここにおられない。復活なさったのだ。ほかの弟子たちに伝えなさい。あの方は死者の中から復活された」(5-7節)。

③二人のミリアムは大いに喜び、解放の福音を告げ知らせるために賛美歌を歌いながら夜の道を走ります。最初のミリアムと同じ行動ですし、「マリアの讃歌」にも似た場面です(ルカ福音書1章)。1節の「もう一人のマリア」がイエスの母マリアであることは確実です。つまり彼女は救い主の誕生・処刑死・復活の証人です。マルコ福音書では3人の女性たちは恐ろしさのあまり誰にも何も話しませんでした。しかしマタイ福音書のミリアムたちは「大きな喜び」を持っているので、神賛美によって自らの持つ恐れを克服しています(8節)。

この時点でキリストの復活は天使からの約束にとどまり、確証はありませんでした。不信から信への橋渡し、不安からシャロームへの橋渡し、恐れから喜びへの橋渡しは、神賛美によってなされたと推測します。

本当に困っている時、ひとりぼっちの夜、賛美歌が口をつくことがあります。昨年の1月どうしても幼稚園教師が足りなくてひとり悩んでいた時、夜風呂を洗いながらテゼ共同体の歌が口をついて出てきました。それはマリアの讃歌をテーマにした讃美歌でした(13番)。歌には恐れを喜びに変える力があります。賛美歌というものは夜一人で小さく繰り返し口ずさむものです。

マタイの教会が主の晩餐をしながら讃美歌を歌うとき、近所迷惑にならないように小声で歌ったはずです。迫害下にあればなおのことです。一世紀当時は信徒の家を用いて礼拝がなされていました。会衆賛美は伴奏をつけて大声で歌うものではなかったのです。その歌に力があって、次の朝から始まる労働を励まします。恐れではなく喜びがメロディーと共に脳裏に焼き付くのです。

④彼女たちが夜の道をエルサレムへと走って戻っている時に、復活のイエスが現れます。新共同訳「おはよう」(9節)は、朝の出来事とするマルコ福音書に引きづられた訳です。夕方の出来事であれば、自ずと別の翻訳となります。直訳は「あなたたちは喜びなさい」です。「喜べ」から転じて、挨拶に用いられるようになった慣用表現ですから、「おはよう」「今日は」「今晩は」でもかまいません。しかしここは直訳「喜べ」の方が良いでしょう。なぜなら、女性たちが「恐れ」および「大きな喜び」と共にあったからです(8節)。天使は「恐れるな」(5節)と言い女性たちの恐れを消そうとします(10節も参照)。それに呼応してイエスは「喜べ」(9節)と言い女性たちの喜びを増やそうとしているのです。実際新約聖書の中で、「あなたたちは喜びなさい」を挨拶の意味で用いる箇所はどこにもありません。ここも「喜べ」で良いでしょう。

「あなたたちは喜びなさい」は新約全体で11回登場します。マタイにはこの箇所の他に5章12節にだけ用いられています。それは迫害を受けた時に「喜べ」というイエスの命令です。どちらの箇所もイエスから弟子たちへの命令です。しかもどちらも出口の見えない不安に囲まれている弟子たちに対する命令です。5-7章に記された「山上の説教」の聴衆は、失業者たちの集まりでした。そしてイエスの食卓に連なることは、権力者たちからの迫害を覚悟することでした。その苦しみがいつまで続くのかまったく分からないで不安に思う人々に、イエスは「喜べ、大いに喜べ」と語ります。28章においては日没後の真っ暗闇に向かっていく情景が、出口の見えにくさと遠さを象徴しています。日没は夜明けまで最も長い「夜の開始点」です。

女性たちはイエスの言葉を聞いて、イエスにすがりつきイエスを礼拝します。新共同訳「ひれ伏した」は、「跪く」「拝跪する」「礼拝する」という意味にも用いられる言葉です。ここにもマタイ教会の礼拝実践が伺えます。教会に連なる人びとは、毎週安息日が終わる日没後に急ぎ足で信徒の家に集まります。そして共に食事をとる礼拝の中で復活のイエスに出会います。「本当に主はよみがえられた」のだと交わりの中で確認します。そして「喜べ」「恐れるな」「ガリラヤへ行け」という復活の主イエスの言葉を聞き取ったのです。ガリラヤとは弟子たちの日常生活があった場所ですから、信徒にとっては次の朝からの日常生活を指します。信徒たちは恐れから喜びへの変換を共有し各人の生活へと派遣されました。夜の闇の深まりと反比例する喜びの増幅を感じながら。

今日の小さな生き方の提案は、マタイ教会の復活信仰にならうということです。わたしたちは先の見えにくい不安の中にいます。宗教者の視点から言えば、ウイルスそれ自体への恐れよりも、過剰な情報に煽られることへの恐れや、他者への不寛容や差別が蔓延することへの恐れ、強い国家に支配されたくなるという恐れと警戒を強く持っています。それらがわたしたちの日常・生活・生命を食いつぶしつつあるのではないでしょうか。

9.11直後の「戦時下の米国」でわたしは同じ経験をしました。教会もアフガン侵略を是とする米国の一部だったと分かった時本当にがっかりしました。今この時ある意味で「日本の一部ではない経験をすること」がわたしたちの恐れを喜びに変えます。深い闇へと走りながら毎週着実に復活のイエスを礼拝しましょう。復活信仰とは夜明けを待つことではなく、闇の真っ只中で光を希望することです。それによって日常・生活・生命を得ましょう。