神の賜物 使徒言行録8章14-25節 2021年5月16日礼拝説教

14 さてエルサレムにおける使徒たちはサマリアが神の言葉を受け入れたということを聞いて、彼らは彼らに向かってペトロとヨハネとを遣わした。 15 その彼らは下って、彼らは彼らの周りで祈った、彼らが聖霊を受け入れるようにと。 16 というのもそれはまだ彼らの誰の上にも降っていなかったからである。さて彼らはただキリスト・イエスの名前へとバプテスマを施された。 17 それから彼らは彼らの上に手を置き続けた。そして彼らは聖霊を受けた。 

 使徒たちを中心にしたエルサレム教会は、サマリアにサマリア人主体の教会が設立されたことを聞きました。神の言葉を受け入れたというのです。迫害されていたフィリポたちを見捨てたエルサレム教会は慌てます。ステファノやフィリポの家の教会には、多くの非ユダヤ人やサマリア人が集っていました。それだからユダヤ教「正統」やユダヤ自治政府に睨まれたのでした。サマリア人はユダヤ人なのかどうか。エルサレム教会は改めて問われました。

 彼ら彼女たちはイエスの言葉を思い出します。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1章8節)。さらにゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟は遡って思い出します。イエスを受け入れなかったサマリア人に対してもイエス自身は寛容でした。そしてサマリア人に報復攻撃をしようとする兄弟を戒めたのでした(ルカ9章51-56節)。イエスはサマリア人とも対等に交流できる人でした。

 エルサレム教会は悔い改めます。悔い改めとは方向を変えること、方針を転換することです。神の言葉の再訪問を受け入れたサマリアの教会を、同じキリストの教会として受け入れようとするのです。サマリア人までは無条件に受け入れるという方針です。エルサレム神殿参拝や割礼を要求しないと。エルサレム教会は最高指導者であるペトロとヨハネを選びサマリアに派遣します。しかしこのことはフィリポにとって受け容れがたい苦痛でした。使徒たちがステファノやフィリポを見捨てたからです。本日の箇所にサマリア伝道の立役者フィリポは登場しません。彼はペトロとヨハネが来たことを知ってすぐに別の土地に走って行ったと推測します(26節)。

 イエス・キリストの名前の中へと入っていくバプテスマと、聖霊を受けることには時間的な差があるのでしょうか。イエスという名前は「主は救う」という意味のヘブライ語名ヨシュアです。キリストは「油注がれた者(任命され派遣された者)」という意味のヘブライ語マシアッハのギリシャ語訳です。バプテスマは神がわたしを救うということや、神がわたしを遣わすということに参入することです。教会の構成員になることです。聖霊の促しなしにバプテスマを受ける決心は起こりません。その意味では聖霊を宿していることが「先」、バプテスマという儀式が「後」であるはずです。ここでは少し特殊な意味で「聖霊を受ける」という言葉が限定的に使われているようです。奇跡的治癒などを行う技能です(13節)。ペトロとヨハネが手を置いた人物だけが奇跡的治癒を行うことができる人になっていきました。フィリポは奇跡的治癒にあまり力点がなかったのでしょう。この時サマリア教会に「癒しブーム」が起こります。 

18 さてシモンは使徒たちが手を置くことによって霊が与えられたことを見て、彼は彼らにカネを持参した。 19 曰く、「わたしにもこの自由を与えよ。私が手を置く人が聖霊を受けるように」。

 フィリポにつきまとって手品の種を知りたがっていたシモンは、フィリポがいなくなったこともあり、ペトロとヨハネに乗り換えます。二人に金を持ってきて、聖霊を授ける権限・自由を売ってほしいと願うのです。シモンは手品・魔術を商売にして暮らしていました。技術を買いたいという彼の願いは合理的です。治癒行為ができればさらに儲けることができるでしょうから。

 後に欧米語でシモンの名前を冠した言葉が生まれます。simonyは「聖職売買(の罪)」という意味だそうです。これは「ソドムの暴行事件」(創世記19章)からsodomy(同性愛)という言葉が生まれたことに似た行き過ぎです。シモンが求めたものは使徒職ではありません。「自由(エクスーシア)」(19節)です。語源的に言えばエクスーシアは、本来の自分自身から外へと出て行くことを意味します。人間の分を超えること。それは霊である神の自由を侵すことです。神は癒したい人を癒す。ここに神の自由があります。

20 さてペトロは彼に向かって言った。「あなたの銀はあなたと共に滅びの中へとあるように。なぜなら神の贈り物をあなたはカネを通して獲得できると思ったからだ。 21 あなたのための取り分もなく、また籤もない、この事柄において。というのもあなたの心が神の前で真っ直ぐではないからだ。 22 それだからあなたはあなたのこの悪から悔い改めよ。そしてあなたは主を求めよ。実際あなたの心の目論見があなたのために許されるかどうかと。 23 というのもあなたが苦みの胆汁と不正の繋がりの中へとあるのを私は見ている。」 

 アナニアとサフィラの時にもペトロはお金がらみの話題で感情的になっています(5章)。またもや瞬間湯沸かし器のように怒るペトロがいます。しかし今回は少しだけましです。相手を驚かせて、その結果、その場で死なせてしまうようなことはしていません。ペトロも成長しているのです。5章時点での攻撃性が和らいでいるペトロの中心的な使信は何でしょうか。

聖書研究の方法の一つに構造に着目するというものがあります。構造自体が中心的使信を示しているという考え方です。ペトロの発言が「中へとある」という表現で囲まれていることに注目します(20節と23節)。この囲い込みの中にあるものが中心です。21-22節は熱心な悔い改めの勧めです。銀と共に滅びるということは、苦さと不正と共に滅びることと同じ意味だと推測できます。金銀と共に生きる生き方か、それとも金銀はないけれどもイエス・キリストと共に生きる生き方か。苦さおよび不正と共に生きる生き方か、それとも苦い杯を飲みながらも正しく生きる生き方か。生き方の方針転換をするようにとペトロは励ましています。その場で相手に死をもたらす断罪ではなく、相手のこれからの人生を拓くための忠告と勧告です。

人が一度陥った誘惑から抜け出すことや悪から救い出されることは、どのような手順でなされるものなのでしょうか。「この悪」(22節)とペトロが言っている事柄が何であるのかを特定しましょう。

「この悪」とはシモンが「神の贈り物をあなたはカネを通して獲得できると思った」(20節)ことです。カネによっても獲得できないものがあります。カネはすべての自由を保証するでしょうか。物品に関してはあてはまります。しかし物品はすべてではありません。ここでの神の贈り物の具体例は「人を癒す力」です。人を癒す力はカネで買うことはできません。また、徐々に人を癒す技能を得るというものでもありません。ほぼ生来の人格的なものでしょう。つまり神が生まれながらに授けたものでしかないでしょう。

初代教会は奇跡的治癒をイエスから継承しました。それは人格と人格の向き合いによって、人間性が回復したことであると思います。イエスを心から信じた時に病気が治る。イエスの人格に癒す力があります。「あなたの信があなたを救った」という言葉は、イエスの人格に信頼する人格になることが、人を復活させることを意味します。人格と人格の交わりの中に生きるようになること。これこそ病気の癒しよりも根本的な癒しです。互いに愛し合うことが癒しです。

パウロは最高の神の贈り物は愛であると言います。同じような意味です。愛のない人格の者に、神の贈り物として愛が与えられなければ他人を癒すなどということはありえません。これはカネや人間の努力では獲得できないのです。ペトロは「籤」という言葉でカネによる購入を否定し、「取り分」(部分的な相続分)という言葉で徐々に獲得する人間の努力を否定しています(21節)。

シモン「の心が神の前で真っ直ぐではない」(22節)ことが、神と自分と人格的な向き合いをしていないことを示しています。ペトロは神を避けるのではなく、「主を求めよ」と促しています。真っ直ぐに神に祈り求めれば良いのです。仕事をもっと拡張させたいのならそのように祈れば良いし、悩みがあるのならば神に正直に打ち明ければ良いでしょう。「ペトロが羨ましい」とつぶやいて自分の醜さをさらけ出したり、「愛をください」と素直に祈ったりすれば良いわけです。誰か力を持っている人に頼んだり、カネで解決しようとする前に、シモンは神ご自身を人格的に求めるべきだったのです。そこに悪から脱出する道があります。

24 さて応えて、シモンは言った。「あなたたちこそがわたしのために主に向かって求めよ。その結果あなたたちが述べたことがわたしの上に臨まないようにと。」 25 そういうわけで実際(彼らは)よく証言をし、また主の言葉を語って、彼らはエルサレムへと戻っていった。それから彼らはサマリアの多くの村々を福音宣教した。

シモンの反論で対話は終了しています。しかもその内容は「ペトロとヨハネこそがわたしの人生のために祈るべきだ」というものです(24節)。ペトロはシモンに再反論しません。最後の晩餐を思い出したからかもしれません。「主よ、それならば足だけでなく頭も手も洗ってください」(ヨハネ13章9節)というペトロの横着な発言に、シモンの論法は似ています。同じ名前を持つシモンにペトロは親近感も持っていたのではないでしょうか。イエスはペトロに苦笑いしながらも、彼のそそっかしさをそのまま愛しました。少し成長したペトロも、シモンに対して苦笑いしながらそのまま受け入れたと思います。ここでシモンはサマリア教会から追い出されていません。

シモンとの対話を打ち切って二人はエルサレムに戻ります(25節)。二人の仕事は視察です。サマリアの教会が真にキリストの教会であることを確認するためだけに来たのですから長居はしません。帰路を急ぐ事情もあることから、最後の一文の主語はペトロとヨハネではなく、シモンを含むサマリア教会の人々だと解します。つまり、フィリポも、ペトロも、ヨハネもいない状況となったサマリア教会自身が、サマリアの村々を訪れて福音宣教していったと解釈します。原始キリスト教という一大社会運動は無名の信徒たちが主役の大衆運動でした。一部の有名な使徒の働きではなく、信徒全体が日常的に福音を伝え、新たな教会を色々な場所につくり上げていったのです。サマリア伝道はそのはじめの一歩です。彼ら彼女たちがシケムという町を訪れた時、かつてイエスに人格的に触れ合った女性に出会ったことでしょう(ヨハネ4章)。その女性の自宅もまた教会となっていったに違いありません。

今日の小さな生き方の提案は、神の前に真っ直ぐ向き直って素直に心の中にあるものを打ち明けることです。人生を豊かにすることは必要以上にカネを得ることや小手先の技能を積んでいくことではないと思います。むしろ何歳になっても自分を「腑分け(解剖)」することです。神の前で、良い所も悪い所もさらけ出して、魂を注いで祈ることです。救いは神との人格的交わりにあります。そうすれば隣人についても苦笑いしながら寛容になれるはずです。